06-04 高木って誰だよ!
浴衣ほんのりラブコメ回です。
……ダメだ、すっかりのぼせちまった。
朦朧とした意識のままなんとか部屋に戻った俺は、すでに敷かれていた布団に倒れ込んだ。晩飯まで起きている気力などもう無い。
……マジもう無理。
……ちょっと休ませてく……れ……。
ドンという音に気がつく。
遠くから聞こえてくるその音が花火だと気づいたときには、すでに暗くなっていた。
また入れ替わりか?
……いや、しばらく寝ていたのか。
「目が覚めた?」
女の声が近くにあった。
意識を天井に向けると、浴衣の胸元から喉、そして、口元までが滑るように視界に入り込む。爽やかさと艶やかさが入り混じった空気が、俺と女のあいだに佇んでいる。その色香に身動きが取れないまま、はっきりしてきた意識をもって俺はその女の顔へと目線を移した。
「なんだ、怜か」
「なんだって、なんだよ」
そうは言ってみたが、先ほどまで妄想とはいえ、裸体をイメージしていた本人との対面。気まずいどころではない。
……ていうか、なんで男子部屋にいるんだよ。
だがそんなことより、怜の吐息が妙に俺の首辺りにかかる。
……これは、少なからず動揺を誘う。
そもそも、こいつは黙っていれば可愛い。
ふだんは憎たらしさのほうが勝って気にはしていなかったが、目の前の浴衣美人に穏やかならざる気持ちを抱いてしまう。
「ああ、いや悪い……なんだ、付き添ってくれてたのか」
「え? いや、そんなんじゃなくて……いまさっき様子を見にきただけだから」
顔をそらし、頬を染める千代田怜。
顔を別へと向けてくれたお陰で、彼女の吐息から逃れることができた。
ふだんなら、そんないじらしい素振りを見せられたところでどうということはないのだが、
……今回ばかりはちがう。
露天風呂での妄想による裸体、さきほどの吐息、そして、本人は気づいていないが絶妙に崩れた浴衣姿。このようなものが目の前にあれば誰だって劣情を抱いてしまうだろ。しかも湯上がりだぞ、湯上がり。
――だが、胸は無い。
いや、今回は口に出しては言わない。面倒見のいい怜のことだ、いまさっき来たというのも嘘だろうし、てことは数時間とはいわないまでも、しばらくのあいだは付き添ってもらってたってことだろう? そんな相手に胸のことをとやかく言うほど俺は鬼畜ではない。
「みんなは?」
「晩ごはんが終わって花火を見に行ってるよ。ロケハンで最初に行った湖岸」
そういえば夜になったら花火大会があるって言ってたな。てことは、いまは夜の八時?
「磯野も行く? 晩ごはんは旅館の人にとっておいてもらってるから、もしお腹空いてるならさきに食べてからでも大丈夫だけど」
「大丈夫だ。まだ食欲ないし俺も行くかな」
そう言って上体を起こすと、若干のふらつきがあった。それでも、風呂に行くときよりはマシになっていた。やはり三時間程度といっても睡眠は大事だな。
そのまま立ち上がろうとしたとき、俺の三半規管はどう処理を間違えたのか、ぐらっと大きくかたむいた。
かたむくさきには、同じく立ち上がろうとする千代田怜。
「きゃっ」
女の子らしい小さな悲鳴が部屋に響く。
え?
気がつくと千代田怜を押し倒した状態。
互いの顔と顔がもう少しで触れ合いそうになる距離にあることに気づいた。
目を見開いて俺を見る怜。
――ヤバい、めっちゃ可愛い!
いやいや……いかんだろ、これは。
気まずさに腕に力を入れて体を起こそうとしたとき、
「……まって」
花火と重なりながら、囁くような声が、耳に届いた。
「……怜?」
逸らそうとしていた顔を正面に戻すと、怜は儚げな目で俺を見つめてくる。
……なんだよこれ……ものすごく綺麗だ。
しかも押し倒してしまった衝撃で、千代田怜の浴衣がさらに乱れたことで、首筋から胸元にかけて白い肌が露わになってしまった。そして、いままで気づかなかったけど、思っていたよりもわずかだが、小学校高学年のような、そう、つぼみのような膨らみが――
と、そのとき気づいた。
――そうだ、俺は、
鎖骨萌えなのだと。
どーでもいいわ! 性癖の再確認なんてホントどうでもいい! そんなことよりいま「まって」って言ったよな? これってもしか……しなくとも、
――求められている?
キャー。
やかましい!
……じゃなくてだ、どうしたんだ千代田怜。いや、だが、俺もまた少なからずいま目の前にいるこの女の子に心惹かれている気がする。
まてまて慌てるな。目の前の欲情を誘うシチュエーションに呑まれてしまって、好きとか嫌いとか、そういう恋愛感情をすっ飛ばしてしまっている気がするぞ。……わからない。この欲情はひとまず置いておくとして、
――俺は千代田怜のことが好きなのか?
って、欲情など置いておけるかーい!
だが、ならこの状況をどう乗り切ればいい?
いや、乗り切るんじゃない。これはもういっそのこと欲情に身をまかせるべきではないのか? 迷う時間は無いぞ磯野。この瞬間の千代田怜は恐ろしく魅力的だ。この儚げな目で見られていながら、機を逸してしまうラブコメ主人公のような腰抜けな真似などできるものか!
そうだよ、ラノベでもアニメでもいい、こんなシチュエーションを見る度、俺はいつも主人公にこうdisってたじゃねーか、
――この根性無しが!
……いやいやまて、おまちください磯野さん。このまま事を進めてしまったら千代田怜と付き合うことになるんだぞ。それで……てことは……付き合うということは、こいつの属性が反転して俺の前ではデレまくるということになるのか? いわゆる千代田怜オルタなのか? うわあ……なにそれ、すごくいいかも……。まてーい! なんだ俺の頭の中は! 目の前の欲情から目を逸らすために、素数を数えるみたいな頭の使い方しやがって! まるで無力じゃないか! まるで無力な俺は! まるで……まるで……高木――
「高木って誰だよ!」
「……磯野?」
よし、覚悟を決めろ。男になるんだ磯野。そうだ、怜も受け入れてくれているんだ。
それにもし「致した」ところで「勘違いしないでよね! 一回くらいで彼氏面なんかするんじゃないわよ!」みたいなことだってあるかもしれないじゃないか。てか「わよ」ってなんだよ「わよ」って。いまどきこんな女言葉を使うやつなんか……ネカマ講座でしか……って、そんなこと考えてる場合か!
いくぞ、磯野。
そう、ゆっくり、ゆっくり顔を近づけて……。
怜はゆっくりと目を閉じる。
花火にうっすらと照らされる中で。
そして、お互いの吐息が混ざり合うその距離まで――





