05-08 なるほどね。もう一人の僕はそんな感じなんだ
現実世界へ戻った際の対策を練ったオカ研面子は、異世界の入り口となった学生生協前のベンチの検証へ向かう。
こうして学生生協前ベンチを調べることとなった。
八月七日以来、意識的に避けてきたベンチを目の前にする。
色の薄い世界へと迷い込んだこの場所には、若干のトラウマがあるようだ。
……そりゃそうだ。どこに行っても誰にも出会うこともないあの世界は、恐怖でしかなかった。ふたたび迷い込み、あの世界に閉じ込められてしまうことなどあろうものなら、つぎこそ頭がおかしくなってしまうだろう。
とはいえ、解決の糸口の一つがこの場所なのだから――
「礒野どうだ? なにか変な感じとかあるか?」
「いいえ」
「とりあえず、座ってみろ」
柳井さんの言葉をうけて、覚悟を決めてベンチに腰かけた。
「……なにもありませんね」
「映研世界じゃないから反応がないのかもしれん」
正直、俺は安堵してしまう。
「そういえば、もう一人の俺も、この場所から色の薄い世界に迷い込んだんだろうか」
「磯野とおなじ状況なら、その異世界には行ったことがありそうだが」
「――入り口が違う可能性がある?」
「そうだな。それに関しては、明日入れ替わった側の磯野に聞いておこう」
「お願いします」
竹内千尋は一人ベンチを見つめながら、ぼそりとつぶやいた。
「べつの世界にもう一人の自分がいて、もう一つの日常を過ごしているって考えてみると、なんだか不思議な気分になるね。磯野、むこうの僕はどんな感じだったんだい?」
「え? ……うーん、千尋は千尋のままだよ。柳井さんもそんなにかわらないかな。ただ千尋と柳井さんは映画制作に力を入れている。とくに監督の千尋は、映画作りにのめり込んでいる感じかな」
「なるほどね。もう一人の僕はそんな感じなんだ。映画かあ、ちょっとうらやましいかも」
千尋はそう言って、ふだんは見ることのない、少し寂しそうな表情を浮かべた。
そうだよな。
いま置かれている状況って、人生のある地点での現実とは違う分岐――いわゆるifを見せられているようなものだしな。
もう一つの人生を見ることができるなら、オカルトがどうとか関係なしに知りたいのもわかる。
「ねえ磯野、わたしの話がないけど」
「なんだ、気になるのか?」
「……うん。なんかわたしそっちのサークルで役に立ってなさそうだし。そこんとこどうなの?」
なんだよ、そんなこと気にしてるのかこいつは。
「察しろよ怜」
「うええ……。なにやってるんだ映研のわたし」
「俺とお前は、むこうの世界でもおんなじなんだよ」
怜はものすごく嫌そうな顔したあと、無言のまま顔を背けた。
「なんだこのやろう」
「千代田も磯野もべつに役に立ってないわけじゃないだろう」
「だって、みんなで映画作ってるって、めっちゃ充実してそうじゃないですか。そんな環境でも、むこうのわたしはたいしたことしてないんですよ?」
「まあ、やる気がなかったんじゃないのか? いつも通りだろ」
「柳井さーん。言っていいことと悪いことがありますよ。磯野もなにか言ってやり……いや、磯野はしょうがないか」
「味方を瞬時に切り捨てるスタイルやめろ」
「さっきのお話もそうでしたけど、もう一つの世界にいるわたしについて相談されているって思うと、なんだかこそばゆいですね」
ちばちゃんはそう言って微笑んだ。
そういえばさっき榛名は、映研世界に自分の存在がないことについて本当に平気だったんだろうか。ただの強がりで、本当はショックを受けていたってことはないのか?
あいつはいつもあんな感じだが、いままで弱音を吐いたことないんだよな。本当は無理やり明るく振る舞っているってこともあるんじゃ――
「礒野さん?」
「ああごめん。ちょっと考えごとを」
さて、と柳井さんは軽く伸びをした。
「とりあえず今日のところはこれで解散だな。他にもいろいろと検証したいことはあるが、また明日にしよう」
「明日はおそらく、もう一人の磯野が来ることになりそうだね」
千尋が楽しそうに言った。
「俺はイタコかなにかか」
「まあ、似たようなものかもな」
「……ですよね。柳井さん、明日もう一人の俺に会ったらよろしく伝えてください」
「わかった」
柳井さんは複雑な笑顔を浮かべた。
まあ、自分への言伝ってのも変な気分だよな……。
家に帰ってからはとくになにごともなかった。
ノートの書き込みも追加されることがないまま、ジョンの散歩をすませて八月十日は終わった。
……わけではない。
世界の切り替わりをいつでも確認できるように、夜中もずっと起きている羽目になってしまった。勘弁してくれよもう……。
この先の数日は、起きられていられるだけ起きて、切り替わった時間を確認しないといけない……ってことだよな、これ。
とはいえ限界はあった。
朝の三時あたりまでは記憶があったような気がしたんだ。そのあいだ眠気を吹き飛ばすために、ひたすら「ウォーキング・デッド」を垂れ流し続けていた気がする。そうだよ。ゾンビでも観てりゃ眠気も覚める、そう思ったのだ。
――だが……なんでシーズンⅡの途中から記憶が無いんだ?
八月十一日。
目覚ましアラームがひたすら鳴り響く。
…………いや……違うな。これって――
「……はい、もしもし」
「磯野! いま何時だと思ってるの!」
怒鳴り声というのは、男女共に不快感を与えるものであるが、女のそれはキーが高いこともあって、なおさら耳にダメージを与えるたぐいの音であることを改めて思い知らされた。
「え? ああ……十時三四分だな」
「もしかして、磯野……あんた寝てたの?」
昨日もたしか聴いた覚えのある「バッカじゃないの!?」という罵倒が耳もとへ届いた。
……ああ、この声は怜か。
てか、こんな時間になんだよ。だれもモーニングコールなんか頼んじゃいないぞ。さっさと切って二度寝してやるぞこのやろう。
しかし、千代田怜の次の言葉で、事態を把握することができた。
「九時に南門前集合! ……もしかして忘れたの? まさか、撮影旅行のこと忘れてないでしょうね!?」
え? 撮影旅行……?
05.もう一人の磯野 END





