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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ドラッグストアの彼女。

女性に対してイケイケの不破まといが、ドラックストアのレジ打ちの飯島さんに対しては奥手な感じになってしまう描写に力を入れてみました。

告白や付き合う経緯にも注目していただければと思います。

引っぱたかれるのは慣れていないから、頬は大いに痛い。


手ひどく叩かれたので腫れている、ドラックストアのレジで左の頬に手形を付けた私は周囲のさり気ない視線に晒されていた。

「いつもありがとうございます、520円です」

彼女はいつもの笑顔で周囲の視線など気にしないように言う。

ワザとなのか、天然なのかは分からないが。

私はお金を払って、商品とお釣りを受け取る。

その際に、彼女はお釣りとレシートを私の手に包むように渡してくれる。

それは私が特別ではなく、他のお客にもするようだった。

ひととの触れ合いを嫌がる店員も多いのに珍しいと思う。

「ありがとう」

だから私も笑顔で彼女にお礼を言った。

いつも通り。

ドラックストアのレジは混むのでノロノロしてはいられない、さっさと離れる。

ふと見れば彼女は後ろのお客にも同様に接していた。



ガサッ

家に帰って来てキッチンに行き、テーブルの上にシップが入っているビニール袋を無造作に置いた。

冷蔵庫を開けるとビールとつまみを取り出す。

17:34分、時間的にはもういい頃だろう(笑)。

TVを見るために移動して、板張りの床に座る。

大きなリビングには背の低いテーブル一つと人をダメにするソファーとTVしかない。

ピッ

TVはスポーツ専門番組、サッカーのブンデスリーガが好みだ。


「――――あ」


買ってきたシップをキッチンのテーブルの上に忘れたのを思い出す。

せっかく座ったのに・・・面倒くさいなと思いながら起き上がって取りに行った。

そういえばまだジンジンする。


思いっきり、叩いたからな彼女――――


 まあ、私が悪いのだけれど・・・

彼女の友達に誘われてつい、それの乗ってしまった私。

半年くらいバレていなかったのにそれが本日バレて、大げんかの末に引っぱたかれたのである。

そして、別れた。

友達と浮気をするくらいだからもう心が離れていたのだと思う・・・と、自分で言い訳をしてみる。

彼女の事は好きだったけれど、その友人も魅力的であった。

とはいえ、本気にはならず時々会っては寝る程度。

多分、今後は会う機会は少なくなって自然消滅になるのではないかと思う。

彼女の友人もそんな雰囲気だった。

隣の芝生的に手を出してみたくなったのだろう、彼女と付き合っていた私に。

 ピリリ

透明なシートを剥がすとツンとした独特の匂いが鼻をつく。

ペタリ。

冷たい感触が頬に触れ、気持ちがいい。

押さえるように頬に手をおいてビールを飲んだ。

別れた彼女とは結構長く付き合っていたと思う、飽きっぽい性格の私としては。

でも、私が浮気をして別れた。

私が悪いのだ。

付き合った当初は、今度こそ彼女が私の最後の恋人になると思ったのだけれど違ったようだ。

人生は長い、まだパートナーを探す時間はたくさんある。

それとも独りを貫こうか、どちらも楽しいだろうと思う。

TVでは、9番のゼッケンをつけた選手がダイレクトボレーを決めた。




ブルり。

寒くて私は身を縮こませた。

いつ寝てしまったのか私は板張りの床に何もかけないで寝ていた。

大きなリビングは何もない、逆に寒々しく感じるのでそれがさらに私に体感させる。

カーテンからオレンジ色の光が見えた。

「朝か―――」

TVはいつの間にか消えていて、ビールの缶が転がっている。

中身は飲んでしまったのか出ていないのが幸いだった。

「寒いな・・・風邪ひくと困る」

寝てしまってから言うことじゃないけれど。

ズズッと鼻をすすりながら起き上がった、何気にお腹も空いている。

昨晩はビールと少しのおつまみしか食べていない。

壁にかかっている時計を見れば、まだ6時過ぎ―――

シャワーを浴びて暖まることにした。


ホカホカと身体から湯気が立ち上る。

十分に熱いお湯を全身に浴びたので身体が芯から暖まった。

目も覚めたし。

左ほおの跡は少しだけ残ってはいたけれど、あと1日したら完全に消えるだろう。

彼女との思い出と一緒に。

いつも私はパートナーと別れると素早くリセットする。

すぐ次に進めるように。

冷たい、という人もいるけれどそういう人たちとは合わないのだろう。

私も無理には合わせる気はなかった。

ガシガシと素早く身体を拭いてGパンとYシャツを着る。

髪の毛は自然乾燥なのでタオルを頭に乗せながら、朝食をつくることにした。

ひとり土鍋にササニシキ、某湧水を入れて火にかける。

電子ジャーは無い、お米を食べたい時は土鍋で食べることにしていた。

みそ汁は作り置きを冷蔵庫に個別にストックしているのでそれを取り出す。

常温中だったケトルを沸騰にした。

お米とお味噌汁、私の好きなもの。

これだけあれば十分、生きて行ける。

私は。


ぐつぐつぐつ


キッチンのテーブルに座り、濡れた髪を拭きながら土鍋でお米が炊けるのを待つ。

炊けている音と、香りは何ものにも代えがたい。

サイドメニューは一昨日買った総菜のきんぴらごぼうとイワシの佃煮を少々。

冷蔵庫に入れておくと日持ちがするので何度も食べられるので嬉しい。


ぐつぐつぐつ


ほんのりといい香りが漂ってくる。

「そろそろかな」

ゴクリと唾を飲み込みながら私は土鍋の火を止めた。

鍋掴みで鍋を持ち上げ、テーブルに移動する。

主役は土鍋のササニシキ。

お湯も熱々になったようで、鍋を置きすぐにみそ汁椀にお湯を注ぐ。

炊きたて、出来たてのご飯とお味噌汁の香りが私の食欲を刺激した。

うむ。

桜の木で作ってもらった箸を取る。

「いただきます」

一礼と感謝の言葉。

食べ物を食べる時はいつもそうしていた。

出来たてのお米はふんわりと甘みがある、咀嚼して塊を飲み込んだ。

みそ汁も、きんぴらもイワシの佃煮もご飯のお供で相性が良い。

私はゆっくりと時間をかけて朝食を取った。





付き合っていた彼女と別れても仕事はある、付き合う前に戻っただけだ。

私はバイクでの宅配便の配達員をしている。

個人的にバイクが好きなこともあるし、小回りが利くというのがこの職種を選んだ理由。

朝、出勤して各職員の配達先を確認する。

今は、AI化していて各バイク車にはGPSやカメラが搭載してあり、回った順番も今どこに居るのかもリアルタイムで分かるようになっていた。

息苦しさも感じるけれどやり甲斐はある。

「今日も多いな」

隣りでコーヒーカップを持ったまま、末永さんが言う。

40代の二児の父親で、この仕事は長くやっている。

「儲かりますけど、負担は増えますよね」

この業界のブラック体質は有名だった。

それでも辞めないのはここの会社が多少なりとも個人プレイを許してくれるから。

AI管理されているとはいえ、働いているのは人間なのだ。

ロボットごときにいいようにされるのは社長自身気に喰わないらしい。

「それにさ、時間指定したくせに居ないとか舐めているよな?」

その場合は再配達になるか、当日に集配所まで持ち帰りになる。

手間が発生するのだ、配達員には相当な負担だ。

「うちはお客様ありきなんでしょうがないですよ」

バイクだと書類の運送が主で多い時は日に100件以上は回ることもあった。

雨の日や風の強い日、雪の日が大変なのだけれど。

「まあな」

末永さんがズズズッとコーヒーを啜る。

就業時間が近くなると人が集まり始めた、ミーティングのあとに各自配達に行くのである。

「はい、不破さん」

事席に座っていると後ろから声がして、ココアがテーブルの上に置かれた。

私が頼んだものではないけれど、私以外にも男性職員の飲み物を作ってくれる木島さん。

「ありがとう」

断っても作ってくれるのでもう諦めていた。

行為の中に好意があるのも分かっていたけれど、残念ながら彼女は性格に難ありで私も彼女が勘違いするようなことはしないでいる。

基本的に女性は好きだし、可愛いと思っている中で、ある意味彼女は珍しい存在だ。

女の本性は男には全く分からないんだよな(苦笑)

