04-01 千代田は……まあ…………な
磯野は、覚醒している状態で世界の入れ替わりを体験してしまい、オカ研世界をもう一つの現実世界と確信する。
本来あるはずの無いオカ研グループと霧島榛名のアイコンが、SNSの画面にひたすら流れていく。
もう一度、時間を見る。
午後七時三分。
SNSアプリのトーク一覧を表示し映研グループを探すが、どこにも見当たらなかった。その間も、オカ研グループからの通知の赤い数字がどんどん増えていく。
おい、待てよ。いまのいままで現実の世界にいたはずなんだ。
……それが、どうしてこうなる?
もしオカ研世界に切り替わったとしたら、さっきの違和感――色の薄い世界に訪れたときの匂い、それを感じた一瞬。
いや、待て待て……そんなことが本当にあるのか?
もう一度目を閉じたら、映研グループに戻っていないだろうか。
意識をほかに向けたら、さっきのはただの錯覚だった、なんてことにならないだろうか。
そんな俺の望みもむなしく、スマホの画面には霧島榛名と千代田怜のどうでもいい……本当にどうでもいいスタンプバトルがたれ流され続けていた。
……もう夢だなんて言ってられないだろうこれは。
世界の切り替わる瞬間が、寝ていたり、意識を失っていたのだとしたら、以前に見た夢の続きをまた見る継続夢ってこともあったかもしれん。
だが、さっきのは違う。
俺の意識が覚醒している最中だったんだ。
だとしたら……そうか、夢ではないのなら、このオカ研世界は、
――現実に存在する、もう一つの世界なんじゃないのか?
いままでだったら、ご冗談でしょう? 磯野さん。などと、己の考えを鼻で笑ってすませていただろう。が、いまこの瞬間も、俺の意識ははっきりしてしまっている。
――そう、これは現実だ。
だとすれば、俺が見つけ出さなきゃいけないのは、
――元いた世界である映研世界と、いまいるオカ研世界、この二つの世界の往来を止める方法。
だが、その方法を見つけるにはどうすればいい?
さっきの世界の切り替わる瞬間のあの匂い、あの感じ、あれはやはり一昨日に迷い込んだ色の薄い世界だろう。
あの色の薄い世界がきっかけとなって、元いた世界とオカ研世界の入れ替わりが起こっているんだとしたら、もう一度あの世界に訪れて「なにか」をしないといけないのかもしれない。だがなにかってなにを? まったく解らない。それに、そもそも、
――あの色の薄い世界にどうやったらたどり着ける?
翌日、八月十日 午前十時半過ぎ。
少年野球をしていたという霧島榛名は、いい球を投げる。
榛名の球をグローブで受け、それなりに勢いのある球を投げ返してやると、これまた器用にキャッチする。
この世界の記憶では、昨年の夏に霧島姉妹が入部した。
それから一年、榛名は俺にとっていいキャッチボール相手になった。おたがい気が向いたら、その日グラウンドを使っている運動部に断りを入れて、すみっこでキャッチボールをさせてもらっていたのだ。
それはいい。
なんで朝っぱらから、俺は榛名とキャッチボールしているのか?
入れ替わりがあった翌朝、俺は元の世界に戻れたか気になり早起きをしてしまった。しかし、そこがオカ研世界のままだと悟っても、いまさら二度寝する気にもなれない。
それなら家にいてもしょうがない、ということで大学へと向かい、午前十時には文化棟に到着したのだった。
管理室によると鍵はすでに貸し出されていたので、三階まであがって部室のドアをあけると、ソファであぐらをかいている霧島榛名がいた。霧島榛名はあきらかに暇を持て余しており、俺を見るや満面の笑みで半ば強制的にキャッチボールに連れ出した。
つまり、そういうことだ。
そして残念ながら、いま現在、午前十時半までのあいだに、現実世界に戻ることはなかった。……なにやってんだろうなあ俺は!
