07-04 この世界の霧島榛名って子は、すでに死んでいるんじゃないかな
色の薄い世界で遭遇した、人間の認識能力では把握出来ない存在。柳井は、その存在と類似する都市伝説「時空のおっさん」の解説をはじめる。
「礒野?」
「ああ悪い。考えごとをしてた」
「一つ伝えておくことがあるんだけど――」
千尋は柳井さんを見た。
「磯野、俺もその――霧島榛名の姿が見えた」
「え?」
「理にかなう説明なんてできないし、俺にはそういうものは見えてないと思っているんだが――」
そうか。まえにそんなこと言ってたな。
「柳井さんには見えるんですよね、幽霊」
「オカ研側の俺もそうなのか?」
「ええ。オカ研で聞きました」
「それなら話は早い。磯野の言っていた特徴と同じように、キャスケット帽に白いブラウス、そしてカーディガンと杖……」
「そうです。柳井さんも見えてたんですね」
「彼女は、磯野に気づくまでこの文化棟を見上げていた。雨なのに、なんであんなことをしてたんだろうな」
「わかりません。けど、ちばちゃんが探しているのは、あの霧島榛名だと思います」
「磯野、ちょっと言いづらいことなんだけれど――」
「どうした? 千尋」
「柳井さんは、その人のこと見えたんだよね。だったら、この世界の霧島榛名って子は、すでに死んでいるんじゃないかな……」
竹内千尋の一言に、俺は動揺する。
……いや、そんなことはない。
霧島榛名は俺を見て反応したんだ。手にだって触れた。
「それでも、生きていると思う」
理由なんて無い。あの霧島榛名が幽霊だとしたら、すべてが解決しても、霧島榛名の死、それだけはどうにもならない。もしそうなれば、
――とてもじゃないがやり切れない。
「俺も、磯野と同意見だ」
柳井さんはつづける。
「もし彼女が死んでいたなら、磯野はなぜ彼女に触れられて、現実世界に戻ってこれたと思う?」
「……たしかに。もしその子が死んでいたら、磯野は死後の世界から帰ってきたことになりますね」
「ああ。死後の世界から帰ってきたとして、そのあいだ、磯野は「死体とならずに」存在が消えてしまったんだ。磯野は、生きたまま現実世界と色の薄い世界を行き来していた、と考えるほうが自然だろう。それなら、色の薄い世界は死後の世界などではないし、霧島榛名はその色の薄い世界でいまも生きている、と考えるのが妥当なんじゃないか?」
そう言われてみればそうだ。
柳井さんの言葉に内心ホッとした。
「ありがとうございます。……そうですよね」
柳井さんは笑顔を見せた。
「ところで磯野、俺がなぜ見えたのかとか、時空のおっさん的存在とか、丘の上の駅とか、気になることは山ほどあるんだが――」
柳井さんは難しい顔になって、
「その霧島榛名って子は、磯野のことを知っていたみたいだが、磯野、おまえはなにも思い出せないのか?」
砂浜で俺を見る榛名の顔が目に浮かんだ。
驚きと動揺、そして後悔。
俺と彼女とのあいだになにかがあったからこそ浮かんだ表情なのだろう。
「ええ。ただ、彼女の手が離れる瞬間「手を離しちゃいけない」って言葉が浮かんできたんです。それに思い出せないけど、俺の中で彼女が――」
そうだ、俺は霧島榛名のことを、
「とても、大切な人だということがわかったんです」
柳井さんは「そうか」とうなずいた。
「その確信はおそらく正しい。思い出せなくても記憶のどこかにあるのかもしれない。それが無意識下から湧き上がって、そう感じている可能性があるな。身に覚えがあるってことだ。つまり、磯野と霧島榛名、おまえたち二人のあいだに過去になにかがあった。そのなにかが、今回の一連の出来事の原因になっている」
「俺もそう思います」
「となれば、ちばちゃんと、彼女の持つ大学ノート、これが真相を知る起点となるな」
「ちばちゃんに関しては、僕の出番ってことですよね」
竹内千尋は真剣な面持ちのまま言った。
「磯野、まだ入れ替わりまで時間はあるのかい? 今夜はもう無理だけど、明日なら、ちばちゃんと綾乃ちゃんが編集を観に部室に来るから、そのときにこのことについて話す段取りをつけられると思うけど」
G-SHOCKを見るとすでに十一時半。
オカ研世界への入れ替わりはいまだ起きない。このままだと、あと六時間で、現実世界への滞在が二日目に突入してしまう。
「わからない。いままでは一日に一回は入れ替わりが起こっていたんだ。けれど、今回はいまだに入れ替わりが起こる気配がない」
「入れ替わりの時間が延びている?」
「時空のおっさんとの遭遇で、入れ替わりが起こらない可能性もありえる。俺はもともとこっちの世界の人間だから、それでも悪くないんだが」
「磯野、入れ替わりは引き続き起こってくれたほうがいいと俺は思うがな。いま起こっている事態は、当然オカルト研究会の世界とも関係があると思うんだ」
「たしかに、磯野が霧島榛名って子ともう一つの世界で会っていたから、今回も気づけたでしょうし」
「やはり、早いに越したことはないな」
柳井さんはちょっと待ってくれ、と一言断ったあとスマートフォンを取り出して電話をかけた。つながると、柳井さんは電話の主に早口で話はじめた。
「ああ俺だ。元気か? ところでいま時間大丈夫か? 三馬、おまえに折り入って相談したいことがあるんだが――」
柳井さんは、しばらくののち電話を切った。
「明日、ちばちゃんが来る前に、三馬に部室まで来てもらうことになった」
「三馬さん、ですか?」
「俺の友達でな。オカ研の世界にもいるようなら、もう一人の俺にも相談するよう言っておいてくれ」
「どんな人なんです?」
「俺の高校時代の同級生で宇宙物理学者だ。もともとSF研にも遊びに来ていた人間でね、こういう話は大の好物なんだよ」
あれ? 柳井さんと同期で理学博士ってことは、博士課程を終えてるわけだから、最低でも二七歳は越えているってことだろ? 柳井さんが今年七年生だとしても数字が合わないぞ? いや……深く考えるのはよそう。
「明日、三馬が来たら、まずは磯野の大学ノートで文字の浮かび上がり現象を実演してもらう」
「大丈夫なんですか?」
「さっき言っただろ、三馬はSF研に出入りしていてこういう話は大好物なんだ。超常現象なんて見たらハマること間違いなしだよ」
「それなら心強いです」
「時空のおっさんについても、言語化を遮断するものの存在について、そういうものを専門にする人間なんかを呼べればいいんだろうが、俺にはあてがなくてな。三馬に相談すれば、言語学なのか、脳科学なのかわからんが、その分野のツテを頼ることができるかもしれない。そもそもこの事態は、もう俺たちだけじゃ手に余るものだと思う」





