06-07 千代田のお前への態度は明らかに変だったぞ。あれは女の顔だ
撮影が終わり、二四時間以上経っても世界の入れ替わりがないことに磯野は気づき――
……いまだ入れ替わりが起こらない。
言い換えれば、いつ入れ替わってもおかしくないということだ。それなら、いますぐにでも「もう一人の俺」へ書置きなくては。
「俺ちょっと用事があるから、さきに戻ってもらってもいいか」
「用事?」
「……えっと、コンビニに――」
「お金でもおろすの?」
……うーん。そうだと言ったところで、貸すよとかなんとか言われたら、否定も出来ないだろうし、ここは正直に言うべきか。
「ノートを、買ってこようと思っててね。」
「ノートってなにに使うの? あとは帰るだけなのに」
……まあ、そりゃそうなるよな。
なんて言えばいい? いや、適当にはぐらかせばいいんだけど、いまの怜だとなんだかやりづらい。
「まあいいや。大学ノートで良かったら使ってないのあるから、それあげるよ」
「え? 大学ノート? なんで持ってるんだ?」
「そりゃあ、撮影記録や、今回の旅行での支払いやメモやらその他もろもろで、記録するためのものが必要だからに決まってるじゃない」
「そうか、そりゃそうだよな」
「けど、わたしが持ってるのはルーズリーフじゃないし、もし使いづらいなら買ったほうがいいとは思うけど」
オカ研世界でも聞いたような台詞。
「大学ノートで大丈夫だ」
「よかった」
映研世界でも千代田怜から手渡される大学ノート。
これは本当に偶然なのだろうか。
というわけで、帰りもまた柳井車、千代田車にわかれた。ただ今度は道央自動車道から苫小牧経由での帰路となった。
俺は、千代田怜からもらった大学ノートに、いままでの出来事を書き込もうとした。が、走行中の車内でまともに字など書けるはずもないことを失念していた。そして、あろうことか車に酔った。
「磯野……今回散々だな」
柳井さんの憐れむような一言。
ホント、車酔いなんてしている場合じゃないんだけどな……。
「あの柳井さん。こっち経由なら大学で解散ですよね。そのあと少し時間もらえませんか?」
「ん? べつにかまわないがどうした?」
「たぶん大学着くまでには調子戻ってると思うんで、着いてから話します」
「わかった。ところで竹内、お前は大学戻ったらどうする? 帰るか?」
「僕は部室に機材運び込んだら、そのまま編集するんで大丈夫ですよー」
「そう言うと思ったが、今日のところは帰って休むのもありだぞ」
「いえ、ロケが頭に残っているうちにラフ編だけやっちゃいます」
柳井さんは苦笑いをした。
「あのー柳井さん、ぼくには訊いてくれないんですかー?」
「今川、おまえはもうやることないだろ」
「だってー寂しかったんですもん」
俺たちは思わず吹きだした。
「作品完成したら打ち上げに呼んでやるから楽しみにしとけ。今回はありがとな」
「嬉しいなあ! 忘れないでくださいよ」
二時間半ののち、札幌駅に寄ってちばちゃんと青葉綾乃、そして今川を降ろした。
「今川、よけいなことするんじゃないぞ」
柳井さんの念押しに、今川は不満そうな顔芸で返して去っていった。
大学南門に到着後、撮影機材を部室に戻して解散となった。
千代田怜はバイト先からレンタルしていた車両を返すということで、南門で見送った。
南門の前で怜を見送る野郎三人。
「柳井さん、怜ってバイト先と自宅近いんでしたっけ?」
「ああ。歩いて五分とか言ってたな」
「千代田のやつ、なんで今回は自分の車じゃなくてわざわざレンタカーにしたんだろうな」
「あ、タイヤ交換する時間がなかったからみたいですよ」
「ああ……千代田のインプレッサはドリフト用タイヤ履かせたままだったのか……」
そうそう、怜はいまやっているバイトから昂じてドリフト趣味にハマったのだが、それはおいおい話すとして――
「そういえば磯野、話がしたいと言ってたな。部室で話すか?」
「えっと……」
「二人で話しておいでよ。僕は編集に集中しちゃうからどっちでもいいけどさ」
竹内千尋の言葉に、なぜか「ははーん」と納得する柳井さん。
「そうか、そういうことなら俺にまかせろ」
柳井さんは俺の肩を叩いた。
……って、柳井さんも千尋もなんか勘違いしてないか?
と、いうわけでモスバーガー。
以前、ちばちゃんとの誤解を解くために使った場所だ。
現在の時間は八月十二日 一八時四二分。
一日と半日以上が経過しても、いまだに入れ替わりは起こらない。どういうことなんだろう。
俺はリュックサックから千代田怜にもらった白紙の大学ノートとペンを取り出す。そして本題に入ろうとしたところで柳井さんが一言。
「まあ、おまえたちがトラブルを起こさないのであれば、俺は黙認してやってもいいがな」
へ? おまえたち?
「なんのことです?」
俺の返事にあからさまに目を細める柳井さん。
「いやいや、ここで俺に相談とくればそういう話なんだろう? サークルにおける会長という立場だからこそ、なかなかに難しい問題ではあるが」
「たしかに難しい問題なので、まずは柳井さんにとは思っていましたが」
「その判断は正しい。お互い人間だし特別な感情が生まれるのはあたりまえだ。だがこのさき、お前も千代田もサークル内での一線というものは心に留めておいたほうがいい」
え? 千代田? さっきからなにを言ってるんだこの人、って――
あ。
「いえいえちがいますよ! 怜と俺はそんな関係じゃ――」
柳井さんはポンと俺の肩に手を置く。
「磯野、俺の会長としての管理能力をなめるな。サークル内恋愛くらいいくらでも黙認してやるさ。で、どこまで――」
「だからちがいますって!」
「いやいや磯野くん。昨日の夜くらいから千代田のお前への態度は明らかに変だったぞ。あれは女の顔だ。そう、表現を憚らなければメスの顔」
「……それについては俺も気になっているんですけどね。ってメスの顔って!」
「ひたすらツン系ドジっ子属性のあいつが、どこでデレに転じるのか期待はしていたのだが、磯野、おまえがその原因になるとはなあ」
柳井さんはそこまで言うと、感慨深げにウンウンとひとりうなずいた。ダメだーこの人。
「柳井さん……全然ちがいます。俺が相談したいのは――」
「ともかくこれを見てください」
俺は大学ノートを見開きにしてペンをつかんだ。
G-SHOCKを見ながら日時を書き込む。
八月十二日 一八時五四分。
この世界でも「文字の浮かび上がり現象」が起こるか、それはわからない。しかし、もし現象が起これば、これが映研世界ではじめての大学ノートへの記録となる。
俺は、頭のなかにいままで起こった出来事を思い描く。
ゆっくりと、ゆっくりと、ペンをノートに近づけていく。
そして、触れそうになった、その瞬間、
――文字が、ページいっぱいに埋め尽くされた。
目の前の超常現象に二人とも声が出ない。
俺にとってはこれで三回目なんだ。けど、いままでとちがう。
大学ノートは、数ページめくられた状態。さらに、
――八月七日から今日十二日までに起こった出来事がその数ページに書き込まれていた。





