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二つの世界の螺旋カノン  作者: 七ツ海星空
12.八月三一日二一時二四分三二秒
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12-09 おまえを待っている、みんなとともに

 文字の浮かび上がり現象により真っ青に染まった部室から、千代田怜の運転で目的地へと到着した磯野。とうとう榛名を見つけ出したが、

 伏せられた彼女の横顔。

 大きめのキャスケット帽に隠れてはっきりとは見えない。胸元むなもとあわいピンクのリボンがついた白いブラウスに、薄手うすでのカーディガンを羽織はおっている。そして右手には杖をついていた。


 彼女は、柳井さんや俺のことが見えていない、らしい。


「間に合ったな」

「ありがとうございます」

「よし、行け」


 俺はうなずき、彼女に近づく。


 そうだ。

 今度は離さないように、彼女の左手を――


 ――つかめない。


 え?


 俺と榛名、二人を取り巻く空間は、彼女と再会した一二日のあの夜と同じように、(ゆが)む。そしてまた、あのときの夜と同じように、


 ――浮遊感ふゆうかんに襲われた。


 二人をのぞいたすべてが、世界が歪めれられ、まるで扉のように、()()()()()()()()()()()()が周囲のいたるところに開かれていく。


「まってくれ!」


 彼女の思いつめたような横顔は、近づこうとする俺をかたくなにこばんでいるように見えた。俺を、巻き込ませないために。


「……ちがう!」


 俺はもう一度手を伸ばす。

 それでも彼女は気がつかない。


 無数にある夏の扉は、ゆっくりと、けれど確実に遠くへと消え去っていく。数多(あまた)の景色は、しだいに過去のものへと変化していく。


 彼女に、榛名に、俺の言葉が届かないなら、


 ――そう……叫べ、叫ぶんだ……!


「榛名、はるなぁぁぁぁぁあ!!」


 それでも彼女は、俺から背を向けていく。


「ダメだ……、ダメだダメだ! 行くな! 行っちゃダメだ! まってくれ! お願いだ! 頼む! お願いだから……! 榛名……


 ――帰ってきてくれ!」


 彼女は、振り返った。

 ……その顔は、目は、俺のことを見てはいない。

 それでも、彼女は左手を伸ばそうとして――


「そうだ、そうだ! 戻ってこい! 手を……! もう少し……!」


 彼女と指先が触れた、その瞬間――



 …………彼女は、消えた。



「うわああああああああああああああ」

「わあああああああああああああああああああああああああああああああ」


 無数に浮かぶ夏の空間の中で、

 俺はひとり 叫ぶ。


「……なぜだ ……なぜ、なんだ」



 ――なぜ、間に合わなかった。



 ぼやけた視界のさきには、夏への扉がひろがる世界。

 ゆっくりと。幾度いくども経て、無数の扉が、ゆっくりと、ゆっくりと、過ぎ去っていく。


 そのなかで、俺は、体を曲げ、頭を抱えて――


「なにが」

「……なにがダメだった?」

「もっと、もっと早ければ」


 ……もっと気づくのが早ければ。


 ただただ湧き起こりつづける、どうしようもない後悔こうかい

 どうしようもないのに、それでも。

 心が圧し潰されそうになりながら、俺は、彷徨(さまよ)うように顔をあげた。


 すでにいくつもの扉が消えていったのだろう。

 それでも、いまだ押し寄せる扉のひとつに、


 ――過去に見た、ひとつの光景があった。


 オレンジ色の部室。


 榛名が、寝ている俺に、静かに、そっとカーディガンをかけていた。

 その横顔よこがおは、とても穏やかで、けど、うれいをびて――


 ……榛名。


 俺はその扉に手を伸ばすが、届かない。

 ……どうしても届かない、彼女に、


「……榛名」


 驚いたように、榛名は寝ている俺の顔を見た。


 え?


