06-02 今日のちばちゃんのパンツ、ピンクですよ
演劇研の今川を加えた映研面子は、無事洞爺湖に着き昼食をとる。その間、磯野は現実世界不在時に何があったのか探る。
昼食を堪能した映研一行はロケハンへと向かう。
ロケハン――ロケーション・ハンティング。
撮影前に舞台となそうな場所を探しに行くわけだが、プロデューサーの柳井さんと監督の竹内の二人で回ってくれればことは済むはずだった。ところが、ほかの連中が手持ち無沙汰になるため、みんなでゾロゾロ団体行動となった。気分は観光である。
見てまわる場所は三ヶ所。とはいっても、その中から最終的にロケ地を一つに絞るらしい。撮影時間は明日の日中しかないため、妥当といえば妥当だな。その三ヶ所をめぐるあいだに、途中目ぼしいところがあれば立ち寄るという感じだ。
まずは徒歩にて湖岸へと向かう。
「いーそのさん」
振りかえるとTシャツにショートパンツ姿の青葉綾乃が、笑顔で駆け寄ってきた。そのうしろには、麦わら帽子に水色のワンピース姿のちばちゃんがたとたととついてくる。活発な女の子と、いいところのお嬢さんの組み合わせ。夏の青空を背にした二人は、よく似合っていた。
「お昼ご飯ご馳走さまでした!」
青葉綾乃がペコリと頭を下げ、ちばちゃんもそれに習った。
「全然だよ。高校生に払わせるわけにはいかないから。それに映研みんなで割ってるからべつに俺ひと――」
「今日のちばちゃんのパンツ、ピンクですよ」
ぶほっ! つ、唾が……!
「な……なんで知ってるんだよ!」
青葉綾乃は満足げに笑顔を向けてくる。
「いつも確認してますからね。バッチリです!」
……なにがバッチリなんだ。
青葉綾乃は霧島榛名とはまた違ったイタズラ癖があるな。しかも年下な分だけ余計タチが悪いように見え――
「磯野さんも見ます?」
「へ?」
青葉綾乃の言葉面とは裏腹に理解に苦しむひと言が、俺の脳みそにnull的なエラーを吐き出させる。
……なんだ。見るってなんだ。文脈的にはパンツだ。そうだよ、ちばちゃんのパンツってことだよな。だがしかし、「パンツを見る」なんて日常会話に入り込む言葉じゃないぞこれh――
――青葉綾乃は、おもむろに、さり気なく、ちばちゃんのワンピースの裾をつかんだ。
俺の視覚は、永遠に近い相対速度に囚われる。
ゆっくりと引き上げられ露わになるちばちゃんの白い太腿。青空とのコントラストがとても眩しい。そこからさらに上方へとワンピースが引き上げられ、そのさきにある花園への己の期待に気づきかけたそのとき、
俺の右頬に衝げk――
パンチライン!
思いっきりふっ飛ばされたのち、右ストレートをキメた千代田怜の雄姿が目に入った。
「痛ってえなあ! いまガッっていったぞ! ガッて!」
「あったり前でしょ! 綾乃ちゃんもちばちゃんをオモチャにしないの!」
「だってえ……」
「だってじゃない!」
必死にワンピースを抑えるちばちゃんと、怜の負のオーラに気圧されて珍しく涙目になる青葉綾乃。ちばちゃんを見ていた柳井さんと今川もまた、怜の眼光に恐れをなして目をそらした。
まったく毎度毎度きれいに決めやがって! 角生えたねーちゃんって呼ぶぞこのやろう。
ふとさきを見ると、一連の出来事に気づかず軽やかに歩いて行く、竹内千尋の背中があった。
十分ほどで湖岸に到着。
ここから眺める湖はとても見晴らしが良かった。青空が反射した湖面とその奥に見える中島がたいそう絵になる。
撮影するにあたり、抜け――背景にするならここがいいとはしゃぐ竹内千尋。
「撮るならあの中島も入れたいなあ。怜、そこ立ってもらえる?」
「いいよー」
千代田怜が立ったところで、千尋は首にぶら下げていた、昨年末に手に入れたというターレットファインダーなるもので覗き込んだ。
小さな望遠鏡が複数付いたようなそれは、レンズを切り替えることで、二八ミリから一三五ミリまでの口径レンズと同じ見え方をするらしい。千尋曰く「一眼でもいいんだけどね、けどこっちのほうが軽いし気分が出るからお気に入りなんだ」そうだ。
柳井さんは再撮影のカット数と撮影時間を割り出している。
女子高生二人とだらしない顔をした今川は、湖を見ながら千尋とは別の種類のはしゃぎ方をしていた。
撮影組と観光組。俺もどっちかに混ざってもよかったのだろうが、寝不足によるだるさが抜けないためそんな元気はない。
と、うしろを見ればちょうどいいベンチがあるじゃないか。撮影組の作業が終わるまでとくにやることもないし、腰をかけるとするか。
「磯野ー、あれ友達だよ、あれ」
千代田怜の指差すさきには中島があった。……って、
「やかましいわ!」
さて、考えなければいけないことが三つある。
さきほどのノートの件。
「もう一人の俺」が、情報共有用のノートを用意していないのであれば、いまのうちに俺が手に入れておかなければならないだろう。旅館の近くにノートを買える……コンビニはあるんだろうか?
