02-04 継続夢っていうのもあるよね
オカルト研究会の竹内、柳井のにより、リアルな夢――明晰夢や二つの記憶を得た人物の話を聞くが――
俺たちの疑問に答えるかのように、柳井さんが嬉々としてヴォイニッチ手稿の解説をはじめた。
「十四世紀ごろに書かれたといわれる謎の言語をもちいた書物の写本だ。二十世紀初頭に見つかって以来、現在に至るまで暗号マニアから学者や諜報機関の暗号専門家など、その手の人々が挑戦しながらもいまだに解読には至っていない。著者に近代科学の先駆者ロジャー・ベーコンの名が上がったり、エリザベス一世に寵愛された魔術師ジョン・ディーが関わっていたともいわれているが定かではない」
「なんだか難しそうですね、あはは」
ぽかんとしながら聞いていたちばちゃんの匙を投げる一言。うん、きみはそれでいい。
「あ、ジョン・ディーって007の元ネタの人ですよね。彼のサインがたしか007になっているっていう」
「わたしも知ってるぞ。アンチャでそんなこと言ってた」
「榛名、アンチャってなーに?」
「お、竹内知らないのか? ゲームだよゲーム。『ハムナプトラ』とか『インディ・ジョーンズ』みたいな――」
「あ、お姉ちゃんがこのまえ遊んでたやつだよね! あの会話の面白いの!」
「へー」
竹内千尋とちばちゃんの二人からあどけない顔を向けられた榛名は、得意になって『アンチャーテッド』三作目の解説をしだしたが、それにかまわず柳井さんは話を続けた。
「文章に法則性はあるらしいが、高名な哲学教授や、二次大戦にて暗号解読に活躍したウィリアム・フリードマンなどが関わっても解読できなかった。結局、一般的な見解は、当時流行った貴族たちの古文書収集に対する売買目的に作られた似非古文書、いわゆるデタラメだと言われている。まあ、ヴォイニッチ手稿ばかり名前が挙がるが、それ以外にも解読されていない文字や暗号なんて世界に山ほどあるんだがな」
うーん。ヴォイニッチなんちゃらはともかくとして、その二つの記憶の話はやはり胡散臭く感じるなあ。内容自体はデタラメでしかないのに、俺のいまの状況と似ているのが引っかかる。
「あ。思い出した! 確か……植物と裸の女の人の絵が描かれているやつですよね」
千代田怜がやけに嬉しそうに口を挟んできた。
「裸の女?」
「変態」
「ふざけんな」
「まあ、落書きみたいな絵だから期待しても無駄なんだけどねー」
「だから期待してねえし」
「……磯野さん」
わざとらしく悲しそうな顔を向けてくるちばちゃん。きみも俺のことを弄るのか……。
そんなやり取りをしている横で、いつの間にか竹内千尋がヴォイニッチ手稿の画像検索の結果画面をひらいていた。
「これこれ」
あまり芸術的とはいえない絵柄に、植物とそれに関する解説が書かれているらしきページ。奇妙な液体で満たされた浴槽大の木の実。その中に裸の女性がつかっている絵が描かれていたりと、なんとも言いがたい画像が並べられていた。
と、パソコン画面をのぞこうとする怜とちばちゃんが、俺のパーソナルスペースを侵害してくた。って、近い近い! 俺は慌ててその場を離れ、パイプ椅子を引っ張り出して腰かける。
「ねえ、磯野の話よりもヴォイニッチ手稿の話しようよ。そっちのほうが面白そうだし」
「お前な」
「磯野の夢の話といえば、継続夢っていうのもあるよね。それもいまの磯野の状態に似てると思うよ」と竹内千尋が話題を戻した。
「継続夢?」
「確かに竹内の言うとおり、継続夢っていうのもあるな」
また柳井さんが嬉しそうに話題に乗ってきた。
「これも異世界ネタなんだが、その名のとおり、前に見た夢の続きを子供のころから見続けている人の話だ。見続けている夢の舞台が、もうひとつの現実世界のようにリアルなんだ」
オカルトネタとはいえ、夢にもいろいろあるんだな。けれど、その話は現状には当てはまらないんじゃないか? いま見ているこの夢は今回がはじめてなわけだし。ただこれからこのオカ研世界の夢を見続けることになったら……いやいや、不吉なことは考えるな。
「夢がリアルってことは、さっきの明晰夢に近いんですか?」
「ああ。明晰夢と関連があるとも言われている。ある例だと『日本のある都市で幼少から大人になるまで生活している』らしいんだよ。オカルト話だから信憑性は当然ないわけだが、磯野の記憶が二つあるっていうのはこの継続夢に近い気がするな」
なるほど。俺の頭の中に二つの人生の記憶があるってことであれば、この継続夢にも通じる点があるか。
だけど決定的に違うのは、現実世界では出会ったことのない霧島榛名の顔を見て、はじめてこっちの記憶がよみがえったってことだよな。
「ただ引っかかることがある」
「なんです?」
「磯野のもう一つの記憶っていうのは、どれくらいはっきりしてるものなんだ?」
「僕も気になっていたけど、そういえば人生の記憶って言ってたよね。そんなに長い記憶がもう一つあるってこと?」
柳井さんと竹内千尋二人の問いに、現実世界とこの夢の世界を反対にしたうえで俺は答えた。
「ああ。さっき言った映画研究会の世界での人生の記憶が、まるごと頭の中にあるって感じかな」
「それってまさか、生まれてから大学まで過ごすくらい長い夢を見たってこと?」
「いや、その夢の中で幼少からの記憶がよみがえった感じ」
「へー面白いね」
俺たちのやり取りに柳井さんは一人うなずく。
「なるほど。つまりさっきの挙動不審は、起きてからも記憶が鮮明に残っていたから、夢と現実の二つの記憶の混同が起こって狼狽えてたってわけか」
「そうです柳井さん!」
「おお」
「なるほど」
霧島姉妹はそれぞれ微妙な表情のまま二人でうなずき合っている。と、ふと思いついたように姉のほうが難しい顔をしながら俺を見た。
「けどさ、それならその明晰夢から覚める方法じゃなくて、もう一つの記憶が消える方法を見つけるほうがいいんじゃないのか?」