男は女の愛想笑いにへらへらしてその笑顔の下に何を考えているか分からない上に、分かろうともしない。

可哀想だな、と思いつつも言わないでおく。

男は私の好みの女性を男というだけで奪うので敵愾心がある。

もちろん、その反対もあるけどそんなことは稀だ。

基本、女性は“結婚”という言葉に惹かれて私から離れてゆく。

一生、側に居てくれるというひとにはいまだお目にかかっていなかった。





仕事が終わったのは夜8時過ぎだった。

バイクに1日中乗っているのは苦ではないので疲れはないけれど。

会社から自宅には自分のバイクで帰るのだけれど、いつものコースで例のドラックストアに寄る。

必要なものを物色し、買い物カゴに入れてゆく。

安いし遅くまでやっているし、薬も買えるのもいい。

さすがに夕飯は無いのでコンビニかスーパーだけれど。

「2,700円です」

昨日と同じ声で彼女は言う。

名前は“飯島さん”、下の名前は知らない。

下の名前は必要ないのだろう、名字だけ分かればいいというお店のスタンスか。

こうしてレジでしか会うことができない。

つい、他のレジに行かずに並んでしまうのが私らしかった(笑)

好みのタイプだ。

とはいえ、仕事を邪魔する話しかけはしたくないし、仕事後を狙って待っていることもしない。

顔を合わせているだけで私は満足だった、彼女に関しては。

恋愛は成り行きだと思っているのでまた新しい人を好きになるだろう、私は。

さすがに今度は友達に手を出すのは止めよう、引っぱたかれるだけでなく、刺されるかもしれない。

ガサゴソ。

「お客様」

テーブルで袋に買ったものを入れていると声が掛けられた。

「はい?」

振り向くと彼女が居る。

「申し訳ありません、お渡しするのを忘れていました。キャンペーンのカードです」

と5枚のカードを渡された。

「キャンペーン?」

「はい、来月まで500円以上お買い上げの方に一枚差し上げています。詳しくはHPを見て下さい」

笑顔で手を握りながら渡される、これは彼女の癖だろうか。

お釣りも、レシートも。

嫌じゃないけれど、私じゃなくても男性は誤解するだろう。

「あ、ありがとう」

私にしては珍しく、つかえてしまう。

「いつもありがとうございます、不破さん」

「えっ」

私の苗字を知っている理由を尋ねる間もなく、彼女はレジに戻って行ってしまった。

このドラックストアには他の店員さんにも私の存在は知られているから、そのうちの親しくしている誰かと話している時に聞いたのだろうか。

 ま、いいか。

お腹が空いていたのでそう考えたのは一瞬で、すぐに頭が切り替わる。

家の近くのコンビニに寄って今晩はおでんだ、自分で作るのもいいけど平日は時間が無い。

出来合いとはいえ、コンビニのおでんは侮れなかった。



プシュッ

いつもの板張りの床に座って、ビールを開けた。

今から飲んで翌日の飲酒運転にはならないようにする、飲酒運転などもってのほかだ。

床には買ったおでんと、ひとり釜で炊いたご飯。

夜はコシヒカリ、色々な所のお米を回して食べている。

TVは相変わらず、スポーツ番組を映していた。

「ふうむ、やはりおでんは大根だな」

よく煮すぎてひたひたになっているのがいい、歯ごたえがいい人もいるけど私は前者だ。

こんにゃく、卵、はんぺん―――自分で作るのもいいけど、他人が作るのを食べるのもいい。

ビールの進みも良かった。


PLLLLLL


気持ちよく食べていると電話がかかって来た。

スピーカーモードで出る。


『聞いたわよ、彼女に引っぱたかれたんですって?』


最初の一声がそれか、私は苦笑する。

電話の相手は長年の友人、尾河瑛子だった。

「随分と耳に入るのが早いね」

「こういう話は回って来るのが早いのよ、最低ね、まとい」

強い調子で言われる。

「そんなことで電話して来たの? 暇なの?」

いつもこんな調子だから喧嘩にはならない、私も瑛子とは喧嘩する気はなかった。

「あなたが寂しい思いをしていると思って」

「寂しくないよ、丁度いい」

がらんとしている部屋を見渡して言う。

「強がり言わないのよ、ピザ食べるでしょ?」

「今、おでん食べてる」

ピザなどお腹に入るわけがない、もう少し早く連絡が欲しかった。

「え、夕飯食べているの?」

「当たり前じゃないか、今何時だと思っているのさ」

瑛子は私に辺りが強い調子で話しているけれど基本的には心配してくれる、私がどんなに最低だったとしても。

「えー、ピザ買っちゃったわよ」

声を上げる。

「知らないよ、自分で食べなよ」

「ちょっと、酷いわね。慰めてやろうというのに」

「頼んでないよ。それともさ、瑛子はうちに来たいの?」

瑛子はノンケで、男性と結婚している。

が、旦那はアメリカに転勤中。

距離は日本とアメリカで離れているけれど、夫婦仲は私が苦笑するほど良かった。

「別に」

「今、絶賛落ち込み中だから来なくていいよ」

「落ち込んでいるんじゃない」

「ま、私が自分でしたことの結果だしね。仕方がないよ」

それは受け止める。

彼女が居るのにその彼女の友達と寝るのは最もひどいことだ、それが分からなかった自分でもないだろうに。

男でも女でも酷いと言われるだろう行為。

「食事ができるくらいなんだから大丈夫なのね」

「うん、瑛子は今お呼びじゃないよ」

「ひどっ」

誰かが恋しいと思いはない、広い部屋に一人で居ても寂しくはないのが不思議だった。

そんな風に感じる私は心の冷たい人間なのだろうか。

「でも、来週の土曜日は暇だから遊びに来ていいよ」

私は言う、別に期待はしていない。

「ピザ、腐っちゃうわ」

「そこは新しいのを買って来てよ、お金払うし」

ははっ

電話の向こうの瑛子が笑う。

「分かったわ、来週の土曜日ね」

「そう、休みだから。朝から飲もうよ」

私も瑛子も酒呑みだった、互いにいくら飲んでも二日酔いにはならない。

「朝から? ま、いいわ。とっておきのお酒も持って行くから予定に入れておく」

久しぶりに板張りの床に絨毯を敷くことになりそうだった。





あっという間に1週間は過ぎる、月曜日はいやーな日が来たなと思うけれどそれが過ぎると1日、1日が過ぎ去って行く。

気づいた時にはもう、金曜の夜だった。

休日出勤だった私はいつものドラックストアに寄って、お酒とつまみ類を買う。

二人ともよく飲むので今日は車だった。

バイクと車を持つのは維持費がかかるので車はシェアリングしている。

レジに並ぼうとしてハタと気づく。

彼女、飯島さんが居ない。

非番の日なのだろうか。

そうだな、ずっと仕事というわけではないだろう。

仕事を休む日もある、私は彼女の顔が見られないことを残念に思いながら男性のレジに並んだ。

お酒とつまみを買って来たけれど、私も何か作る用意をする。

売っているものだけでは味気ないから。

茄子やキュウリの一夜漬けもいい、めかぶを醤油で煮込んでおくのもいい。

あとみりんと唐辛子で漬けたピーマンの佃煮も。

色々ともてなしてしまいそうになる、やはりうちに人が来るのは私も楽しいようだ。

何だか、子供のようにわくわくしている。

付き合っていた彼女を家に呼ぶ時よりそんな感じがあった。

楽しすぎたのか、翌日の準備で私は日をまたぐ結果になってしまったのである。