「……ちがう、榛名、こっちだ、俺はこっちだ!」


 その扉もまた、目の前から遠くへ、遠くへと消えていく。


「ああ……ダメだ! まってくれ! ダメだ……!」



 それはまるで、一度、過ぎ去ったら取り戻すことのできない、


 ――時の流れのように。


 俺の目の前に、あらたな扉が周囲に浮かびあがる。


 部室には、俺と、三馬さんと柳井さんと千尋と、そしてちばちゃん。

 全員が扉の中の俺に注目している。その俺は、しばらく目を閉じたあとペンを持った。


 そうか、これはオカ研世界の三馬さんにはじめて見せた、


 ――文字の浮かび上がり現象。


 このときに……オカ研世界の変質化にブレーキがかけられていれば。


 扉の中の俺は、ペンを近づける。


 この時点で、すでに世界のインフレーションが起こっていたんだ。


 大学ノートをとおして、世界を束ねてしまうことは、あまりにも集約(しゅうやく)し過ぎてしまうのは、この世界でのドッペルゲンガーとの遭遇を早めてしまう。


 だから、三一日にいたるまえに、時間を、すこしでも時間を得るためにも……、そう、あのとき書かれていた言葉は、


 ――インフレーションが起こっている。あまりに集約し過ぎるのは危険かもしれない


 たったいま目の前で、文字の浮かび上がり現象が起こった、その扉もまた、遠くへ、遠くへ――


 無数の扉が俺を通り抜けていき、


 またも部室。

 榛名が、ひとり。


 ――俺に背をむける彼女は、なにかを手に持ち見つめている。


 そうか。そうだったのか……


 ――そういうことだったのか。


 ここでもまた、俺は、みんなに伝えなきゃならない。

 そうだ。早く。もっと早く。


 ――ノートを用意して情報共有をしろ


 遠くへと消えていく扉を眺めながら、俺は気づく。


 ……いや、ちがう。ダメだ。


 ――いままでをなぞるだけじゃ、


 ……過去をなぞるだけじゃ、同じ未来にしかならない。


「……榛名!」


 すでにはるか彼方かなたへ飛ばされた扉の、その中の榛名は、


 ――振り返った。


 無数に浮かぶ扉に囲まれながら思う。

 あとは、あの色の薄い世界で、榛名を――



 過ぎ去る扉と訪れる扉。

 その無数の、おそらく無限に近い扉の中から、一つ、色彩の欠く夏の景色が近づいてくる。あれは、


 ――大学の南門みなみもん


 そこに立ち尽くす扉の向こうの俺。

 はじめて迷い込んだ八月七日の、色の薄い世界。

 このときの俺は、南門から先に広がる完全黒体のような真っ黒な空間の前にいた。


 そこで俺はさとる。


 ……ああ、ここからはじまったのか。

 俺が、この一歩を踏み出したから、



 ――二つの世界が螺旋らせんを描き出したんだ。



 扉の向こうの俺は、ライトアップされたかのように、目の前にあらわれたグラウンドに驚いている。


 俺が伝えなければならないのは、



 ――この場所から離れてはいけない。



 目の前の俺は、予感よかんに躊躇う。


 ああ。そうだ。

 おまえがこれからやるべきことは――


「いいか、おまえは、この場所から戻るんだ。あのベンチに。だから、



 ――未来を変えろ



 おまえを待っている、みんなとともに」


 顔を上げた扉の向こうの俺は、戸惑とまどいながらも南門の前に広がるグラウンドから、うしろへと振り返り、



 ――文化棟玄関へ一歩踏み出す。



 もう一人の俺の背中を見つめながら、俺は、


 光が押し寄せて、真っ白な世界が――




 プラットホーム。


 階段をおりようとしていることに俺は気づき、足をとめた。


 これでいい。

 これで、オカルト研究会の世界は巻き込まれない。

 あの世界では、霧島榛名も失われず正常な世界に戻る。


 あとは、ここから、俺ができることは、この世界で、時空(じくう)のおっさんに見つけ出されるまえに、


 ――榛名を


 いや、ちがう。




 色がある。

 音がある。


 すれ違う……人?


 「え?」


 振り返り、階段を駆け上がると、プラットホームには、人混みが――人で満たされていた。


 駅のにおい。

 う人々の雑踏ざっとう

 有機的ゆうきてき物音ものおとがこの無機質むきしつな広い空間に反響していく。

 高い天井てんじょうからおりてくる照明しょうめいの光と、構内こうないに差し込まれる街の光。


 ホームに列車が到着する。

 チューブ状のそれぞれの降車口こうしゃぐちには、まるで車両しゃりょうとフィットするような形で固定され、すこしのあとにゆっくりと開き、乗客がプラットホームへ降りてきた。アジア人、欧米人、さまざまな人々が。



 ――この世界は、生きている?



 この世界……あの「色の薄い世界」。

 そう、止まってしまった世界だったはずのものが、



 ――なぜ、いまさら動き出したんだ? 



 アナウンスが聴こえてくる。

 しかしよく聞き取れない。そもそも日本語ではない。その声は、言葉は、水の中にいるかのように、くぐもっていた。


 俺は、もう一度よく聴こうとして目線を落としたとき、足もとに落ちている新聞を見て愕然がくぜんとした。


 新聞に書かれているはずの文字までもが、なぜかぼやけたように読み取ることができない。しかしそれ以前に、文字の部分だけがピンボケになったように焦点しょうてんが合わない。周囲の額面がくめん広告、看板かんばん、駅内表示、この空間にあるあらゆる文字が。


 それでも俺は、ぼやけた文字をなんとかして見ようとこころみる。

 その中の文字を目を細め、意識を集中させて見つめ、


 ――ト撚繧ヲい部窶ゼ



 え……?

 なんだ、なんなんだ。これは。


 言葉が、ちがう。

 漢字や仮名が混ざりながらも、その文字の羅列られつに意味を見出すことができない。


「……この世界は、未来の札幌じゃないのか?」


 いや、そもそも俺は、


「……俺は、どこに、迷い込んだんだ?」

 12.八月三一日二一時二四分三二秒 END

 前篇『二つの世界の螺旋カノン』 下篇 END


 後篇『星降る世界の螺旋カノン』 上篇へとつづく

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