06-06 ……いや、勝手に耳打ちされたのだから仕方がない。不可抗力だ
午前九時。
朝食をすませ湖岸へ到着した。
俺の演技相手はちばちゃん、および今川だった。
ちばちゃんは、昨日とは色違いの白のワンピースに麦わら帽子。今日もまた内気なお嬢様な雰囲気をまとっている。つまり、かわいい。
そして、青葉綾乃によるとパンツは白だ。……いや、勝手に耳打ちされたのだから仕方がない。不可抗力だ。
青葉綾乃のある意味有益な情報をも含んだちばちゃんと対面しながら、俺は演技をしなければならない。いや、ただの大学生の演技なんだから、そんな気合を入れる必要もないのだが。
とはいえ、さっきまで演技することすら忘れていたにもかかわらず、先週とおなじ演技だったためか、思いのほかスルスルとこなすことができた。
そして意外だったのが、演技相手のちばちゃん。
いま撮影している映画のあらすじは――
事故で亡くなった写真が趣味の父。その父の日記が見つかり、父が生前撮影したかったある場所に兄と妹、そして友達の三人で訪れる。という内容だった。そう、この妹役がちばちゃんである。
「けど……お兄ちゃんは……お父さんのこと、許してないんでしょう?」
ちばちゃんの台詞。ふだんのちばちゃんとはちがい、演技では感情のコントロールがうまかった。
「なあヒロキ、おまえはまだ納得いかんだろうが、なんだ……もういいんじゃないのか?」
こっちは今川。まえの撮影では、舞台の癖が抜けずに過度な台詞の抑揚とオーバーアクションで何度もNGを出していたが、今回はすでにふだん話すような自然な演技を身につけており、さすが演研部員という感じだった。ちなみにヒロキ役は俺。
そして当の俺は、ちばちゃんに「お兄ちゃん」と言われるたびに声にならない声が出てNGになる始末。
ダメだろホントに。けどさ、あのちばちゃんにお兄ちゃんと言われて動揺しないはずないだろ! ホントに妹にしたいわ!
それはともかく、ちばちゃんに関しては竹内千尋の演技の引き出し方がうまかったこともあるのだろう。が、ちばちゃんは表情や動きを意識し過ぎずに、気持ちの動き――千尋の言うところの「心の導線」と言うのを大事にしていたそうだ。
いわゆる、ちばちゃんは人生の中で近そうな実体験と劇中とをかさねあわせて、そのなかで台詞と台詞のあいだにある気持ちの動きを丁寧になぞっていったらしい。けっして名演技というレベルのものじゃないだろう。それでも、カメラの前に一人の人間がちゃんといる、という印象を与えることができたのは上出来ではないだろうか。
そして、昼食を挟んでの午後からの撮影。
その日の最初の撮影が順調に進むと、勢いのようなものが生まれる。
竹内千尋はOKを連発し、撮影はテンポよく進んでいった。テイクをかさねた場合も――これは正直驚いたのだが――台本をまじえた際、ちばちゃんの進言による演出の変更により、うまく乗り越えることができた。
撮影の終わりごろには、竹内千尋とちばちゃんのあいだにちょっとした演出への信頼関係が出来上がったらしい。
その距離感がそのまま撮影後も続いていたらしく、ちばちゃんは、千尋と柳井さんのインサート用の実景撮影にもいっしょについて行くことになった。まあ、ちばちゃんが行くとなれば青葉綾乃も同伴するのだが。
そしてまた千代田怜と二人きり。
湖岸のベンチに座る千代田怜は、撮影の時間管理や記録――映画に必要なカットを確認する役割――を兼任していたので、撮影が終わってやっと肩の荷が下りたようだ。
このあとはもう札幌に帰るだけなので、帰り支度をととのえるために二人して旅館に戻ってもよかったのだが、それはそれで互いに部屋に戻るということになりなんだか寂しい。と、怜も同じことを感じているのか、二人して自然と湖岸にとどまってしまった。
二人っきりのままベンチでの無言。
ふだんなら言葉をかわす気遣いなどする仲じゃないので無言でも平気なはずなのだが、昨晩のことが頭によぎり、気まずさというか照れ臭さからか、なんだか落ち着かなかった。
そうは言っても、七日に撮影データが消えたことが頭の片隅に引っかかっていたので、これで終わったと俺はホッとしたんだと思う。だから、
「……やっと終わったな」
いつの間に口に出ていた。だが、これがきっかけとなったのか、千代田怜も続いて口にする。
「うん。やっとだね」
「千尋には編集が残ってるけどな」
「千尋なら大丈夫でしょ」
そうだな。あの映画バカなら。
「お盆が終わったら夏休みもあと一ヶ月切るのか」
「そうだよ。九月祭だってすぐだしそのまま後期に入るだから。一年ってとっても早いよね」
千代田怜はそう言ったあと、苦笑いをした。
「就活か。嫌だなあ」
二年の夏だもんな。そろそろ周りにも、就職活動をはじめる輩をポツポツと見かけるようになってきた。
「こうやってなにも考えずに、のんびり景色を見ていられたらいいんだけどな」
「そうだね。来年になっても、……社会人になっても、こういうところに来れる気持ちくらいは残しておきたいね」
「ああ」
近くで撮影していた連中が目に入った。青葉綾乃がこちらに気づき手を振った。そしてとなりのちばちゃんも気づいたらしい。遠慮気味に手を振った。
俺と怜はそれに応えて手を振り返す。
「ちばちゃんも手を振ってる。かわいい」
怜は振っていた手を降ろして、
「不思議なもんだね、ここ数日なのに。ちばちゃんが初めて映研に来た時は、ここまで馴染むとは思わなかったんだけど。けど、こんな短いあいだに仲良くなって、わたしたちの映画なのに、そのために自分の意見も言ってくれて、参加してくれて」
そして怜は思い出したように、
「やっぱり映研に入って良かったな」
「そうか」
千代田怜があらためて俺に向きなおり、言う。
「ありがとう」
いきなりどうした?
「あのとき、そう一年前。千尋もだけど、部室の前で誘ってくれてさ。たぶん、誘ってくれなかったら映研に入っていなかったと思う。だからさ――」
……そういえば、そんなこともあったな。
文化棟玄関前の勧誘の翌日、竹内千尋について行きながら映研の部室にたどりついたとき、映研のドアからなかの様子をうかがっているこいつのうしろ姿が目に浮かんだ。
――そうか、そうだったな。俺たちが声をかけたから、怜は。
千代田怜は軽くうつむいて、もう一度、
「誘ってくれてありがとう」
そう言って怜はやさしく微笑んだ。
こちらこそ、と口に出そうになったが、なんとなくちがう気がして俺は軽くうなずいた。少し気恥ずかしくなったのだろうか、怜は笑顔のまま目の前の景色に戻した。それでも俺はなんだか勿体無くて、ほんの少しのあいだ怜の横顔を見ていた。
「おーい」
声のするほうを見ると、三脚を担いだ柳井さんが手を振っている。
「そろそろ帰るぞー」
「あ、はいはい」
「さて、戻りましょうかね」
……ちょっとまて。
――入れ替わりがないままもう一日半近く経過してないか?
これはひょっとして……オカ研世界に戻らなくなったのか? もしそうなら喜ぶべきことかもしれないが……いや、二つの世界の記憶を抱えたままなにも解決していないのはやはりまずいんじゃないか?