翌日、朝の9時ごろから電話が来た。

「はい」

私はもう起きていて掃除と洗濯を終えている。

「今、駅出たとこだからもう少しで着くわ」

「うん、待ってるよ」

「それと―――今日ちょっと、後輩も連れてくからいいでしょ?」

初耳だ。

「何で?」

つい、尖ってしまう。

瑛子と二人きりかと思ったのに。

・・・いや、別に下心とかはなく、親しい友人同士で飲みたかった。

「別にいいでしょ、女の子よ。あなた好きでしょ?」

「好きってねえ―――・・・」

言っておくけれど同性愛者は誰でもいいわけじゃない、ちゃんと好みもあるのにひとくくりに考える人間がいかに多いか。

「とにかく、今日連れて行くから嫌な態度取らないでね」

「・・・まったくもう」

結局、私は瑛子に押し切られる。

まあ、男じゃないのが幸いか。

男は要らぬ、必要じゃない。

とりあえず、もう一人分を用意することになりそうだった。



ピンポン。

呼び鈴が鳴る、やっと来たようだ。

私はエプロンを脱いで玄関に向かう。

ガチャリ

「いらっしゃい」

「よ、元気かね、まとい」

「元気だよ、すこぶるね」

ドンと一升瓶を押し付けられた。

「あと、私の大学の後輩。よろしくね」

ついでのように瑛子は言い、彼女を私に紹介した。

「あっ」

彼女を見て思わず声が出てしまう。

「―――どうも、不破さん」

ドラックストア勤務の飯島さんだった。

「あら、知り合いなの?」

瑛子が驚いたように言う。

「はい、不破さんは私が働いているお店の常連さんなんです、先輩」

低い腰で言う。

「へえ、奇遇ね。ま、知り合いなら良かったわ」

ずいっと勝手知ったる、と入って来る。

「いらっしゃい」

自分でもゲンキンだと思うけれどちょっと嬉しい。

気になっていた彼女が偶然にも瑛子の後輩で、お供に付いて来たのは。

「お、ちゃんと絨毯敷いてあるじゃない」

「板張りだと冷たいとか文句たらたらだからね、買って来ておいたのを敷いた」

絨毯があるだけで寒々しい場所が少しだけ温かくなった気がする。

「テーブルは必要?」

「要らないわ、地べたでも構わないもの。祐実もいいわよね?」

「はい、問題ありません」

後輩は先輩に意を唱えられない、だなんて暗黙のルールがあるのか無いのか分からないけれど飯島さんは同意する。

「じゃあ座っていて、用意してくるから」

「ありがと。不破まといはね、料理だけは上手いから期待していいわよ」

「なんだよ、料理だけはって」

ヒドイな、彼女の前で。

「じゃあ、楽しみですね」

飯島さんはレジの時と同じ笑顔で笑った。

ピザは電話で頼むらしく、買って来てはいないらしい。

持ってきたのは一升瓶と、ワイン、飯島さんの一口お稲荷だった。

「すごいね、作って来たの?」

酒盛りの準備万端だ、意外だったのはお稲荷さん。

「はい、うちの味なのでもしかしたらお口に合わないかもしれませんが・・・」

瑛子はリビングですでに寛いでおり、飯島さんは私の補助としてキッチンに居た。

彼女がうちのキッチンに居るのはなんとなく気恥ずかしい気がする。

いきなり自分のプライベートをバッチリ見られたようで。

「それにしても驚いたよ、瑛子の後輩とはね」

「たまたまです、呼ばれたら不破さんの家でした」

「でもさ、いきなり後輩を自分の知り合いの個人的な飲み会に誘われたらびっくりするよね」

「まあ・・・いつものことですから」

苦笑しながら飯島さんが言った。

その表情から本当にいつものことなのかもしれないと思う。

先輩からの誘いであれば後輩は無下には断れないだろう、特に瑛子は強引だからなあ。

ま、でも飯島さんのことを知ることが出来そうだし、少し彼女に近づけそうなので良かった。

キッチンで出来合いのものを皿にのせて、リビングに持って行く。

結構、豪華な酒盛りになりそうだった。




飯島さんは下の名前は祐実というらしい。

なるほど、もう覚えた。

飯島 祐実さん、いい名前だ。

でも、名前呼びは飯島さんで通そう。

一緒に、お酒は飲んでいるけど名前を呼ぶのはまだ馴れ馴れしいだろう。

距離は慎重に計らないと厄介な客だと見られてしまう、飯島さんと仲良くなりたい私としては、それは困る。

瑛子はお酒が入るとくだを巻く、厄介だ。

その相手をするのがいつもは私なのだけれど今日は隣に飯島さんが居るから彼女になっていた。

とはいえ、あの酒に酔った瑛子の相手を笑顔でしている。

しかも、嫌な顔をせずに厄介な絡みはスルーした会話術。

「慣れているね、瑛子の取り扱い」

朝から酒盛りをやって酔っぱらいは22時近くなってやっと大人しくなった。

ここまでノンストップでお酒を飲むのは久しぶり。

とはいえ、泥酔するまでは飲んでいない。

絨毯に寝た瑛子に毛布を掛ける、ベッドに連れて行ってもいいけれどさすがに飯島さんと

二人っきりになるのは気まずいのでリビングに寝かせる。

エアコンもかけているので寒くはないだろう。

「はい、先輩には色々なところに連れて行って頂いてもらっていますから慣れました」

酔った先輩の対応の為ということもあるみたいですけど、と彼女が言う。

「大変じゃない? 後輩ってだけで、連れ出されるの」

「大変じゃないです、私大学の時にずっと一人で友達も作れなかったんです。でも先輩が色々誘ってくれて・・・今では大学卒業後も友人でいる人もたくさんできましたし、視野が広がりましたから感謝しているんです」

寝ている瑛子を見ながら飯島さんが言う。

そんなことが―――

「それに、不破さんにもお店以外でも会えましたしね」

「えっ」

彼女の言葉に驚いていると彼女の手が伸びて来て、私の手に触れた。

「不破さん、いつも私のレジに来てくれますよね。他のレジは開いているのに」

ドキリ

飯島さん、酔っているのかな?

積極的なその言葉と笑顔にドキドキしてしまう。

「い・・や、他のお客さんも行っているよ。気のせい、気のせい」

男性は基本的に彼女のレジに行く、私が実感しているのだから間違いない。

女性の私が並ぶのは彼らと同じ理由だからだ。

でも、それを彼女に知られるのは嫌だったのでそう答える。

どもっていては説得感もないけれど。


「本当にそうですか?」


改めて面と向かって聞かれると、うっと詰まってしまう。

少しばかりアルコールが入っているのでいつもの冷静な状態ではない私だ。

 違う、と言いそうになる。

なんだろう、彼女は誘導が上手い。

人相手の仕事をしているからだろうか、人を良く見て、本質を見抜きそうだ。

私の邪な想いなど、見抜かれているのだろうか。

そうだとしたらかなり恥ずかしい。

「ふふふ、ごめんなさい。不破さんの事あまりいじめない方がいいですよね」

急に雰囲気をふわりと変えた。

私もそれでドキドキした心臓が少しは落ち着いて来る。

「そうしてくれると助かるよ、あのドラックストアに行けなくなるのは困るから」

「私も不破さんが来られなくなると寂しいですからね」

そう言うと缶チューハイを飲む。

「・・・・・・」

勘繰ってしまう言い方に、私は期待してしまう。

まだ、手は離れていない。

離すのを忘れているのか。

私より柔らかで温かい手だ。


この手を握り返しても大丈夫だろうか?


