02-02 まあ、みんなは心配してるけどねー
夢の世界のなかで磯野は、八月七日の色の薄い世界からここまでの出来事の整理を試みる。
「いや、なんでもない。放っておいてくれ」
「?」
俺のあえて素っ気なさを装う返事に、ちばちゃんはすこし驚いたようだったが、空気を読んでくれたのか、軽くうなずいて文化棟に向かって歩き出した。
とてもいい子だけに本当に申し訳ない……。
そういえば相方のポニーテールの記憶がないな。青葉綾乃だったか、こっちでは友達じゃないのか? いやいや、いまはそれどころではない。これからどうするよ?
――どうやったらこの夢から覚められるのか。
これが目の前にある問題だ。
俺がいま、このオカ研世界の夢に陥っているのは、おそらくあの色の薄い世界の夢を見たことが原因だろう。二つの夢に共通点があるとするなら、あの色の薄い世界の夢も、いま見ているこの夢も、どちらにも現実感があるってことだ。
生きてきた二十年のあいたに、こんなリアルな夢を見たことなんて一度もなかった。そもそも夢というのはどこかしら曖昧で脈絡もなく変化して、目覚めたら記憶に残らないものだ。
だがどうだ。いま見ているこの夢はあきらかに物理法則が成立している。さらに、場所や人々が、俺の記憶とちゃんとリンクしているくらいに現実味がある。
まてよ? 俺はこの夢の中で、あの色の薄い世界の夢のことを覚えていた。しかも克明に。であれば、俺はいまだに色の薄い世界の夢の延長上にいるんじゃないのか? 夢から覚めたらまだ夢の中にいたなんてことみたいに、あの色の薄い夢から目覚めていない可能性だってあるんじゃないか? そうだよ『インセプション』とかそんな感じだったろ。鋭いな俺。さすがだな俺。
あの色の薄い世界で見た、ちばちゃんのノートに書かれていた霧島千葉という名前があったからこそ、夢の続きであるこの世界のちばちゃんもまた、霧島千葉として引き継がれているのかもしれない。
続きにしろなんにしろ、もし夢の中なのだとしたら刃物で頸動脈を刺すくらいの刺激を与えたら、さすがに目が覚めるんじゃないか? うわぁ……鳥肌たったわ。ダメだダメ。痛いのはよそう。それに夢の中で死んだら現実でも事切れるなんてこともあるかもしれない。
ともかく、この状況を打開しようと考えたときに一番に浮かぶのはあの色の薄い世界の夢。あの夢の中になにかしらのヒントがあるんじゃないだろうか。
――俺はあの夢のなかでなにをした?
顔をあげると大学の南門が目に止まった。そうだ。あのとき、南門の先の真っ暗な空間に足を踏み入れたことでグラウンドへ、そして丘の上の駅へ向かったんだ。そのあと駅のプラットホームで誰かを見つけて、そう髪の長い――
俺はベンチから腰をあげ、炎天下へと身を晒しながら足早に南門まで向かった。もしこれが夢ならばあの南門を通ることで一つ前の夢――色の薄い世界の夢に戻れるかもしれない。
南門の前までたどり着くと自然と足が止まった。
あのときの記憶がよみがえる。色の薄い世界とつながっているのだとしたなら、一歩踏み出した瞬間、またあのグラウンドに瞬間移動するはずだ。
けれど、いま人々の生活するこの世界から無人の世界へと戻ってもいいのか? もしあの丘の駅で解決の糸口を見つけることができなかったら俺は詰むんじゃないか?
それに、あの色の薄い世界の夢からいままでずっと夢が続いているのなら、色の薄い世界へ戻ったところで夢から目覚める確証はどこにもない。
……それでも、このままここにいたって同じことだ。なにも解決しない。
よし。
ひとつ深呼吸をしたあと、思い切って右足を踏み出そうと――
ダメだ、足が震えて動かない。
無人、無音。
あの世界に再び取り残されてしまうのは堪えられない。
俺が冷や汗をかきながら南門の前で棒立ちになっていると、そんな俺を嘲笑うかのように本校の学生らしき二人組があっさりと横を通りすぎた。
俺は、思い切って南門から一歩踏み込む。
世は、なにごともなく平和だった。
……喉が渇いたことだし、コンビニにでも行くか。
地方の私大とはいえ、一万人近くの学生が通う大学の周辺に学生街がないのはいかがなものかと常日頃から思っていたのだが、多くの学生及び教員の受け皿は、学内にある学生生協と南門向かいのすぐそこにあるサンクスで間に合うということらしい。
大学の目の前という最適な立地を長年獲得しているサンクス学園前店は、夏休みといえど昼時とあってなかなかに繁盛していた。
俺は全国のコンビニが仕掛ける行動心理学に基づいた店内レイアウトに導かれながら、窓際にある雑誌コーナーからドリンクの置いてある奥へと進もうとしたとき、とある週刊誌の見出しが目についた。
「空前の都市伝説ブーム! 聖地巡礼とまちおこし助成金の闇!」
オカルト現場を聖地よばわりするなよ。
こっちの世界じゃ都市伝説やオカルトが盛り上がってるんだっけ。たしか数年前に都市伝説を題材にした深夜アニメが、文字通りカルト的に火がついたあとに都市伝説の現場に赴くのが流行って、いまや各地のゆるキャラまで作られたんだよな。
だとしてもだ、この雑誌に載ってるテケテケのキーホルダーとかどう見ても悪趣味すぎるだろ。なにが流行るかわからない世の中とはいえ、この成熟したネット社会でオカルトが盛り上がるとか、普通に考えれば相当におかしいはずなのだが……。
こんな夢を見ている俺が言えた義理はないか。大丈夫か俺の頭。
「大丈夫なの?」
振りかえると、同じ週刊誌をひらいている千代田怜の横顔があった。
コイツいつの間に。おまえは忍びか。
「なんだ。心配してくれてたのか?」
「そんなわけないじゃない。アイスコーヒー買いに来ただけ」
そう言って、千代田怜は週刊誌のページをめくる。
「まあ、みんなは心配してるけどねー」
こっちの世界でも素直じゃねーな。
俺は手にしていた雑誌を戻し、ドリンクの棚からコカ・コーラのペットボトルを取りだしてレジにむかうと、千代田怜はすこし間をおいてから俺のうしろにならんだ。なんだかんだでお節介なヤツだ。
まてよ。専門家ではないとはいえ、こういうオカルトめいたことはオカ研の連中なら食いついてくるんじゃないだろうか。
真剣に考えてくれるかはひとまず置いとこう。
そもそもそこらにいる常識人にいま俺が置かれている状況を相談しても、ろくに相手にされないのがオチだろう。それにこの世界には人間がいるんだ。ならあの無人の世界なんかよりずっとマシじゃないか。