04-05 もう一度書き込もうとしたら、また同じことが起こりませんか?
ペンを近づけると、書こうとした文字が浮かび上がるという超常現象を目の当たりにした磯野は――
柳井さんと千代田怜は、一様に顔をしかめた。
そりゃそうなるわな。俺だっていま起こったこのデタラメな状況を理解できていないんだから。
「どういうこと? 磯野、それ日本語になってない」
「けど磯野さんのいうとおりなんですよ。磯野さんが書くときにバッて感じで」
ミートボールを挟んだ箸を持ちながら、ちばちゃんが懸命にフォローを入れてくれた。
一昨日とはちがい、この超常現象を目の当たりにしてくれている人間が、俺のほかにもいる。さらに、目撃の証人として発言してくれるのは、正直とてもありがたかった。けど、バッて……。
俺はちばちゃんに、人差し指と中指で口へ運ぶジェスチャーをして見せた。それを見たちばちゃんはハッと赤くなったあと、箸で掴んでいたミートボールを口のなかに入れた。これでよし。
よほどミートボールがおいしいのだろう、思わずひとり微笑むちばちゃん。とてもかわいい。そんなにおいしいなら、そのミートボール一つ所望したい。
「え? 磯野、手品でもしたの?」
千代田怜が、極めて常識的な質問を投げかけてきた。
「そうだったんですか?」
ミートボールを食べ終わったちばちゃんも、理屈の通るこの質問に乗って俺を見た。
なかば疑いを向ける怜の目と、驚き丸くするちばちゃんの目。
目つきこそちがうが二人とも「手品なんて、そんな器用なことできるの? あの磯野が?」とでも言うように俺を見てくる。
ばかやろう、見くびるなよ。たかが手品なんぞ俺にかかれば――
「できるわけないだろう。だいたいにおいて手品なら、注目も集めていないのにやっても意味がないだろ」
「そんなこと言って、ちばちゃんにだけ興味引かせてあとでいかがわしいことを」
「だからなんでそういう方向になるんだよ。いっそのこと薄い本でも書いてろよ」
「う、薄い本って……」
勝手に自爆する千代田怜。
それにしても、この程度でダメージを食らう乙女成分の半分でも榛名に分けて欲しい。……いや、本当に乙女なのか? エロい方向に結び付けるのに? そもそも怜は、俺とちばちゃんをネタにどんな妄想を膨らませているんだ?
……えっと、ちばちゃんの純真な心につけこみ、野獣のように牙を剥く俺。……だがしかし、すぐに脱がせないで、下着姿になったちばちゃんの恥じらうさまをゆっくりと眺める俺。……うん、良いかも。あられもない格好のちばちゃんは、瞳を潤ませながらそことかあそことかを手や脚で隠そうとするけれど、隠し切れない感じのやつを眺める俺。そして愉悦に浸る俺。 ……ちなみに白か? いやいやピンクも捨てがたいぞ磯野。……うーん、非常に悩ましい……。
そもそも、あられもないのあられってなんだ?
……って!
……まてまてまてまてちょっとまて! まってください奥さん! たしかに、いきなり裸より着衣のほうが盛り上がりますが、それよりもなによりも、最後に「俺」って入れるとものすごくダメージ食らうんですが……。やっぱり、エロ同人は、第三者目線で読みたいものだよな。しかも、それを千代田怜がフフッとか言いながら妄想してるとか、勘弁してくださいよホントに。
俺もまた余計な妄想で頭を抱えていると、さきほどの自爆から立ち直りつつある千代田怜がふたたび口をひらいた。
「……だったらなにをしたの」
「俺が訊きたいよ」
にしてもこの箇条書き、俺が書いていないのにどう見ても俺の筆跡のような気がする。書かれている筆跡はあまりにも見慣れ過ぎていて、単に似ているというレベルを超えていたからだ。それなら、この箇条書きは俺が書いたということになるのか?
ペンを近づけただけで、一瞬にして文字が浮かび上がるという現象。
この「文字の浮かび上がり現象」は、俺一人がこの現象を目の当たりにしたなら、秒いや、分レベルの記憶障害として俺自身を疑っていたかもしれない。
しかし今回は、となりでいまだに目を丸くしているちばちゃんもまたこの不可思議な現象を目撃したのだから、記憶障害の線はないと見ていいだろう。言い換えれば、いま俺が目にしたのは超常現象である、ということが、第三者立ち会いのもと確認されたわけだ。これはとても大きい。
「磯野さん、もう一度書き込もうとしたら、また同じことが起こりませんか?」
ちばちゃんから興味津々の実験提案。
俺はうなずき、ボールペンを持つ。
柳井さんと千代田怜も注目してくる。
霧島榛名は、相変わらずパソコン画面をのぞき込みながら、キーボードとマウスをせわしなく操作していた。FPSでもやっているのか? いや、それより――
「そんなに注目されたら書きづらいだろ」
「なんでもいいからさっさと書きなよ。あかさたな、とかでいいから」
「そうだな。とにかく書いてみろ」
あかさたなって……。
投げやりな二人の指示に、俺はしかたなく思いつくままにペンを走らせた。
――あいうえお
なにも起こらない。
正確に描写すると、プリントに「あいうえお」と書き加えられただけで、その文字が書かれる前になにかが浮かび上がってくることも、書いたあとになにかが付け足されることもなかった。
つまり紙に書くと文字が書き記されるという、原因と結果、いわゆるアリストテレスの因果性および自然界における物理法則がちゃんと成り立っていたのだ。普通はそうだよな。
「変ですね。さっきはバッて感じですごかったのに」
ちばちゃんはバッという表現が気に入ったらしい。このあえて語彙力を喪失させた表現に、ちばちゃんの心に響くものがあったのだろうか。期待が大きかったのだろう、ちばちゃんはなにも起こらないことに悄然として、プリントを手に取って見つめた。
……まあ、超常現象なんてそう何度も起こったらたまらんわな。
そんなことを思いながらも、この数日、俺の身に降りかかっている数々の理解不可能な現象を思い出して、どうしようもないため息が出た。
意外にも、柳井さんと怜に若干の落胆が見えた。
二人は、特にちばちゃんに対して、なんと声かければいいか躊躇っているようだ。
と、部室のドアがひらく。
「お疲れです。あれ? みんなでなにやってるんですか?」
竹内千尋は、爽やかな笑顔で俺たちに問いかけた。