こういうことは、交際の始まりによくあるけれど今までのように簡単に出来なかった。

多分、それは相手が飯島さんだから。

嫌われたくないし、距離を取られたくないという思いがある。

それでも、これは千載一遇のチャンスであることは肌で感じていた。

経験から。

チャンスはここしかない、と本能が感じている。

飯島さんは私に好意を寄せてくれているのは間違いない―――それがどの程度までの好意なのかは推し量れないけれど。

「不破さん?」

「――あ、うん。なに?」


手を離してしまった。

らしくない―――

嫌われるのが恐くて踏み出せなかった。

いつからこんなチキンになったのだろう、元カノの友達と寝ることだって平気で出来たのに。

「不破さんの下の名前、まといっていうんですね」

「うん、そうだよ」

彼女に名前を呼ばれると単純に嬉しい。

「珍しいです、由来ってあるんですか?」

「あるよ。風を纏うの“まとい”、両親がバイク好きで子供も風を纏うように早く走れるようにって名付けてくれた」

「じゃあ、足も速いんですね」

「まあ、普通よりは」

そっちを話題にしてくるとは思わなかった、バイクの方かと思ったのに。

「お仕事とかは何をなさっているんですか?」

遠慮していたのか、瑛子が起きている時には聞いてこなかったプライベートを聞いて来た。

私も自分の事を彼女に聞かれるのは嬉しいので答える。

「配達の仕事、バイクで」

ドラックストアにバイクを止めるのは遠くの方だから私が乗っているところは見ていないだろう。

「趣味を仕事に、という感じですか」

「そう、バイクは趣味で乗っているから仕事はその延長という感じかな」

過去、付き合っていた彼女たちとは車より安全性が劣るので後ろに乗せることはしなかった。

「気持ちよさそうですものね、羨ましいです」

「ヘルメットをして、スーツを着ているからね。風を肌で感じなくても過ぎ去って行く景色で感じることはあるよ」

これはバイク乗りしか分からないことだ。

危ない乗り物ではあるけれど安全に乗れば最高の乗り物だと私は思っている。

「いいなあ」

「うん、いいよ」

そうとしか答えられなかった。

この感じだとバイクのタンデムに誘ってもいい感じだけれど・・・危ないと思っているから誘うことに躊躇してしまう。

「・・・・・・」

会話が止まってしまう。

相変わらず瑛子は寝ていて起きない、これは朝まで寝たままなのだろうか。

二人とも家に帰らないつもりなのか、別にそれでも私は構わないけれど。

ただ、そうなると飯島さんとの距離が一気に詰まって戸惑ってしまう。

今でも十分、戸惑っているというのに。

「バイク―――もし良かったらなんですけど、私を乗せてくれませんか?」

「えっ」

思いがけないことを言われる。

誘おうか誘わないか迷っていたところだ、そう言ってくれると踏ん切りがつく。

これは、やはり脈ありではないか。

「バイク、乗ったことある?」

「はい」

「えっ」

「えっ、て?」

まさか乗ったことがあると返事が来るとは思わなかったので言ってしまった。

「いや・・・ごめん、乗ったことがあるとは思わなかったから―――」

どう見てもライダーの要素が微塵も見られない、飯島さん。

ギャップということもあるかもしれないけれど、気配も感じない。

バイク乗りは微かにでもそういう雰囲気や、気配をまとわせているものなのに。

「兄がバイクに乗るんです、でも乗らせてもらったのはもうずっと前でしたけど」

「へえ、そうなんだ」

確かに兄弟が居るならバイクに乗ることもあるだろう。

家族構成、兄が居る――と。

「迷惑・・・ですか?」

図々しいかと思ったのか、今度は飯島さんの方が私を伺う。

「い、いや、全然! 車よりバイクは危ないから、乗りたいって人が少ないだけで―――」

慌ててしまう、せっかくのチャンスなのに。

飯島さん自らバイクに乗せて欲しいと言っているのにこの幸運に乗らないと後々後悔する。

「飯島さんが乗りたいなら、乗せてあげるよ」

力を込めて言った。

ここが踏ん張りどころだ、彼女をバイクの後ろに乗せるということはデートが必然的について来ると思っていい。

もっと彼女に近づくチャンスだ。

「本当ですか? 嬉しい!」

恐いと思わず、乗りたいと言い、乗れると喜んでくれる子は初めてだった。

過去、付き合った彼女たちは皆モータースポーツには縁の無い感じだった。

お互いに共通する話題がより多くあれば話もするだろうし、仲だってもっと深まる。

早速、私たちはその場で予定を確認した。

再来週の日曜日がお互いの予定が合いそうでその日に決める。

連絡を取るのに私は飯島さんの連絡先を聞けた、これも棚ぼたのラッキーだ。

ラッキーといえば、瑛子に感謝しなければと思う。

今日という日に後輩の彼女を連れて来てくれたことに。

他の子だったら、全く違うことになっていたかもしれない。

「嬉しいな、楽しみです」

「ヘルメットは私が用意するから手ぶらでおいでよ。あ、動きやすい服装でね」

「はい」

彼女が笑いながら頷いた。






約束の日まで天気をずっと気にしていた。

相変わらず私は会社帰りにドラックストアに寄って買い物をする、もちろん会計は飯島さんの担当するレジにしている。

連絡先を交換した日以降、彼女は勤務スケジュールを教えてくれた。

彼女のレジに行くと何かが安くなるわけでもないけれど、何となく嬉しい。

勤務体制は社員なので月~土日、土日は必須じゃなくて持ち回りらしい。

今日は時間帯が時間帯だからか、レジは混んでいなかった。

「いよいよ明日、楽しみですね」

小声で飯島さんが言う。

「あ、うん」

急に言われて周囲を憚ってしまう小市民の私。

ピッ、ピッ、ピッ

レジのPOSシステムがバーコードを読む音が響く。

「不破さん?」

「なんとなく悪いことをしている感じが―――」

「内緒話ですからね、これ」

店員と客、世間話はするだろうけれどあまり知り合いと見られていない私たちが個人的な話をしていることは職務怠慢になるかもしれない。

「意外と不破さんて気が小さい?」

「意外とって―――どんな風に見ていたの? 私のこと」

「カッコイイと思っていましたよ」

あっさりと言う。

「えっ」

ふふふ、飯島さんは小さく笑って『2,890円です』と言った。

なぜ笑ったのかは聞いても答えてはくれない、そのうち後ろに人が並んだので私は聞くことを諦めた。

今日はマンションに帰ったら駐車場でバイクのメンテを少ししないといけない。

明日、万全のコンディションで乗るために。

飯島さんのヘルメットは借りものじゃなくて買ってきた、ずっと使うからじゃなくて新しいものの方がいいから。

初めて人を乗せるので緊張もしていた。

不安が無いといえばうそになるけれど、楽しさの方が勝っている。

ある意味、デートになるからだ。

私だけがそう思っているだけなのかもしれないけれど。

行先は任されているので良さげなコースをもう選んでいる、地図は頭に入っているからあとは明日移動するだけ。

彼女が喜んでくれればいい。



翌日はピーカンの快晴、風もあまり無くていいツーリング日和になった。

私の日々のお願いが神様に無事届いたようで何より。

朝早くから起きて、まだ時間ではないのにそわそわしてしまう。

こんなに楽しみなことは久しぶり、わくわくする。

昨晩は、ずっと愛車のドゥカテイのメンテを遅くまでやっていた。

ピカピカに磨いてやったので、本人バイクも満足しているだろう。

待ち合わせの場所には気が早すぎて30分も早く着いてしまった(笑)

