24-05 きみに最も重要な手掛かりを提供できるのも唯一我われだけなんだ
選択肢は無かった。
幌延深地層研究センター跡地へ突入してからの超常現象がいかに説明されようと、俺にとってはただ前に進むだけしかなかった。三馬さんのしめす唯一の希望は、無事もとの世界へ帰還することで、榛名が生きている世界となること、それだけだった。
「しかもだ、この時間遡行まで含めた世界線の横断における並行世界の範囲に、きみたちのもうひとつの世界から訪れたもうひと組の磯野君と榛名さんの世界も含まれる。ライナス博士とHAL03を救うためにも、二組のきみたちが管制室で邂逅を果たす必要があったのはたしかだが」
管制室で目の前にあらわれた、もう一人の俺とロングヘアの榛名の顔が頭に浮かんだ。
「世界線の横断っていうのはやっぱりこういうことだったのか、ともう一人の俺が言っていました」
「ああ。きみの考えるとおりだ。彼らもまた以前、この世界線へ訪れて我われと会っている」
「けど、あいつらが存在するもうひとつのこの世界があるんじゃないんですか?」
「さっき言っただろう。きみたち二つの世界から生まれたのはこの世界だと。この世界はひとつしかないんだよ。きみたち二組が、このひとつの世界を共有しているってことだ」
「それならいままでの生存世界への収束のなかに、あいつら側の世界へたどり着く可能性だってあったはずです」
「その問いの答えは簡単だよ。きみたち二組それぞれの存在は、別個に独立している。この世界が生まれたのは正確に言えばきみたち二組、合計四人がこの世界にたどり着いたことが原因だ。だからさきほどから言っているように、二つの世界の情報がこの一つの世界に流れ込んでいるんだ。だからこそ、二つのもとの世界が融合された新しい世界に榛名さんを戻すことで、彼女を生き返らせることができるんだ」
納得と同時に、俺は答えを知っているであろう目の前の人物に、問う。
「それなら、榛名を生き返らせるためにどうやったら俺たちはもとの世界に戻れるんですか?」
「きみはすでに聞いているだろう。八月二二日の一四時四四分七秒、旭山記念公園に現れる情報の道を利用するんだ」
「けど、いま俺と榛名は山梨県にいるんですよ。ここから札幌までの移動手段をZOEは用意しているんですか?」
三馬さんは、俺以外の面子を見回した。俺も目で追うと、柳井さん、千尋、そして千葉は寂しそうな笑顔でうなずき返していた。
「あと二時間程度で、きみはもといた道北の地に戻ることになる。我われとはそれでお別れだ」
「タイムススリップですか」
「そういうことだ」
「けど二日も先の未来に飛べるんですか?」
「皮肉なことだが、霧島榛名さんの死が世界の断片化を加速させた。きみが昨晩見た星星の描く弧の長さは、すでに一日と六時間の幅を過去と未来にそれぞれもっていた。あと二時間後には、目的の時間である二日後へ遷移出来る状態まで時間遷移の幅が広がる。タイムスリップを引き起こすには、基本、物理的な移動が必要だ。とは言っても、数百メートルの範囲になるがね。時間と位置、この二つの要素が断片化されたそれぞれの時空範囲へ干渉することになる。ZOEから示された地点へ時間がきたら送り届けるように指示されているんだ」
この場にいる誰もが浮かべた寂しそうな笑顔に、俺は不吉な予感を抱いた。
「あの……この世界はこのあとはどうなるんですか」
三馬さんは何度か小さくうなずいてから、口を開いた。
「この世界はね、磯野君と榛名さんが立ち去ったあと消滅する」
俺は絶句した。
「さっきも言ったとおり、この世界はどの世界線よりも特殊な位置付けにある。つまり、隣り合う世界線が無いんだよ。そういう世界線は断片化のなかでより早く消失していく。それでもだ、きみに最も重要な手掛かりを提供できるのも唯一我われだけなんだ」
そこまで言うと、三馬さんは俺の姿をさっと見て、「一度シャワーを浴びてくるといい。このあときみがなすべきこと、その障害となる真柄博士について伝えよう」と言った。
俺は洗面台の鏡のまえに立った。ひどい顔だった。何年か老けたんじゃないかと思うくらいに憔悴していた。鏡にうつる顔から目をそらし、浴室に向かった。
