02-07 なんだこれは! 毒ガスか!?
夢の世界で医者との問診を受けた磯野は、自分が夢の世界にいると思っていることを見抜かれてしまい――
俺は、頭が真っ白になりながら教室を出た。
「磯野どうだった? 催眠術かけられたか? 先生、どんな恥ずかしい過去が明らかになったんですか?」
ウキウキしながら訊いてくる霧島姉。だが俺は、真柄先生に俺の真意を見抜かれたショックで気が回らなかった。
「さっきも言ったけどただの問診だよ」
かわりに真柄先生が笑顔で答えた。
「そうなんですか?」
ポカンとする霧島榛名。しかし、すぐさま俺にわざとらしく耳打ちしてきた。
「磯野、顔色悪いぞ。ホントはいろいろ探られてたんじゃないのか? なんて言ったっけ? たしか……プロファイリング」
「プロファイリングって……俺は犯罪者かよ」
「診断中に取り押されられて、隔離病棟送りとかあるかもしれないじゃん。たしか『シャッター……なんだっけ?」
「ああ、あのディカプ……って映画の見過ぎだ」
「なんだよ。いざというとき助けてやろうと思ってついて来てやったのに」
「嘘つけ」
「わたしは本当に心配だったんですよ」
ちばちゃんもまた、わざとらしく上目遣いで見つめてきた。うわあ、めっちゃかわいいなあこのやろう。って!
「お前ら二人してからかいやがって」
なんだかんだでこの姉妹は俺のことを元気づけてくれているのだろうか。俺もツッコミを入れられるくらいだから、まだ大丈夫なのかもしれないが。
医学部を出るころには四時半を過ぎていたため、霧島姉妹は大学へは戻らずに札幌駅の北口で降ろしてもらっていた。
柳井さんと部室に戻ったときはもう午後五時を過ぎていた。ドアをあけると千代田怜が声をかけてきた。
「おかえり。どうだったの?」
「とりあえず、なにかあればまた来いだとよ」
「なにもなかったの? ふだんから頭おかしいのに」
「なんだとこのやろう」
「その様子なら大丈夫そうだね」
憎たらしい怜にかわって、相変わらずパソコンの前にいる千尋が伸びをしながら穏やかな笑みを浮かべた。
「そういえばSF研の人が訪ねて来てたけど榛名は?」
「SF研? 霧島姉妹はさっき札幌駅で解散したが」
「ああ、今日だったか! すっかり忘れてた」
うしろにいた柳井さんが慌ててスマホを取り出した。
「榛名のヤツも忘れてるだろ。SF研のオフセ。ああ、SNSに通知着てやがる……」
「あの、お布施ってなんです?」
「オフラインセッションだよ。TRPGの」
は? なんのことだ? あ――
「テーブルトークRPG……」
そうだ、思い出した。榛名のヤツ、オカ研以外にも面白そうなサークルに入部しまくっているんだった。そもそも柳井さんが遊びに行くサークルがほとんどだが。
オカ研の世界の記憶は、なにかのきっかけがあってはじめて思い出されるものなんだろうか。まだ思い出せてないこともたくさんあるのかもしれない。……いやいや、夢の中なんだぞ。なにを思い出そうが、夢の話なんだから必要以上に真に受けちゃいけないだろ。
「どうした? 磯野」
「あ、いやなんでもないです」
「俺はSF研に顔出してから帰るわ。部室の戸締りよろしく」
そう言って柳井さんは去っていった。
さて、これからどうしたものか。
頼りにしていたオカ研の面子も真柄先生も、結局解決の糸口にはならなかったし。ただ、このまま夢の中での生活が続いてしまうのはどうにかして避けたい。
「磯野、そろそろわたしたちも部室出るけど」
気がつくと、帰り支度を終えている怜と千尋が俺を見ていた。
「あ、ああ。俺も出るわ」
「磯野、やっぱりまだどっかおかしいんじゃないの?」
「いや、大丈夫」
とりあえずこのまま帰宅するしかないか。
「まだ考えてるのかい?」
「え? ああ」
南門を出て平岸街道を歩いていると千尋が気にかけてくる。こいつはなにもしていないときだけ、他人に対して気遣いできるヤツだ。
「診断がなんであれ、それだけ現実味のある――そう文字どおりの明晰夢だったんだよ。ショックだろうけど、二、三日すれば気分も戻るよ」
千尋よ、慰めてくれてるのはわかるが、まだその明晰夢の最中なんだ。
「そうだよ。磯野は大変かもしれないけど、わたしたちから見たら面白い体験なんだからさ。この世知辛い人生でそんな楽しい体験そうそうないよ」
珍しく怜も励ましてくるが、的はずれというか……、そもそも世知辛いって……お前そんなに人生辛いのか?
「いや、そうじゃなくてだな……」
「とりあえず学祭用にネタができたんだしいいじゃん。いまのうちにちゃんとメモしておいて記事にできるようにしときなよ。去年みたいに焼きそば売るだけじゃつまんないし」
怜は手を振りながら去って行った。怜のうしろ姿を見ながらふと些細なことに気づく。
「そういえばこの時間って、怜のやつバイトじゃなかったか?」
「言われてみればそうだね。今日のこともあったし磯野を心配して残ってたんじゃない?」
いやいや、怜にそんな可愛げがあるわけないだろう。あったら俺だってここ一年でそれなりに意識してるわ。……って、俺の夢の中なんだからこれは俺の怜に対する願望とかそういうことか? マジであり得ねえ……。
怜といいちばちゃんといい、俺にとってのこの世界は、現実よりもやさしい世界なのかもしれないな。
自宅には帰ってきたが、特になにごともなく時間が過ぎていった。
午後十時に名犬ジョンの散歩に出かけたのだが、例の夢遊病の末に目が覚めた横断歩道のまえで、ふと立ち止まった。
――この世界が夢だったとして、昨晩の夢遊病のときも実は明晰夢をみていたのでは?
いや、あのあと自宅に帰って布団をかぶるところまで、しっかりと覚えていたんだ。そうだよ、あのあとちゃんと寝るところまで覚えていたんだから、あれは夢じゃないだろう。
……本当にそうか? 夢のなかの夢なんて普通にあるだろう。そもそも夢遊病という状況自体がありえないことだ。いままで夢遊病なんてものにかかったことが無いし、もし患ってしまったとしたなら、あまりにも唐突過ぎる。
いままだ目覚めない明晰夢のなかにあのときもいた、と考えるほうが理にかなっているじゃないか。あと、あのとき感じた見られているような気配、あれだって――
突然、プスーっという妙な音ととともに異臭が鼻をかすめた。
「なんだこれは! 毒ガスか!?」
いや、そんなものではない、これは……、
「……ジョン、お前か?」
ジョンは俺の目を見たあと、俺じゃないよ、と目をそらした。
……コイツ、屁をこきやがった。