いくら何でも小学生じゃないんだからと自分を落ち着かせる。

「不破さん」

声が聞こえて振り向くと飯島さんが居た。

いつもはドラックストアの制服しか見ていないので私服は新鮮だ。

「かわいいね」

Gパン姿は初めて見る。

「ありがとうございます」

飯島さんは照れたように言う。

バイクを乗る服装としては合格、私はヘルメットを渡す。

彼女の髪型はショートなので引っかかるお団子や、ヘルメットから出てしまう髪の毛はない。

「きちんと締めてからでいいからね、引っ張って確認して」

久々にバイクに乗る飯島さんに言い聞かせた。

ヘルメットは安全具だ、きちんとしなければあとで危険なことになる。

「はい」

数分格闘してようやくヘルメットを被れた飯島さんをバイクの後ろに乗せる。

「バイク、ドゥカテイなんですね。びっくりしました」

「そう?」

自慢じゃないけれど高いで有名なバイクだ。

それに私が乗っているのは最新型で、半年前に発売したばかり。

「よく、レースで見るヤツです」

「レース仕様じゃないのに良く分かったね」

私はエンジンをかける。

「書いてありますから」

「――ああ、そうだね」

笑って私はバイクを発車させた。



景色がいいところを走るのがいいと思って海に向かう。

潮風は天敵だけど折角のデート(?)だ、そんな事は言っていられない。

都心は混んでいたけれどそれを抜ければ、車の量も少なくなってくる。

季節の花が咲く海岸ロードをずっと走り続ける。

会話は出来ないけれど、見せたい景色は分かってくれると思う。

私の身体にしっかりとしがみつく腕と押し付けられた身体が服越しだけれど彼女を実感させる。

ある程度走って、休憩にした。

都会には無いアナログな場所。

今は道の駅とか、カフェとか色々なものが出来ているので休憩に事欠かない。

昔からしたら随分と良くなったと思う。

今日はいい天気なのでツーリング組ともよく会った。

夫婦で来ていれば、独りの人、恋人、兄弟、親子、仲間、様々。

「不破さん、こっち、こっち」

売店でお茶を買った私を飯島さんが呼ぶ。

海に面した道路に建っている、無料休憩施設。

駐車場もトイレも整備されていて小綺麗、海を見る方には椅子が沢山あった。

そのうちの一つの椅子に私を呼んだ。

「折角ですから、海を見ながら休憩しましょう」

「それはいいね」

私もそれには同意した。

いつも人工物の建物に囲まれているのだから広大な海の綺麗さに感激するのもいい。

パタパタ

飯島さんが椅子を払ってくれ、促してくれる。

「ありがとう」

「いえいえ」

目の前は広大な海、水面がキラキラと光っている。

海の近くは風があるので潮の匂いが臭くならず流れてゆく。

「不破さん、じゃん」

彼女が背負った小さなリュックから包みを取り出した。

「なに?」

「お弁当というわけにはいかなかったので、少ないですけど小腹が空いたら食べられるようにサンドイッチを作ってきました」

おおっ

密かに心の中でテンションが上がる。

「いいの?」

「はい、二人で食べるのに作って来たので」

出来すぎ、飯島さん。

期待なんてしていなかったのに、このサプライズにはクラリとしてしまうじゃないか。

「飯島さんも料理が上手なんだね」

「はい、食べるのも好きですけど」

手拭きを先に渡され、手を拭いてからサンドイッチを渡された。

きゅうりと卵とレタスのサンドイッチ、実に美味しそうである。

食べたら予想以上に美味しかった。

外で食べたからだろうか、飯島さんが作って来てくれたからだろうか。

「美味しいよ、飯島さん」

「ありがとうございます、お口に合って良かったです」


ああ、笑顔ついでにお腹も満たされて心も満たされるとは―――幸せすぎる。


「あと、2個ありますからねノルマです」

「ノルマなの?」

「はい、リュックを軽くしたいので」

「了解、じゃあ軽くする手伝いをしょう」

更に渡されるサンドイッチを私は食べる。

美味しいものは何個食べても美味しい、いくらでも食べられそうだった。

「不破さんって美味しそうに食べるので作った甲斐があります」

「本当に美味しいよ」

「不破さんの方がもっと美味しく作れるんじゃないですか」

「そんなことないよ、飯島さんが私のために作ってくれたから美味しいんだと思うな」

私がそう言うと飯島さんが顔を真っ赤にした。

「そんなことないです、不破さんの料理は美味しかったです」

「おつまみしか作ってないよ」

酒宴のつまみだけ。

「料亭も真っ青なあの味は凄かったです、感動しました」

そこまで褒められると照れるのを通り越して苦笑してしまう。

「料理も趣味だよ、お酒に合うように研究していたらね」

最期のサンドイッチを貰う。

ハムとレタス。

シンプルだけど、口の中で美味しさを実感する。

「美味しかった、サンドイッチはよく食べるけどこれだけ美味しかったのは初めてだよ」

「褒めすぎです」

「褒めるのに過ぎることはないよ、本当のことだし」

お茶を飲む。

満たされた小腹に、心地よい波音と柔らかい日差しに眠気を誘われる。

「ふあああ」

あくびが出てきて私は背伸びをした。

「眠くなりました?」

「小腹が満たされたからね、急ぐ旅じゃないし」

「じゃあ・・・」

「うん?」

片付けると飯島さんは足をそろえてポンポンと自分の膝を叩いた。

これって―――

「膝枕です、不破さんにはこの先頑張ってもらわないといけないので」

「サービスしすぎだよ」

すごく嬉しいのに、それを顔に出さないようにするのが難しい。

「サービスにも過ぎることは無いのです、ほら、不破さん」

ポンポン

Gパン越しの飯島さんの太腿が誘ってくる。

直でなくても確実に柔らかいのだろう、触れていないのに想像した感触に興奮してしまう。

「・・・いいの?」

恐る恐る聞いてしまう。

現実ではないのではないか、夢なのではないか。

「はい」

「―――勘違いしちゃうよ、こんなことされたら」

素直に横になればいいのに余計なことを言ってしまった・・・


「か・・・勘違いじゃないんです」


飯島さんが珍しく口ごもりながら言った。

直前まで、はきはきしていたのに。


ドキリ


「えっ」


それって―――

心臓の鼓動がばくばくと跳ね上がる。

聞き間違い?