雨のように流れ落ちてくるシャワーの音と湧き立つ湯気が、八月七日の午前を思い出させた。あのときをさかいに、ふたたび世界は作り替えられたのだった。霧島榛名のいない世界、それが俺にとってのはじまりだった。かすかに夢のような記憶があったのを覚えているが、内容まではおぼえていない。ただわかるのは、俺はたしかに泣いていた。いまも泣いていた。いまは泣く理由がわかる。それでも言葉にすることはできなかった。言葉に出してしまったら、この世界に引っ張られてしまう。だから口をつむがなければならない。
「……ごめんなさい」
まるで子どもにでも戻ったかのようだった。悪さをして、とりかえしがつかなくなって、ただ謝ることしか出来なくなって、その声さえ、シャワーの音でかき消さなければ口に出せなかった。情けなかった。自分がなにも出来なことがとことん情けなかった。
ブラインドが掛かった浴室の窓から夏の日差しが差し込んでくる。たぶん、おそらくだけど、世界が生まれ変わる直前の俺も、おなじ感情を抱いていたんだろう。だから泣いたんだ。
シャワーからあがった俺は、プラスチック製のカゴに畳まれてあったティーシャツとジーンズと上着を着込んだ。おそらく千尋あたりが洗濯しておいてくれたんだろう。スマートフォンと腕時計はあったが、拳銃とホルスターは見当たらなかった。どこかに落ちてないかあたりを探したが、そんな物騒なものまでカゴに入れるほうがおかしいと我に返った。そんなことにすら気がつかなくなっている自分に苦笑した。
「さて、磯野君と榛名さんのこれからの行動についてだ」
三馬さんは客室に運び込んだホワイトボードに書き込む。
「まずはきみと榛名さんの遷移先の世界線だが二二日の一四時一八分になる。情報の道への扉がひらく一四時四四分七秒の約三〇分前だな。正確な時間まではわからないが、昨晩我われが乗っていたのと同じロングワゴンで、札幌市近郊までたどり着いているだろう。霧島榛名さんの遺体もまた、そのワゴンに積載してあるカプセルに移されているはずだ」
「いまは二〇日ですよね。二日も経過した世界に飛ぶんですか?」
「ああそうだ。きみと榛名さんの時間遷移の最大範囲は、過去と未来それぞれにおおよそ四八時間を越えられる。その範囲の中で、ZOEは時間遷移の回数がなるべく少なくなるルートを我われに託した。時間遷移、つまりタイムスリップをともなった世界線の遷移の回数が増えるほど、予測が困難になるのを恐れているのだろう」
「旭山記念公園にたどりつくまでに、時間と世界線の遷移が何度か起こるという意味ですね」
「その通りだ。一度、二日後に遷移したのち、もう一度、時間および世界線の遷移が発生する。これから示すルート通りに、正確に目的地までたどり着いてほしい。もし道のりを間違えてしまうと、見当違いな時間と世界へ送り込まれてしまう恐れがある」
三馬さんはホワイトボードに2の数字を書き込み二つの時間を箇条書きにした。一四時一八分、そして一四時三七分だった。
「基本的に、情報への扉が開かれる時点に近づけば近づくほど、隣り合う世界線からの干渉が強くなる。つまり世界線の遷移の可能性も高まるということだ。そのような状況のなかで、この二つの遷移時点の数は、ZOEが見つけ出した最も少ない遷移回数となる。二つの時間を見てみよう。ひとつ目の一四時一八分はこの世界から二日後の世界への到着時点での時間、二つ目の時間である一四時三七分は、情報の道が開く四四分七秒からかなり近い。一四時三七分の遷移先から戻ってくるころには、旭山記念公園までたどり着くだろう」
「しかも世界線の移動後は未来か過去に飛ばされるんですよね?」
「そういうことだ。この二つの、避けることの出来ない世界線の遷移を乗り越えたうえで情報の道の開かれる地点までたどり着くか、それは磯野君に委ねるしかない」
「別の世界線に飛ばされたときの対応については、ZOEはなにも言っていないってことですか?」
「残念ながらそうだ」
ZOEが時間指定までするくらい正確に俺たちに指示を出しているということは、いままで起こった出来事を予測していたということだ。榛名の死も当然予測していたということだろう。恨み節はやまほどあるが、いまはどうでもいい。世界線の遷移先とその対応についてZOEがなにも言っていないのは、俺たちに伝えなくてもどうにかなるからなのだろう。とにかく俺は、確実に榛名をもとの世界へ送り返すこと、それだけに意識を集中させるんだ。





