06-01 あんたのせいで予定狂ったんだから、全員分おごりね!
電話で叩き起こされた磯野は、寝てる間に現実世界に戻されていたことに気づく。そして、映研の撮影旅行へ。
千代田怜の怒涛の目覚ましコールによって、寝てる間に映研世界に戻ってきたことを知った朝の十時半。
そこから慌てて着替えて、おそらく「もう一人の俺」が用意したのであろう旅行用リュックを背負って家を出た。……のだが、結局、柳井さんの車にピックアップしてもらったのだった。
千代田怜の車に乗らなくて済んだのは幸運だった。怜の車なんかに乗ってみろ、目的地に着くまでひたすら小言を聞かされ続けていただろう。
こうして映画研究会の撮影旅行に不参加、なんていう事態は免れたのである。
現実世界に戻ってきたんだ。この貴重な時間を使って、ちばちゃんから色の薄い世界に迷い込んだか訊き出さなければならんというのに、こんなところで置いてけぼり食らってはたまったものではない。
とはいえ今日は八月十一日。山の日である。
つまり、お盆休み初日の国道二三〇号線は大渋滞であった。
のろのろと動く柳井さんの車内空間は、ローリング・ストーンズ? のヘビーローテーションで埋め尽くされていた。「黒くぬれ」……だったか、そんなマイナー進行のむかしの曲が睡眠不足の俺をジワジワと蝕んでいく。
だがしかし、後部座席の竹内千尋はひたすらニコニコ顔で過ごしていた。
この閉鎖空間で、いつも通りとはいえ平気な顔をしていられる竹内千尋の頭はどんな構造だろうと疑いたくもなるが、おおかたこれから撮影するカットを、心をときめかせながら組み立てているのであろう。
それでもあえてたずねてみると、映画「ショーシャンクの空に」のアンディ・デュフレーンのように人差し指でこめかみを軽く叩いて「ここでも音楽が流れてるからね」と笑顔を見せた。まったくたいした野郎だよ。
後部座席といえばもう一人、急遽再撮影にスケジュールを合わせてくれた奇特な演劇研究会部員がいた。今川である。だがこいつはストーンズのヘビロテとは別の理由でひどく落ち込んでいるらしい。
「今川、現地に着いたらまた女子連中とは合流できるんだから、そんなわかりやすい気の落とし方なんてしなくていいじゃないか」
と、俺は慰めの言葉をかけてやるのだが、
「磯野ちゃーん、それでも三時間だよ? 三時間。しかも、女子高生が二人もいるような夢の空間なんだよ? いまのぼくの心はまさにハートブレイクなんだよなあ」
おい今川、心とハートで二回言ってるぞ。ルー語を極めるなら少々詰めが甘いな。あと怜について触れなかったのは聞かなかったことにしよう。
「今川、来てもらったのはありがたいが、おまえと女子連中を同じ空間に置くことは俺が絶対に許さんからな」
仏頂面の柳井さんが警告した。
「柳井さーん、人呼んどいておもてなしの気持ちとかないんですか? ひどいわー」
「あとで俺が思う存分「おもてなし」をしてやるから楽しみにしてろ」
わざと低い声を響かせる柳井さんは、渋滞と相まって不気味なオーラを醸し出した。今川は黙った。
とまあ、俺たち四人は今日もまた雲ひとつない晴天のもと、目的地までの三時間を楽しんだのであった。なんだかなあ。
さて、俺が不在中の撮影旅行までの経緯は、一昨日の九日に竹内千尋と青葉綾乃で盛り上がったところから、青葉の親戚が経営するという旅館の許可も取れて早急に実現し、昨日のうちにその他もろもろの手配を済ませてしまったらしい。いくらなんでも早すぎだろ。
この中国大返し並の段取りの良さは、主に旅行に行きたがっていた千代田怜によるものなので納得ではあるのだが、みんな墓参りはどうなってんだ? 磯野家は例年通りお盆をはずすので問題ないが。そもそもお盆のこの大移動に合わせて撮影旅行に行くのもどうかと思うのだが。