彼女の顔が普通以上に赤い。


「飯島さん――」


「私―――」


お互いに何も言わずに顔を合わせた。

多分、お互い言いたいことは同じようなことだと思う。

予想ではなく、これは確信。


「勘違いじゃないって・・・それって―――」


「はい、私・・・不破さんの事が好きです」


彼女の口から伝えられる言葉。

すぐには実感できなくて数秒、ぼうっとしてしまった。


「―――私のこと、瑛子から聞いた?」


彼女は頷く。

私が同性愛者だということを分かった上での告白なのか。


「そういうことを知っていて私を好きなの?」


飯島さんとは慎重に距離を縮めたかった、安易に決めたくない。


「私じゃ・・・ダメですか、不破さん」


「ダメじゃないよ、実は私も飯島さんの事は気になっていた」


「不破さん」


「でも――私の場合は・・・拒否されることの方が多いから飯島さんのように恐くて言えなかった」


私は嫌われるのが恐くて慎重になりすぎていた。

相手がノンケでなく、飯島さんでもなければ気軽に口説いていたのに。


「不破さんも・・・私のことが好きだと思ってもいいんですか」


「うん、好きだよ」


瑛子に連れてこられた時、凄くびっくりしたし嬉しかった。

気にはなっていても、いつもお店で話すだけの関係。

それ以上の進展なんて望めなかったのに、その時から道が開けた。


「ほんとうに?」


「うん、私は飯島さんの事が好きだよ」


私は手を伸ばし、彼女の手を取ると握った。


「私と付き合って欲しい」


私の方から言った。

ここまでお膳立てしくれたのは飯島さんだけれど、私からの方がいい。

と、思っていたら―――


「私が言おうと思っていたのに・・・」


飯島さんが言うので笑ってしまう。


「飯島さん、可愛いのに」


「不破さん、見た目で判断するのは良くないです」


「ごめん。で、返事はどうかな?」


「もちろん、お付き合いさせてください」


ぎゅっと手を握り返して来る。

ツーリング先で飯島さんと付き合う事が決まった。

まさかこうなるとは・・・少しは仲良くなれれば良かったらいいなとは思ってはいたけれど。

もちろん、嬉しい。

凄く、嬉しい。


「サンドイッチ、また作ってくれる?」


「はい、何個でも作ります」


耳まで赤くしながら飯島さんは頷きながら言う。


「うん、沢山食べたいな。よいしょっと」


私は手を離して遠慮なく彼女の膝を借りて長椅子に寝転ぶ。


「不破さん」


「寝ていいんだよね?」


「・・・はい、全然OKです」


「じゃあ、しばらく仮眠するからこの膝貸してね」


私は目を瞑って波の音に耳を傾け、彼女の腿の感触を楽しむことにした。






ゲシっ


「痛っ!」


後ろからカバンで殴られた。

こんなことをするのは彼女しかいない。


「痛いよ、瑛子何するかな―――」


中ぐらいのブランドバックだというのに意外と痛い。

振り向くとお出かけ仕様の友人瑛子が居る。

昔はバリバリのキャリアウーマンだったけれど、今は専業主婦だ。

旦那は現在アメリカに出張中。

「何するかなって、分かってるでしょ?」

グイっと私の首を片腕で引き寄せると威圧するように囁く。

「あいっ、かわらずの地獄耳だな」

瑛子が言っているのは飯島さんの事だ。

「アレは私の大事な後輩なのよ? 自分の彼女の友達と寝るヤツとなんて付き合って欲しくないんだけど」

その言葉は耳が痛い。

私の汚点だと思う、一応・・・彼女にはすでに話してある。

包み隠さずに。

それでも飯島さんは私と付き合う事を考え直す事はしなかった。

「もう、そんなことはしないよ。あの時はどうかしていたんだ」

待ち合わせは居酒屋の前だったので、お店に入って行く。

「どうだか、一度したことは二度するのよ。前科者~」

「彼女に誓ったから、しないって」

店員がいらっしゃいませ~と言って私たちを席に案内してくれる。

「ほんとに?」

「本当に。彼女にもちゃんと正直に話したし」

生中を大ジョッキで注文した。

「それであの子、納得したの?」

「したよ、何か言われるかと思ったけど何も言わなかった」

元カノは私をひっぱたいたけれど。

「―――それならいいんだけど、遊びだったら殴ろうかと思っていたのに」

怖いなあ、瑛子・・・

本気なのが分かるから、私はブルリと身を震わせた。

『お待たせしました~生中です!』

雰囲気を読まない店員が、ビールを持ってくる。

「ありがとう」

二人同時にお礼を言うと、ジョッキに手をかけた。

「ま、とりあえずはおめでとうと言っておくわ」

「信用ないんだなあ」

「当たり前でしょ、彼女の友達と寝るとかあり得ないから」

いまだ、おかんむりである。

これは、恋愛について瑛子の信用を取り戻すのは時間がかかりそうだった。



最初は私と彼女が付き合う事は渋々という感じだった瑛子も話を聞いてゆくうちに態度を柔和させた。

中学生のように清い交際関係だからだろう。

未だ、手を握ったり、キス止まりとか。

それを瑛子に言ったら、大笑いされた。

「嘘!あの、まといが!?」

今にも泣き出しそうなくらい笑う。

「そんなに笑うな」

私といえば笑われている悔しさにビールを飲む。

「嘘でしょ? 嘘って言ってよ、あの出会ったその日にその子と寝るっていうお持ち帰り魔が?」

それは場合による、っていうの。

毎回お持ち帰りするわけじゃないし、全員と寝るわけじゃない。

「―――それ、聞いて安心したわ」

涙を指で拭いて瑛子が言った。

「それだけ本気だってことだよ」

「安心はしたけど、半信半疑ではあるわね」

「彼女とは本気だよ」

「前科があるとね、そうそう信じられないの。あの子も良く信じたわね」

瑛子には一生、言われそうな気がする(苦笑)

「それについては私もそう思う」

付き合う事になった過程で、私もホントにそれでいいの?そんなに簡単に信じてと思ったくらいだ。

信じてもらいたいけれど。

「あの子を泣かしたらただじゃすまないからね」

「分かってるよ・・・」

瑛子は怖すぎる。

しないし、する気もないけど絶対しないと心新たにする。

「今度、バイクで少し遠出をする」

「バイクに乗るの? あの子」

瑛子は驚いたように。

「乗るっていうか、私の後ろだけど。バイク好きなのも共通点」

「へえ、それはいいわね。趣味が似ているのは長続きするし」

以前の彼女たちには無かった共通点だ。

それだけでも飯島さんはポイントが高い。

「で、いつ“する”のよ」

「・・・嫌な言い方だな―――」

「下世話だけど、気になるじゃない外野としては」

ふふん、と笑う。

話のネタにされるのは仕方がないか、まだ付き合ったばかりだし。

「彼女の方はいつでも良さそうだけど・・・まだタイミングがつかめていないかなあ、今度の遠出でと思っているんだけど」

「まあ、珍しい。まといにしては」

「慎重になっているんだよ、嫌われたくないし」

「―――ホントに本気なんだ」

「本気だって言ったのに信じてなかったの?」

「半分くらい」

あっさり言われて私は、はあ、とため息をつく。

彼女にはとことん信用がない私だった。





仕事の合間にスマホを見たらLINEにメッセージが来ていた。

飯島さんだ。

まだ、彼女の事は飯島さんと私は呼ぶ。

彼女も私のことは不破さんと名字で呼び合っていた。

そろそろ名前で呼んでもいいのかなと思うけれど照れてしまって言えないでいる。

この私が(笑)


【今日、お店に寄れますか?】


お店には毎日のように寄っているから寄らない日はない。


[寄る予定だよ、何かある?]


【昨日、お料理を作りすぎちゃって、良かったらお夕飯一緒に食べませんか?】


彼女のマンションには何度か行ったことがある、私のマンションにも彼女も来たことがあった。

こんな風に誘われることは付き合ってから増えている。

なのに、私たちの間はあまり進展がなかった。

 ヨシっ。

決意を固める。

遠出先でロマンチックにと思ったけれど、タイミングが合えばと思っていた。

今日、頑張って彼女との関係を進展させよう。


[お誘いありがとう、行かせてもらうよ。お店が終わるタイミングで待ってる]


彼女はお店までバスで行くので帰りは私のバイクに乗せよう、付き合い始めてから私は彼女用のヘルメットを常備するようにしていた。


【良かった、じゃあお店が終わる時間にお願いします】


彼女のLINEのメッセージはほとんど絵文字が無い、今時にしては珍しかった。

まあ、そこが好きな所でもあるのだけれど。

食べ物はひとりで食べるより複数で食べるとよりおいしい、と実感する。

特に好きな人と食べるのはより幸せになる。

彼女に返信するとこれ以降の仕事を俄然、頑張る気力が出て来た。

今夜は飯島さんと夕食が食べられる、嬉しさが顔に出てしまいニヤける頬をぴしゃりと叩いて気合を入れ直した。



お店の中で会計事、顔を合わせて再びお店の終了後に顔を合わせるのは何だか照れる。

私はバイクを止める駐車場で待っていた。

飯島さんは夜、9時に仕事を終える。

お店は24時までなのでそれくらいの時間になってしまうのだ。

それから夕飯になるので遅くなってしまうのだけれど私は気にならない。

彼女の手料理を食べられるのだから。

「お待たせしました、不破さん」

彼女が小走りで私のバイクに近寄って来る。

「お疲れさま、飯島さん」

ヘルメットを渡す。

「すみません、よろしくお願いします」

「いいよ、問題ない」

今日はズボンのようなのでバイクに乗るのは問題ない服装。

彼女を後ろに乗せ、よく私の腰につかませるとバイクを発進させた。

お店から彼女のマンションまで何回か乗せているから慣れた道だ、それに道路については仕事の都合で頭にナビゲーションシステムのように入っているので迷うことは無い。

そこら辺は私が他の誰よりも自慢できる点だ。

20分程度彼女を乗せて走り、マンションの駐車場に止める。

彼女は車を乗っていないので駐車場契約はしていなかったが、駐輪場が空いているのでそこに止めさせてもらう。

一応、大家さんにはこと付けを渡してある。

「今日は思ったより早く帰れました」

「うん、渋滞に引っかからなかったね」

早くたどり着けるといいことはある、少しでも長く一緒に居られること。

駐車場からマンションのエレベータまで歩き、彼女の住んでいる階を目指す。

もう遅い時間だからか、誰にも会わない。

「私このあいだ買ったお魚を干物にしてみたんです」

エレベータの中で飯島さんが言う。

「干物に?」

バイクで朝から漁港に行った時の話だ。

そこで私たちは色々食べたけれど、お互い料理が出来るので魚も色々買った。

「ベランダに干したの?」

買ってきた魚をさばいて、ベランダで干しているのを想像する。

「はい、あの青い網のやつで干したので鳥も来ないですし良くできたと思います」

「凄いなあ、干物は作ろうと思いつかなかったよ」

「不破さんに食べてもらいたいと思って―――」

顔を赤くしている飯島さん。

 ああ、可愛いなあ・・・

彼女をここで抱きしめて、キスできたらいいのに。

出来ないわけではない、しても拒否されないとは思う。

でも、出来なかった。

干物には時間がかかるからすぐには食べられない。

「ありがとう、食べるのを楽しみにしておくよ」

伸びそうな手をぎゅっと握って、堪える。

自分がこんなに意気地が無いとは思わなかった。

エレベータを降り、歩いて彼女の家の玄関に辿り着く。

キーはカード型でかざすとすぐに開いた。

「どうぞ、不破さん」

「お邪魔します」

玄関に足を踏み入れると、彼女の生活の匂いがした。

私にもあるけれど、ひとそれぞれ住んでいる家の匂いがする。

芳香剤だったり、生活臭だったり。

「寛いでいてください、今用意しますから」

「何か手伝おうか?」

「大丈夫です、ここは私のお城なので」

飯島さんはにっこり笑って、冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを私に渡す。

「分かった」

温かいお茶を飲みたいわけではないので私はそれで十分、お茶なら食事の時に出されるだろうし。

彼女のする事には私は意を唱えないし、不満も無い。

必要以上になにかをして欲しいとも思っていないので満足だ。

寛いでいていいと言われたので私は、TVを点けさせてもらい食事までそれを見ることにした。

TVを見ているとそのうちいい香りが漂ってくる。

自分のために作ってくれていると思うと嬉しくなる。

私は誰かに作る時は嬉しいものだ、食べてくれる人の反応を思い浮かべて。

飯島さんも今、同じようなことを考えているのだろうか。

 不破さんに食べてもらいたくて―――

顔を赤くして言った飯島さんを思い出す。

その場で抱きしめたくなるほど可愛かった。

以前の私なら実際にしただろうけれど彼女には慎重になっている。

付き合っているのに何を今さら・・・なのだけれど。



「お待たせしました、不破さん」


「あ、ありがとう。言ってくれたら出来たやつは運んだのに」

TVを見ながら物思いにふけっていたらもう夕飯が出来たようだ。

お盆に料理を乗せている飯島さんが立っている。

私はキッチンかだだっ広いリビングで食事をするけれど、ここはこたつ机の上で食事をする。部屋の大きさと置かれている物が圧迫して少し狭く感じた。

でも、ひとりで生活するならこれくらいが妥当なのだろう。

私のマンションの部屋の使い方が変わっているのだ(笑)

