18-03 その、乳首透けないって
千葉県内のショッピングモールに身を隠す磯野と榛名。言葉を交わした二人は、一度わかれて、それぞれトイレで血の痕を落とす中、新東京駅襲撃事件での悔やみきれない思いを自問自答する。
外に出て、駐車場に面したところに自動販売機を見つけた。
榛名はカーディガンのポケットから緑色のプリペイドカードを取り出し、自販機の認証パネルへ近づけていく。
……あれ?
だけど、その松田さんが購入したプリペイドカードってことは、松田さんに紐づけられているんじゃ――
プリペイドカードが認識されるギリギリのところで、俺は彼女の手首をつかんで止めた……と思ったが、遅かった。
「え?」
プリペイドカードは、すでに認証パネルに掲げられてしまった。
「松田さんの身元がバレていたら、このカードで俺たちの居場所が割れるかもしれない」
「……あっ」
榛名は我に返ったように声が出た。
どうする。
もし、このカードの情報がすでに送られてしまったとしたら……。
「ね、磯野くん」
「ん?」
「このカード、自販機に反応してないみたい」
俺は自動販売機へと振り返ると、購入ボタンが点灯していないことに気づいた。
「本当だ。このカード、接触不良なんだろうか」
「どうなんだろう。……けど、よかった」
最悪の事態に陥らなかったことに安心しながらも、飲み物が買えないことに気落ちした様子の榛名は、うしろにあるベンチに腰をおろした。
長い脚を伸ばし、両手で頬杖をついて座る彼女は、どこかのお嬢さまのようだった。
俺は自販機の向かいにある建物の壁を見ると、監視カメラが目に入った。
ZOEは、いまも俺たちのことを見ているんだよな。
いまこの場に隠れられているのも、俺と榛名の生体認証IDを偽装しているからだろう。それなら、さっきの松田さんに紐づけられているプリペイドカードを使うよりも、俺や榛名の生体認証を使ったほうがかえって安全じゃないのか? だからZOEは、松田さんのプリペイドカードが反応しないよう細工したんじゃないか?
もし生体認証を使って危険があるなら、ZOEは、なにかしらメッセージを送ってくるはずだ。それなら、
俺は、認証パネルに手をかざした。
「え?」
自販機に並ぶ飲み物の購入ボタンが、グリーンへと点灯した。
「大丈夫なの?」
「ああ、おそらく」
俺は、監視カメラを見てから答えた。
「榛名はなにを飲む?」
「じゃあね、」
榛名は自販機のディスプレイに並べられている飲み物を見回して、
「ファンタグレープ!」
自販機のまえのベンチで俺と榛名は二人、コーラとファンタグレープの長い一口目を口にした。
「炭酸なのに、かなり飲めるな」
「喉渇いてたからね」
「榛名もファンタグレープなのな。あ、いや、オカ研側の榛名とおなじって意味で」
「そりゃそうだよ。わたしだもん」
「いや、話し方とか、格好とか雰囲気とか、やっぱりちがうからさ、」
「わたしだって、タンクトップ着たりするんだぜ」
そう言う榛名は、オカ研の榛名のように、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
瞬間、俺はコーラのペットボトルを取り落としそうになった。
いま発した榛名の言いまわしは、オカ研側の記憶からすれば、ちょっと懐かしさが入るくらいの感動になるはずだった。
ところが、上品なお嬢様のギャップ萌えみたいに、俺のこころをぶっ刺してえぐり取られた、そんな気分に襲われた。ヒリヒリするような、けれど、締めつけられるような、それでいてあたたかいこの気持ちはいったいなんだろう。あれ、萌えってもう死語だったっけ? いや、そんなのどうでもいい。
……いや、なんというんですか、こっちの榛名は、ふだんはちばちゃん的言いまわしも入っていて、それだけでも胸に刺さる感じな雰囲気なのに、いきなり「だぜ」とか言われたら、そのギャップで頭がくらくらしそうなくらいな、そんなツボどころじゃない可愛さなのだが。
わかるかこのニュアンス。わかってほしい。
「だって、七月一四日から八月七日まで、わたしも二つの世界を行き来していたんだから」
「あ、そうか」
あの大学ノートに書かれていた内容は、榛名もまた映研とオカ研の両方の世界を渡り歩き、それを情報共有するものだったんだ。それなら、彼女の記憶も二つあり、その振る舞い方にも、それぞれの記憶があるわけだから、違和感なく行えるってことだよな。
「だから、もう一人のわたし、オカルト研究会のある世界でのわたしの、どうしようもないくらいに元気にみせかけて頑張っちゃうのも、すごくわかっちゃって」
父親を失ってしまった世界の榛名の、長女としての立場。
張り詰めた気持ちを隠しつづけ、ひたすらに明るく振る舞っていた彼女。いま見ているのと同じように、夕景のオレンジのなかで泣いた彼女の顔が脳裏をかすめた。
「磯野くん?」
「いや、八月七日以降も、いろいろあってな」
「……そうだよね」
うなずいた彼女もまた、すこし寂しそうな顔になった。
たぶん、俺がこの子についての八月七日以前を知らないことで抱く寂しさとおなじ気持ちになったのかもしれない。
あ、そういえば、
「たしか、むこうの榛名は」
「ん?」
「ブラトップって言ってたな」
「……へ?」
「その、乳首透けないって」
「ちょっと! たしかに言うけど! あの子は言うし、わたしもオカ研では似たようなことは言った記憶はあるけど!」
現状最優先で知ってこくべきことについて、まずは俺から榛名に伝えることになった。
まずは榛名と同じ容姿のハル――HAL03は味方だということ。
榛名にとっての命の恩人である電話の主は、ZOEと呼ばれる人工知能で、ハルもまた、ZOEとともに行動するバイオロイド・クローンであること。彼女たちを作ったアンドリュー・ライナスという米国人とともに、榛名を保護するために手を組んだこと。
彼らは、俺たち二人をもとの世界へ戻すことが目的であること。
「そのハルっていう子は、なんで、わたしの遺伝子だったの?」
「この世界が生まれるきっかけが、俺と榛名の二人によるものだったらしい。俺たちが世界の歪みを引き起こし、そこから俺たちの世界とオカ研世界の情報の道が出来て、この世界へと流れ込むことで世界が出来上がった、とライナスは言っていた」
「わたしたちが、この世界を生み出した?」
「ああ。そのきっかけも、やっぱり榛名がさっき言っていた「灰色の世界」、俺は「色の薄い世界」と呼んでいるが、あの世界に接触するには、俺か、榛名の遺伝子を持つ人間が必要だったらしい」
「わたしね、この世界にはじめてきた夜に、あの人――ハル……さんに会っていて、けれど、同じわたしだし、ドッペルゲンガーだと思ってしまって、怖くて彼女から逃げてしまって――」
「それは仕方ないよ。わからなければ俺でもそうする。けど、彼女は俺たちの味方だ。それは覚えておいてほしい。あと、いちばん重要なことがある。榛名は、いままで何度、この世界で命を失った?」
「……四回。海で溺れたのが三回と、さっきの駅で一回」