午後一時半に旅館に到着。
どこもホテルと冠する建物がそこかしこにある温泉街で、湖から少し離れところにあるこじんまりとした老舗旅館。これが、青葉綾乃の親戚の経営する旅館だった。
女将さんに挨拶したあと、男女それぞれに別れて部屋へと移動した。
お盆休みというのもあって、家族連れとたまに見かける外国人観光客で賑わう温泉街で、ここの旅館の客層は年配の夫婦とやけに落ち着いていた。いわゆる穴場的な旅館なのだろうか。
ところで到着するまでのあいだに気になっていたことがある。
この映研世界における大学ノートの存在についてだ。とは言っても、ちばちゃんのノートではない。
――もう一人の俺が用意するであろう映研世界側のノート。
もし、不在だった昨日の映研世界で、オカ研で俺がやったのと同じように「文字の浮かび上がり現象」を「もう一人の俺」が行ったのならば、今朝起きたときにすでに用意してあった撮影旅行用のリュックサックのなかに、そのノートが入っているだろう。なぜなら、いつまた入れ替わりが起こるかもしれないのに手元に置かないほうがおかしい。肌身離さず持ち歩いて、情報共有するためのメモを書き加えようとするはずだ。
しかしピックアップの際、リュックを柳井さんの車のトランクにおさめるまでノートのことを失念してしまっていた。
そこで男部屋に入ってすぐにリュックの中を確認してみた。……のだが、どこを探しても見つからない。ということは、
――昨日映研世界にいたもう一人の俺は、まだ文字の浮かび上がり現象を体験していないってことか?
たしかに俺ともう一人の俺が同じタイミングで、情報共有手段を思い出すことはないだろうが、それにしたって鈍すぎないか? もう一人の俺。
と、部屋を見まわすと俺一人。ほかの面子はすでに昼食を取るため、部屋をあとにしていることに気づいた。薄情だなおい。
「遅い!」
玄関を出るなり千代田怜にどやされた。
今朝の寝坊もあって不機嫌顔をむけてくると思った。が、ネチネチと小言を言われることはなかった。
「あんたのせいで予定狂ったんだから、全員分おごりね!」
そんなことを言う千代田怜は、意外なことにニコニコ顔だった。……ああ、旅行がそんなにうれしかったのな。
こうして映研メンバー一行は、歩いて五分程度の寂れた蕎麦屋に入った。
外の日差しとは対照的に、木の質感漂うひんやりとした少し暗めの空間。そしてほどよい寂れ具合を演出した風情のある店内。
いいねえ、こういうの。しかも午後二時も過ぎて客もまばらであり、それもまたくつろぐのにちょうど良かった。
メニューには天ぷら系の定食に蕎麦とうどん。さりとて、観光地なだけあってどれも千円前後と学食に頼る大学生の財布には優しくない価格帯。ちょっとまて。俺の財布にいまいくら残ってる? ……二万六千円……だと。
「磯野、なに財布のぞき込んでるの」
「いや……俺、結構金持ってるんだなって」
「はあ?」
「やっぱり、ここは磯野ちゃんのおごりということで」
「誰が払うか!」
なるほど、オカ研の俺は優秀だったらしい。
給料日だった昨日のうちにお金を引き出してくれたようだ。ありがたい。けど財布が潤ったとはいえ、旅館への支払いもあるよな。
青葉の親戚の旅館ということで、割引があったとしても、七月のバイト代がほぼ消えるんじゃないのか? 忌ま忌ましい。
みんなは奮発してオススメの定食を頼んでいたのだが、そんな中、俺はざる蕎麦を選んだ。メニューの中で安いものを選んだとか気にしてはいけない。海苔がかかっているぶんだけ、もり蕎麦よりも高いわけだし。そもそも、とてもおいしかったんだからそれでいいのだ。
……寝不足で食欲がなかったことが主な理由だが。