テーブルの上に、炊き込みご飯のおにぎりと小松菜のおひたし。

ワカメと豆腐のお味噌汁、きゅうりと茄子の浅漬け、ワサビ菜のサラダが並ぶ。

「こんなに?」

「おにぎりなんて、サイドメニューを追加してみました」

おにぎりが普通より大きい気がする・・・(笑)

「食べてみてください、感想期待してますね」

「・・・えー、詳しい感想を言わなきゃだめ?」

美味しいじゃ、彼女は許してくれないのだ。

「冗談です、別に世に出す料理でもないのでそこまで求めませんから」

からかわれたらしい。

「もう、ゆっくりご飯を食べさせてよ」

「どうぞ、ゆっくり食べて下さい」

「うん」

料理も同じ趣味なので食べながら、美味しいものについて話す。

デートで遊びに行った先で食べた料理にもあーだこーだと言って討論するのが楽しい。

「炊き込みご飯、具も出来合いのじゃなくて?」

「はい、やっぱり不破さんに食べてもらうのはレトルトにしたくなくて」

あれ? 飯島さん、作りすぎたって言ってなかったかな・・・

ふと、思い出す。

あれ?・・・もしかしてついでなのかな?

「うん、美味しい」

箸が進む。

味も私の好みに近い。

「良かった、そう言ってくれて」

「飯島さんの作る料理はみんな美味しいよ、毎日食べたいくらい」

これは本心。

自分だとこれを食べよう!と思わないと簡単に済ませてしまう。

こんな完璧な日本料理なんて食べない。

「本当ですか?」

「うん」

お味噌汁を飲む。

赤味噌だったり白味噌だったり、混合だったり彼女は色々作ってくれるので楽しさもある。

「ねえ、不破さん」

飯島さんが箸をおいた。

「うん?」

私のみそ汁を飲む手が止まる。

「どうかした?」

「あ・・・の―――」

「なに?」

みそ汁のお椀を置く私。


「よ、良かったらなんですけど! 明日の朝ご飯・・・食べて行ってくれませんか?」


飯島さんが言った。

珍しく声をあげて。

あまり声を上げない人なので私の方がびっくりしている、その内容にもだけど。


「えっ、ええっ?!」


少し間があって今度は私が声を上げる。


い・・・や、急に展開が早い―――まだ、心の準備と言うものが・・・


ドキドキしてし出して、身体が熱くなってくる。

飯島さんも自分が言ったことの重大さに顔を真っ赤にしてうつむいていた。


「だ・・・だめですか?」


「だ・・・ダメじゃない―――ちょっと・・・動揺しているだけ・・・だから」


私も両手を両ひざに乗せてうつむいたまま彼女に言う。

瑛子がこの場面を見たら大笑いすること間違いない、絶対に。

まさか彼女の方から先手を打ってくるとは思わなかった。

今日のLINEは呼び水だったのか、ご飯を作りすぎたというのも――

本当なら私から言わなきゃならないのに。


「わたしのこと・・・はしたないと思いますか」


「お、思わないよ!思うわけが無い」


反射的に顔を上げて否定する。

なぜ、そんな風に思うのか。

あり得ない。


「じゃあ―――」


「うん、明日は君の朝ご飯を食べさせてもらうね」


何とか気力を振り絞って笑顔で言えた。

「良かった」

彼女がホッとしたような表情で言う。

「じゃあ・・食べようか」

どうしてもぎこちなくなってしまう、彼女が相手だと。

「はい」

その後、私たちは妙なギクシャク具合で食事をしたのだった。







「ありがとうございます」


私は次の日の朝、飯島さんの作ってくれた朝ご飯を一緒に食べてから彼女をお店にバイクで送ってあげた。

「うん、じゃあ」

誰もいない駐車場に私とバイクと彼女だけが居る。

「不破さんも気を付けて出勤してくださいね」

バイクのハンドルを握っているグローブの上に手を重ねて言った。

お店からマンションに送ったことは何度もあるけれど、マンションからは無い。

今後は増えると思う。

「飯島さん、昨晩はすごく良かった」

メット越しに言うと彼女はばっと顔を赤くした。

「不破さん!」

すぐに顔に出てしまう彼女の事を可愛いと思うし、愛おしと思う。

「仕事、行くね」

さすがにずっと話しているわけにはいかないので私はバイクのエンジンをかけて自分の仕事場に向かったのだった。




一線を越えてしまえばあとは簡単だった。

週末になると互いのマンションに泊まりに行き、翌朝に食事をするようになる。

やっと距離が0になったと思う。

ずっと溜めていたストレスを感じなくてもいい、彼女に触れたい時に触れることが出来るし、キスも出来る。

日曜日の今日は、私のマンションに彼女が来た。

マンションの地下1Fの駐車場に私たちは居る。


「――――・・・」


彼女が小さなため息を付いて私から身を離す。

そのまま、私の胸に額を当てた。


「もう・・・いきなりなんですから、不破さん」


私の突然のキスに戸惑いながらも嬉しさも感じているようだ。


「キスしたかったんだよ、祐実と」

私は胸に頭を置いていた彼女の顔を上げさせた。

もう、彼女のことは名前で呼んでいる。

「―――ここは、駐車場です」

「誰も見てないよ、キスくらい公然わいせつにはならない・・・」

また、キスをしようと顔を近づけたら手で拒否された。

「祐実」

「ダメです、不破さんの部屋に行くまでお預けです」

ここら辺は妙に常識人だった(笑)。

「分かった、部屋に行ってから祐実を抱くよ」

彼女の腰を引き寄せ、耳元で囁くと更に彼女は顔を赤くした。

「もうっ!不破さん!」

ドン、と身体を押しやられる。

「ごめん、ごめん」

ぷりぷりと怒ってしまった彼女の後についてゆく、ここは私のマンションだけれど彼女の方も詳しくなってしまったのだった。


ガチャリ。


鍵を開けるとすぐに電気が付く、人感センサーは便利だ。

暗がりで電気を探したり、足元につまずかなくてもいい。

「ふ、不破さんっ」

駐車場での宣言通り、玄関に入ると私は祐実を抱き寄せてキスをしようとした。

「いや?」

彼女が声を上げたので私は一旦止める。

「こんなところじゃ・・・落ち着きません」

「キスだけだよ」

「だけでも、です」

「参ったな、私は祐実とキスしたいのに」

「不破さんって・・・こういう人だったんですね」

ため息を付く祐実。

「――そうだよ、猫被っていたんだから」

やはりキスを今、したい。

私は彼女の手をかいくぐって祐実にキスをした。

唇が触れた瞬間、身体を押しやられたけれど手の力を抜かずに更に引き寄せているので祐実は逃げられない。

「ん、んっ」

不意のキスだったのでその気のなかった祐実はキスに抵抗する。

でも、その抵抗は最後まで続かない。

次第に抵抗が弱くなってゆく。

閉じていた唇の中に舌を滑り込ませ、彼女の舌を絡ませると祐実が応えて来る。

甘い―――

私の服を掴んでたどたどしく応えてくれる様は微笑ましい。

嬉しく感じる。

「は・・・ぁ・・・っ」

息継ぎの為に唇が離れた。

祐実は力が抜けたように私に身を委ねて来る。

「もう―――」

「可愛いよ、祐実」

私は彼女の髪に口づけながら言う。

「こんなところで・・・キスなんてしたくないのに―――」

「その割には、随分と熱心に私に応えてくれていたみたいだけど?」

そんな彼女をつい、可愛くていじめたくなる。

「不破さん!」

「移動しようか」

「~~~~~~~」

彼女が切れそうだ。

「うそうそ、ごめん」

逃げようとした彼女を引き留める。

「もう、知りません! 勝手にしてください」

