03-07 磯野って、まさかロリコン?
夢を見ていた八日に、別人格が映研部室に訪れ、オカ研のときと同じように動揺していたらしいことを磯野は知り――
……ったく、物理的な意味で病院送りになるところだったわ。
あれ? 青葉綾乃がいるってことは、ちばちゃんもいるはずだが――
「今日はちばちゃんは一緒に来てないの?」
「あ、磯野さんこんにちは! ちばちゃんは塾なのでさきに帰りましたよ」
塾か。懐かしい。高二ならまあそうだよな。けど、映研に興味あったのはちばちゃんのほうだよな。なのに青葉綾乃は一人でも映研にくるのか。
青葉綾乃がいるなら、とりあえず一番気になることをたずねよう。
「ちばちゃんは俺のことなんか言ってた?」
「磯野さんにハンバーガーおごってもらったって喜んでましたよ」
なんだよそれ。ハンバーガーひとつで喜ぶなんてめっちゃかわいいじゃないか。
「ほかには?」
「いえ、とくに……磯野さん、ちばちゃんになにかしたんですか?」
とたんに意地悪な顔になる青葉綾乃。
「別に、なにもないよ」
平静を装って答えたが大丈夫だよな? 青葉綾乃という子は、とても茶目っ気があるのだが、この感じだと中心をなす性質は、やはりSなんだろうな。
それにしても、ちばちゃんはあの階段の件について、なにも話してないのか? 本人がなにも思ってないのなら、ひと安心ではあるのだが。
「なに磯野、ちばちゃんにイタズラしたの?」
「するわけねーだろ! そもそもイタズラって表現やめろよ物騒すぎるだろ!」
俺の反論に、思いっきり疑いの眼差しを向けてくる怜。
……まあこれはしゃーない。さっきのモスは、俺でさえなに女子高生連れてお茶してるんだって感じだし。
「磯野って、まさかロリコン?」
「んなわけないだろ。それに高二ならセーフだろ」
「え、セーフなのそれ」
「ちばちゃん、ちっちゃくてかわいいですからね!」
青葉綾乃のフォローにならないフォロー。
青葉綾乃がちばちゃんにかまう理由が、なんとなくわかる気がした。あの怯えたウサギのようなちばちゃんは、同性であろうと母性本能をくすぐられるのかもしれない。
そんなことを考えながら、午前中から置きっぱなしの炭酸抜けコーラに口をつけていると、青葉綾乃はおもむろに俺に近づき耳打ちしてきた。
「けどちばちゃんって、あれで意外とおっぱい大きいですからね」
ぶぼあ!
コーラが……気管に……!
「なにむせてんの」
俺は咳込みながら青葉綾乃の顔を見返すと、にっこりと笑顔を返してきやがった。コイツ……マセガキってレベルじゃねーぞ。
「わたしたちも見張っておくけど、綾乃ちゃんも磯野には注意してね」
「はい、わかりました」
「……ったく、おめーら」
そういえば、面倒なことを言ってたよな。
「ところで撮影旅行ってなんだ?」
「そうそう! 撮影旅行!」
うわあ、すごく楽しそう! ……って、それだけじゃおまえさんがいかに嬉しいかしか伝わってこないんだが。
竹内千尋は、青葉綾乃のはしゃぎっぷりを天使のような微笑みで眺めなら、この子がこうなるに至った経緯について話しはじめた。
「このまえ消えた素材データ分の再撮影、まえのロケ地でもいいんだけど、背景が代わり映えしなくて気に入ってないんだよね。だからいっそのことロケ地をかえたいなーってね、そしたら――」
「うちの親戚、旅館経営してるんですよ!」
「お、すげーな」
親戚とはいえそんな商売してるってことは、青葉家はそうとうな金持ちなんだろうか。
と、柳井さんが青葉綾乃の浮かれっぷりに釘を刺した。
「だがなあ、その親戚や親御さんがOKしてくれたとしても、女子高生連れての撮影旅行は大学にバレたらヤバいだろう」
そうそう。大学のサークル旅行に女子高生二人を連れて行くっていうのは、世間体として危うさを感じる。
「わたしは撮影旅行いいと思いますよ。今年は撮影遅れちゃってサークル旅行なくなっちゃってましたし。いい機会だと思います」
怜が、いかにも涼しい顔をしながら発言。
……ああ、コイツがいちばん浮かれてるのな。
「たしかに千代田の言うとおり、今年の夏はサークル旅行しなかったからなあ。じゃあダメもとで一度学生部に問い合わせてみるから、それでOKが出るようなら話を進めるってことでいいか?」
「はいっ!」
柳井さんの提案に青葉綾乃は元気に返事をし、怜もそれを温かく見守るという図。千代田怜よ、おまえが内心、青葉綾乃以上に喜んでいるのが俺にはよくわかる。そういえば――
「あお……綾乃ちゃん、ちばちゃんは大丈夫なの?」
青葉綾乃は俺に「綾乃ちゃん」と呼ばれたのが意外だったのか、一瞬キョトンとした。が、すぐに目を輝かせた。
「大丈夫ですよ! ちばちゃんのご家族からもよろしく言われてますし」
いやいや、よろしくされるにしたって限度ってものがあるだろう。
「綾乃ちゃん、ちばちゃんのお姉さんみたいだもんね」
「お節介焼きですが」
怜の言葉に、白い歯を見せながら答える青葉綾乃。自覚しとるんかい。
お姉さんか。本来なら――というかオカ研の世界であれば実姉である榛名こそがこのポジションにいるわけだが、こっちの世界の榛名はどこにいるんだろう。さっきの怜たちの反応といい、榛名の名前はすでにもう一人の俺が口走ったらしいから、姉の存在はみんなわかってるんだろうけど。
「そうなると、ちばちゃんには姉が二人いるようなもんだな」
俺の言葉に部室の空気が止まった。
え?
俺をのぞいた部室にいる全員が、驚いたように俺に注目してくる。
わずかな沈黙を破って、千代田怜がため息混じりに言った。
「磯野、やっぱり昨日のこと覚えてないんじゃないの?」
……え、なに、このリアクション。
昨日、もう一人の俺が霧島榛名の名前を出したなら、なぜ俺がその名前をつけて知っているのかはともかく、ちばちゃんに姉がいることはここにいるみんなにはわかっているはずだろ? なんでみんなそんなに驚いてるんだ?
もしかして、こっちの榛名は亡くなっているのか? そうだ、それならいま俺は、不謹慎なことを口走ったことにな――
「磯野、ちばちゃんは一人っ子だって昨日言ってたでしょ」
は?
死んでるどころか、榛名は存在すらしていない? いったいどういうことだ?
……いや、あり得る話じゃないか。
こっちの世界とオカ研の世界の大きな違いは、その名のとおり俺が入部しているサークルの違い。そして、サークルの構成員の違い――霧島姉妹の有無だった。
だとしたら、そのほかにも違いがあったとしても全然不思議じゃない。榛名が存在しない可能性だって当然あるはずなんだ。
いま一度、「もう一人の俺」がしたであろう行動について整理してみよう。
昨日の「もう一人の俺」は、ここはオカ研ではないこと、部室に榛名がいないことに狼狽えた。だが映研の面子は榛名なんて子はいないと反論し、それに対して、もう一人の俺はちばちゃんには姉がいるだろう、と口走った。そしてちばちゃんが一人っ子だとわかった、という流れか。
それなら今朝のモスバーガーで、ちばちゃんが俺に訊きたかったことだって予想はつく。それは、
――昨日の榛名って、いったい誰なんですか?