もう一つは、柳井さんに実情を話して味方になってもらう件。どこかで話は切り出せるのだろうが、柳井さんは、いまはロケのことで頭がいっぱいのはずだ。……うーむ、旅行中に話すのはやっぱり気が引けるな。
とはいえ、次の入れ替わりまでになんの進展もないということは絶対に避けたい。ロケ中は論外だとしても、晩飯のあとや、千尋との打ち合わせが終わるのを見はからうのが話を切り出すタイミングだろう。
そしてもし可能ならば、ちばちゃんと二人きりでの接触。
だがこれに関しては絶望的だろう。基本青葉綾乃という保護者がつきっきりになっているのに加え、ロケ中の拘束時間、そして、もしうまく青葉綾乃と引き離せたところで、千代田怜という新たに増えた保護者の存在がある。
ちばちゃんと二人きりになれる可能性は、いままで以上に低くなったわけだ。……けど、そんなこと言ったら撮影旅行など関係なく、今後もこの高難易度が続いてしまうことになるぞ。やはり柳井さんを味方につけたあとじゃないと無理があるな。
顔を上げると、今川が柳井さんに関節技をキメられていた。
「ホントごめんなさい! ギブ……ギブ!」
なにも言えねえ……。
最後のロケ地候補に到着するころには、寝不足の俺の体は限界に近づいていた。
一方、女子組は車から降りるなりはしゃぎまくっている。
「硫黄のにおいすごいね!」
千代田怜が楽しそうに言った。
「ほらちばちゃん、あそこ、煙ってるよー」
同じく浮かれる青葉綾乃の言葉に、ちばちゃんは呆然としながら昭和新山を眺めていた。
「あれが天然レンガってやつか」
柳井さんも感心して見上げていた。
そして、千尋は……例のターレットファインダーをのぞきながら、あちらこちらへと構図を探して歩き回っていた。
旅館への帰りの途中も寄り道をしながらめぐり、ロケハンが終わるころには午後四時を過ぎていた。さすがにクタクタだ……。
旅館へ戻り男部屋に戻った途端、俺は畳の上に倒れ込んだ。
「磯野、そのまま寝たらダメだよ。夜は冷えるよ」
そう言って、うつぶせに倒れている俺にタオルケットをかけてくれる竹内千尋。なんだよ、おまえ気遣いできるじゃねーかよ……。いい嫁さんになれよ……。
「礒野、晩飯前に風呂に入ってくるが、行くか?」
「……え? いま何時ですか?」
うつ伏せのまま一時間近く寝ていたらしい。
柳井さんと千尋は、俺の寝ている間に明日の撮影の打ち合わせを終わらせたらしい。そして、ひと段落ついたので風呂にしようということになったそうだ。
いまの俺は風呂に入る気力も無いんだが……。とはいえ、いま後回しにしたとしても、夕食後すぐには風呂など入れないわけで、そうなると腹が落ち着くまで待ってから……いや、やはり寝てしまうな。ならさきに俺も一緒に風呂に行ったほうがいいのか。うーん……仕方ない。