「ごめんって、謝る」

ここで怒らせると指一本触れさせてもらえなくなりそうなので謝る。

玄関から移動しながらずっと。

キッチンで買ってきた買い物を彼女はリュックから無言で取り出す。

「祐実・・・」

無言なのが少し怒っている証拠。

参ったな、機嫌が悪そうだ。

「お昼は私が作ります」

「手伝うよ」

「結構です、不破さんは向こうに行っていてください」

けんもほろろに言われる。

それが私に対する一番の対抗策だ。

「祐実・・・」

一緒に居るのだから二人で料理を作りたいのに。

「強引にキスした不破さんが悪いんですから反省して下さい」

「ダメ?」

「そんな顔してもダメですから」

無理か、甘えてみたんだけどな。

「ちぇっ」

「さあさあ、リビングで待っていてください」

悲しいかな、私は自分の家のキッチンから追い出された。



一週間振りに会えたのに、私が我慢できなかったせいでこんなことに(泣)。

リビングに増えた、人をダメにするクッションを抱えながら私はいじける。

いまだに祐実は人前でも、玄関も、外でのキスを嫌がった。

人が見てなければいいのに、という私の考えは彼女には通じない。

鉄壁の道徳概念(苦笑)

多分、キスでああなのだから玄関で彼女を求めて胸を触ったりスカートを探ったりしたらとんでもないことになりそうだった。

さすがに、そこまでする勇気は無い。

どんなに彼女のことが欲しくてもキス以上は大人しく、寝室のベッドにしよう。

祐実がああ言ったら聞かないので、私はもう何も言わない。

機嫌が直るまで彼女の好きにさせるしかない、うちに来て1日中機嫌が悪いままという事はあり得ないので時間に任せるしかなかった。

キッチンの方に気をしながら、TVを観る。

やはり、スポーツ観戦、今日はバレーボール。

コートを行き来するボールをぼうっと見た。

でも、キスはしたい時にしたいな、とは思う。

こんな風に思うのは良くないのだろうけれど祐実はまっさらすぎて時々、つまらないことがある。

彼女のことは大好きだけど。

じゅうっ。

キッチンで焼ける音がする。

あれは餃子を入れて焼いているフライパンに水を入れた時の音。

そう、今日は餃子と青椒肉絲の中華なお昼の予定だった。

もちろん、デザートに杏仁豆腐が付く。

杏仁豆腐も彼女の手作り。

ぐううう―――

お腹が鳴る。

まだ正午ではないのに匂いと音でお腹がすき始めた。

お腹もヤバいけれど、一つ屋根の下に居るのに側に居られないのが痛い。

「~~~~~~~~」

ガバッ

私は意を決して人をダメにするソファーから飛び起きた。


こそっ

キッチンをそのエリアの外から伺う。

チラッと顔を上げた祐実と目が合ったけれど彼女は私を無視した。

「・・・・・・」

無視は辛い、そしてすごく悲しい。

しかし、私はめげずにそこで彼女を伺っていた。

なにか用事を申し付けてくれないかなと、思いながら。

「・・・不破さん」

さすがに、ずっとそこに気持ち悪くいたせいかある時、祐実がため息を付いて声をかけてきた。

「あ、うん、なに?」

「そこにそんな感じで居られると困ります」

「・・・・・・」

違った。

「なにか―――用事でもないかな、と思って・・・」

私を使って欲しいオーラを出しながら言う。

「もう、ほとんど終わりましたから大丈夫です」

見れば、キッチンテーブルの上に昼食が整然と並べられていた。

出来たてだとわかる湯気が立っていて、美味しそうだ。

「そう・・・」

「座ってください、少し早いですけどお昼にしましょう」

祐実はにっこり笑って私に言った。




ジャー

水が蛇口から流れ落ちる。

お昼の食事の食器を洗うのは私だ、無理やり彼女から取り上げたのだ。

玄関での無理やりのキスのお詫びでもある。

「そんなに私に機嫌を直して欲しいんですか?」

食器を洗っている私の後から抱きついた祐実が言う。

「そうだよ」

「じゃあ、なんで私の機嫌が悪くなることをするんですか」

「だって、私は祐実にキスをしたかったの」

ふふふ。

後ろから声がする。

「したい時に出来ないのは辛いよ、祐実」

「嬉しいですけどその時の気分、というものもあります」

さっきはその気分ではなかった、と。

カチャリ。

洗い終わって手を拭く。

「終わったよ、ほら離れて」

顔を向ける。

「今もキスしたいですか? 不破さん」

祐実が聞いてきた。

「・・・そんなこと、今聞く?」

「はい」

「うん、祐実とキスしたいと思っているよ」

「じゃあ、ご褒美にキスしてあげます」

皿洗いのご防備?(苦笑)

「ここ、キッチンだけど?」

「全然」

そう言うと私を振り向かせ、首に腕を回すとキスをしてきた。

柔らかな唇が触れる、私のようにすぐには舌が入って来ない。

熱っぽいというよりは爽やかな感じのキスで私とは正反対だ。

それでもキスはキスのなので、私は味わう。

腰を引き寄せると彼女の身体を抱いた。



ガラス窓からの陽の光は白いレースのカーテンをすかして柔らかな日差しになる。

お昼を食べ終えた私と祐実は麗らかな日差しと、緩やかな風を肌に感じながら絨毯を敷いたリビングで人をダメにするソファーに埋もれていた。

お互い全裸なので持ってきたタオルケットを身体にかける。

私は祐実の身体を抱き、彼女は私の身体に身を寄せていた。

「まだ、お昼なのに・・・」

祐実がつぶやく。

「日曜だから問題ないよ、誰も文句は言わないし」

昼間っから私に抱かれたのが嫌ではなかったみたいだが、納得いかないらしい。

求めた時、拒否しなかったのでそのまま私は彼女を抱いた。

「自分がだらけたみたいで・・・」

「祐実は真面目すぎだよ、もっと頭を柔和にしたらいいのに」

彼女の髪に口づける。

「なれたらいいんですけど」

「欲望に素直になったらいいんじゃないかな」

「どこでもキスしたいっていう不破さんの欲望ですか」

クスクスと小さく笑う。

「祐実は無いの? 不意にキスしたくなるってことが」

しばらく間があった。

「内緒です」

内緒とか。

多分、あるんだろうな。

人間だし。

「―――好きだよ、祐実」

「何ですか? 急に」

私が耳元に囁いた仕草に祐実は首と肩をすぼめる。

「急に胸に思うこともあるの、だから言葉にしてみた」

「こそばゆいです」

「私は好きなら好きだって言うよ、それが今のリアルな気持ちだからね」

「不破さんは、そういうことを言うのは恥ずかしくないんですね」

「祐実は好きだって言うことが恥ずかしいの?」

逆に聞いてしまう。

「・・・照れます」

「言わない方がいい?」

「それはーーーー」

顔だけ私の方に向ける祐実。

「うん?」

「不破さんに好きだって言われるのは嬉しいです、私のことを本当に好きだって実感できます」

「じゃあ、そのままとする」

「はい」

私がそう言うと彼女は顔を摺り寄せて来た。

今、この二人の時間が穏やかだった。

外の世界の雑踏から切り離され、何ものにも侵害されない静かな時間。

腕に抱いている身体を少し強く抱きしめる。

「少し寝ます」

「うん、また夜もあるからね」

「不破さん・・・」

祐実は呆れたように言ったけれど、私の腕に触れる手は優しい。

「好きだよ、祐実」

「はい」

嬉し気に答えてくれる。

私はそれが嬉しくて微睡に引き込まれながらも、彼女に言い続けた。

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