06-05 ……もしかして、磯野さんとちょっとした感じでした?
千代田怜との一件ののち、磯野は撮影参加しつつ映研世界の状況を探ろうとするが――
ブルルルル……ブルルルル。
「あっ」
二人してハモった。
一瞬にして現実に引き戻される。
怜は慌てて茶羽織からスマートフォンを取り出す。
「はい」
「千代田さん、まだ来ないんですか? もう少ししたらみんな戻りますよ」
スマホから漏れる声は青葉綾乃。
なんという図ったかのような間の悪さ。
……いや、考えようによっては、タイミングが良かったと言えなくもないか? ……にしては、すごく惜しい気がするのは気のせいじゃないんだろうな。
「あ、……うん。すぐ行くね。磯野も起きたから一緒にむかうね」
「わかりました。もう、何度送っても反応しないんだから。……もしかして、磯野さんとちょっとした感じでした?」
こんのクソガキがああ!
青葉綾乃の下世話な台詞に固まる怜。いや、俺もだが。
「そ、そんなことないよ。なんであいつなんかと……」
「ふふっ。冗談ですよー。じゃあまってますねー」
通話が切れた。
とても気まずい。
「磯野」
「はい?」
われながらものすごい間抜けな声を出したと思う。
そんな俺の様子を気にしてかわからないが、千代田怜は少し寂しそうに笑いかけながら、
「……行こっか」
そう言って、浴衣を直しながら立ち上がった。
うわあ、なんだろうこのやるせない気持ち。こんな気分になるのも――
……やっぱダメだ。
悪い、怜。やはり、俺は……ラブコメ主人公だった。
気まずさと、とてつもない後悔を心に抱きながら湖岸へと向かう。
「磯野、今朝の寝坊のことまだ許してないんだからね」
ちょっとうつむき気味の怜がぼそりと言う。
「なんだよ、まだ気にしてんのかよ」
けれど――
「……悪かったよ」
怜は微笑んで、
「……遅すぎ」
その会話がきっかけになって、俺と怜は次第にふだん通りの憎まれ口を言い合う間合いを取り戻していった。
そして十分ののち湖岸へと到着した。
湖岸には、俺たち映研のほかにもホテルの宿泊客が集まってきていた。湖に面してならぶホテルのベランダからも結構な数が眺めていたらしい。
しかし、俺たちが着いたころにはすでに花火は終わり、ぞろぞろとホテルへ帰りはじめていた。
俺たちを待っていた映研メンバーは、それぞれグループにわかれて盛り上がっていた。柳井・千尋コンビは、嫌な顔をする今川を巻き込みながらの明日のロケの打ち合わせ。女子高生組ははしゃぎながらのおしゃべり。
「あ、千代田さん、磯野さん」
青葉綾乃が声をかけて出迎えてくれる。
「なんだおまえら、もう花火終わってるぞ」と柳井さん。
「いやあ、すみません」
「で、千代田さん、どうだったんですか?」
ニヤニヤ顔で怜に問いかける青葉綾乃。
あからさまに聞こえるように言うんじゃねえ。
「どう……って、なにもないよ?」
なにもないよって……。
あーポーカーフェイスができないんだったな、こいつは。
だが、なにもなかったのは事実だ。
「そーですかー」
にやけ顔のままの青葉綾乃。
怜の反応を見れば、そういう顔になるのは仕方がない。
同じ立場だったら、俺もにやける自信がある。
「わあ、きれい」
怜は湖岸の柵に駆けよった。
遠くに見える青白い空と温泉街の無数の光。そして、その光が湖に反射されてキラキラと輝いていた。
これは花火が終わっても居残りたくはなるな。
俺も怜のとなりで眺めても不自然にはならないのだろうが、さっきの件もあってちょっと気が引けてしまう。
仕方なく昼に腰かけていたベンチへふたたび陣取ることにした。
女子高生組はさておき、映研メンバーとは今年で二年目の夏か。
大学はあと残り二年だが、こんな空気を味わうのもそんなに長くないんだろうな。今朝がたはバイト代がどうとか文句が出そうだったが、いまはそんな気持ちは微塵もない。素直に旅行に来れてよかったと思う。
そんなことを考えながらも、自然と怜のうしろ姿に目がいってしまう。惚れてしまったんだろうか。いや、その場の流れというものがあるだろう。あの状況があったからこそ、異性を感じ、恋心的ななにかが芽生えてしまったのかもしれない。
ただ恋心というには少し違和感がある。だって俺たちは二年間、お互いにサークルメンバーの一人とか、友達とかそんな距離感だったはずなんだ。思いかえすにその居心地は、俺にとって悪くなかった。
それがさっきの出来事をきっかけとして、二人の距離にお互い踏み込んでいくとしたら、いままであった居心地というやつがなんだか壊れてしまうような……いや、二人のあいだからするりと消えてしまう、そんな気がする。たぶん、さっきの「俺は千代田怜が好きなのか?」という自問に答えられなかったのはこういうことなんだろう。
と、俺の視線に気づいたのか、千代田怜は俺のほうへ振りかえると軽く微笑んでみせた。
綺麗だ。
彼女は、湖へと顔を戻す。
なんだろう。今夜はもうなにも考えずに休んだほうがいいのかもしれない。
だいだいいま抱える懸案事項――大学ノートや柳井さんへの相談、ちばちゃんとの二人きりの接触、このどれもがまったく手つかずの状態なんだ。
とはいえ、この難題に頭を回すには、今日はすでに気力を使い果たしてしまった。
ここ数日、気が張りっぱなしだったんだ。今夜くらい休憩をいただきたい。そうだよ、少しくらいいいだろ?
翌日。八月十二日 午前七時過ぎ。
竹内千尋に起こされあたりを見まわすに、昨日と同じ旅館だと確認。
つまり一日を過ぎても入れ替わりは起こらなかったってことだ。これまでは、ほぼ一日弱だったよな。入れ替わりの間隔が延びたんだろうか。
毎回同じ時間ピッタリに入れ替わるわけではないのはわかる。が、入れ替わり時間のズレは、俺、もしくは「もう一人の俺」が「なにかをする」ことによって生じるものなのだろうか。
ただいまのところは誤差程度なので、今日中のどこかで入れ替わりが発生するとみて間違いない。
旅館の人がやってくれるであろうに、律儀に布団を畳みながら竹内千尋は言う。
「磯野、準備できたら朝ご飯までのあいだに台詞確認しといてね」
台詞?
そうだよ! 撮影旅行なんだから再撮影なわけで、先週苦労して演技したシーンのやり直しじゃねーか。すっかり忘れてた。たしかリュックにちゃんと台本と衣装入れてたよな?
俺は台本をパラパラとめくり自分の台詞を確認する。
「なあ千尋、そういえば妹役って、演研のあの子連れてきてないよな?」
「あれ? 聞いてなかった? ちばちゃんだよ」
え? 青葉綾乃ではなく?
たしかに台本のキャラのイメージ的にはおとなしい女の子で合ってはいるが……。おとなしいのと、おとなしいキャラを演じるのとではまったく難易度がちがうと思うんだが。
しかし、ここでなぜ青葉綾乃じゃないのかとか、そもそも演劇研究会のあの……名前忘れた。ともかく、一昨日のことを覚えてないことに気づかれたら、また厄介なことにもなりかねん。みんなの会話のはしばしからさぐることにしよう。





