いわく狼のお腹の中
瞼を射す光に目を覚ます。ぼやけた視界に瞬きを繰り返せば、どうやら僕は木に凭れたまま居眠りしていたようだ。膝から転げ落ちた本が、栞も挟まずに装丁に従って閉じられる。
「………」
夢を見た気がする。内容を思い返そうとするも、靄がかった記憶は情景を霞めてしまい、徒労に終わる。背後の幹に体重を預け、木漏れ日に目を細めた。白くけぶる光が葉を透かし、輪郭をなくしていく。何故だろう、酷く眠い。芝生に転がる本を徐に捲り、気まぐれに文字を目で追った。
(あなたは私を愛してくれる)
(そんなあなたが愛しくてたまらない)
(ああ、ソゥ、ル、ニ しまいたい)
あたまがくらくらする。二日は徹夜した後のようだ。膝を抱えて膝頭に頬を乗せる。頁を捲る、眠気が増す。目は文字を捉えているはずなのに、脳が読解を拒んでいる。文字が読めない、瞼が重い。先まで寝ていたはずなのに、思考が朧気で白く輪郭をなくしていく。指が滑る。ぱたり、表紙の閉じる音がする。
(キャアアアアアアアアアッ!!!!)
突然響いた悲鳴に飛び起きる。ばさばさ、葉が降り注ぐ中、隣に誰かが降り立った。逆光を背負ったそいつは僕の腕を掴み、無遠慮に引っ張る。「ツδ仰イツつウツづアツ! 」それが怒鳴った。
「何してるんですか! 早くホゥ、テ、ニ ください!」
「……は、」
もう一度それが「ツδ仰イさん!!」怒鳴る。激しく軋んだ頭に米神を押さえ、うろうろ、さ迷う視界が痛みを訴える。霞む目が本を映した。表紙には夥しいほど同じ文字が繰り返し刻まれており、紙面は赤く滲んでいる。読めないそれに吐き気が込み上げてきた。
「ルイさん!? ちょっ、僕に向かって吐かないでくださいね!?」
「ッ、お前、薄情だろ……」
よろめく足に力を込め、立ち上がる。回る視界は前後不覚で、身体が傾ぐまま気に食わない先輩の肩に凭れた。聞き取れた自分の名前に安堵する。霞の中から見つけたそれに、突如辺りの景色が様変わりした。
腐臭を放つ空気と、生暖かな温度。脈打つ壁は肉色で、一面に文字がびっしりと刻まれていた。振り返った先にはどろりと溶けた黒い手があり、位置から考慮するに、僕はあれに凭れて眠っていたらしい。ぞっと走った悪寒。糸を引く指先の根元には口があり、ぼとぼと涎を零す唇が、ゆっくりと僕がいた場所を食んだ。「トラウマになりそう」ベルの呟きに頷く。
「ッ、ルイさん、動けそうですか?」
「……問題ない」
預けたままだった身体を離し、ぐらりとよろける。問題は大いにあったが、いつまでもこいつを頼るわけにはいかない。しかし目眩は一層酷くなるばかりで、一歩歩くだけで屈み込んでしまう。焦ったようにベルが僕の腕を肩に回した。
「おいッ!」
「怒る元気があるなら、紐を捜してください!」
のそりとした動きで、黒い手が動く。べとべと落ちるタール状の粘液。ゆっくりと腕を伸ばすようにこちらへ近付くそれに、あれに捕まったら終わる。想像に難くない末路が予想された。ベルが引き攣った顔をする。
「シグさん! 聞こえますか!? シグさん!!」
ゆっくりと迫る手が、ゆったりと口を開ける。大口のそれは人ひとり丸呑みすることも造作もなさそうで、ただゆっくりと、低速で近付いてくる。首筋にかかる腐臭にぞっとした。
ふと気付いた、僕の袖口から覗く一本の栞紐。必死に呼びかけるベルを呼び止めると、目を丸くした彼が即座にそれを引っ張った。