そもそもなぜ霧島榛名は、俺とキャッチボールをするくらいに暇を持て余しているのに、朝っぱらから部室に来ていたのか。
昨日の千代田伶とのどうでもいいやり取りで、部室のパソコンを使うためらしいというのは明らかになっていたのだが、とりあえず、以下のやり取り。
「よう」
「お、磯野か、早いなー」
「おまえこそパソコン使うのに、なんでこんな早く来るんだよ」
「まあねー」
答えにならない返事をしてニヤニヤする霧島榛名。
「気持ち悪いヤツだな」
「昨日、会長がSteamからゲームインストールしてただろ? あれ」
横を見ると窓際にある三世代前の旧式パソコンはすでに起動しており、カリカリとハードディスクの稼働音が鳴っていた。
「もうパソコン動いてるだろ。やらなくていいのか?」
「ゲーム更新のダウンロードが長くてねえ、ここの回線遅いからしばらく待ってるんだよ」
「ふだんどおりだな。だけど、家にもゲーミングPCあるんだろ? なんでわざわざ部室までやりに来るんだよ」
俺の問いに、榛名はフフッと笑いぼそりと一言。
「会長のアカウントでやるのがいいんだよ」
わけがわからん。柳井さんに気にでもあるのか?
まあ学校であえてゲームをするという、そこはかとない背徳感を味わう、的な楽しさがあるのはある程度理解できるが、コイツはなにかにつけてイタズラ癖があるよな。
というわけで、その暇つぶしに付き合い、いままでキャッチボールをしていたのだった。まあキャッチボールは、俺にとっても自転車での通学とはまたちがったいい運動になるし、気晴らしにもなるのでそんなに悪いものではない。
が、昨晩からつづく非常事態と、いまだ整理しきれていない脳みそで頭を抱えている俺にとって、もうそろそろ解放されてもいいんじゃないかな、ホントに。……シャツも汗で滲んできたし。
「榛名ー、ゲームの更新そろそろいい時間じゃないのか?」
俺の言葉に、榛名はボールを投げかけていた手を止め、ショートパンツのポケットからスマートフォンを取りだした。
「ん、そいえばそうかも」
「じゃあ、あがろうぜ」
俺はベンチに置いていた着替えの入ったスポーツバッグを榛名のぶんも拾い、体育館のわきにあるシャワー室へと歩きだした。うしろからきた榛名は「わりい」と言って、俺の手からスポーツバッグを受け取る。
このやり取りだけを見ると、中学や高校時代の気のおけない野球部仲間のような感じだが、腐っても榛名は女だ。そして、黙っていればなかなかの美人。
そんな榛名は今日もタンクトップにショートパンツ、そしてサンダルという平常運行だった。そんなあられのない格好であっても、夏だから許されるし、まえにも言ったがスタイルがいいので下品な印象もない。……のだが一つ問題があった。
霧島榛名は「千代田怜とちがって」なかなかに胸があるため、目のやりどころに困った。しかもいまかいた汗によって、ほどよくシャツが滲み肌が透けていた。
ほんのり濡れ透けというヤツである。
「榛名おまえな、キャッチボールはいいが、すこしは見た目を気にしろよ」
「お、いきなりどうした?」
榛名は、俺が目をそらしたのを見て、自分の胸のあたりに目を落とし、納得したらしい。
「ああ、慣れろよ。一年経つだろ?」
「……慣れろよじゃねーよ、怜にも言われてるだろうが」
「千代田は……まあ…………な」
いや言いたいことはわかるが、そのリアクション怜の前でしたら刺されるぞ。
にしても、コイツも一年前は普通の女の子? だったんだがなあ。
いつからか、ざっくばらんな話し方というか生き方になったが、うちのサークルに馴染んできたってことなんだろう。付き合いやすいと言えばそのとおりなんだが、はっちゃけ具合に度が過ぎると感じることもあった。
俺たちはシャワー室で別れて、汗を流したあと部室に戻った。





