あざとい
ルクスさんが拾い上げた本は、児童書を思わせる親しみやすい装丁のものだった。徐にパラパラ頁を捲り、ため息とともに閉じる。ベルへ押し付けられたそれに、受け取った彼が瞬きを繰り返した。
「それにいる。シグのとこまで持ってって」
「……、わかりました」
一瞬視線をさ迷わせたベルが、嘆息とともに靴音を響かせる。速度に合わせて黒いコートが風を含み、彼は大人しくホールへ向けて足を進めた。
うんうん、私情を挟まず仕事はちゃんとこなす姿勢、隊長にそっくりだな。にやにや見送る俺をルクスさんが振り返る。摘まれたコートが、くいっ、引っ張られた。……危うく鼓動に殺されるところだった。
「あとはシグに任せたら大丈夫だから、僕たちは本の回収をするよ」
「えっ」
「君、囮ね。いるだけでいいから」
「あ……、はい……」
伏し目がちの目許が描く長い睫毛。ちょんちょん引っ張られるコートと囁く声。状況はこんなにも心躍るものなのに、誘い文句が全くときめかない。寧ろ戦慄を覚える。頬を引き攣らせる俺を見上げるルクスさんはこんなにも天使な見た目をしているのに、言葉の内容がサディストを極めている気がする。目頭を押さえた。
この数秒後には俺は絶叫を上げ、華麗な身のこなしで狩人が本を仕留めていたのだが、報告書には書かないことにする。
黙々と脚を動かしホールへ戻ると、柔らかな笑顔でシグさんが迎えてくれた。簡単に説明を済ませ、件の本を差し出す。両手で受け取った彼が、ルクスさんと同じように本を開いた。
「ベルさんは、本は好きですか?」
唐突な質問に不意打ちを食らう。正直に言えば、隊長と副隊が勧めるものは辛うじて読めるが、本自体あまり興味はない。指南書ならまあ、ぎりぎり。曖昧な笑みを浮かべる僕に察したのか、シグさんは何も聞き返さずに受付カウンターに本を載せた。開かれた頁には、一面に文字が羅列している。
……ルイさんはこの何処に吸い込まれたのだろう? まだ間に合うとは言われたが、本当に大丈夫だろうか。僕が頭を悩ませている間に、引き出しから一本の紐を取り出したシグさんが、鋏で半分に切っていた。片側を頁に挟み、彼がこちらを向く。
「手を出してください」
「? はい」
出した手をやんわり取られ、小指に残った紐を結ばれる。蝶結びのそれは片側がだらりと長かった。そのままシグさんの手に包まれる。小さく、恐らく呪文だろう、彼が呟いた。
「これは栞紐です。ベルさんにはこれから、本に潜ってもらいます」
「……それは、大丈夫なんでしょうか」
要は狼のお腹の中に入るようなものだ。先に食べられた子山羊を助けるためとはいえ、そこは鋏でじょきじょきではないのか。僕の疑心にシグさんが微笑む。長い睫毛が影を作った。
「決して解いてはいけませんよ」
「童話でよくある文言ですか」
「ルイさんを見つけたら、本の中の紐を引っ張ってください」
「……わかりました」
無理矢理話を進める様子に、抱いたノンプレイヤー感。諦めて首肯すれば、シグさんが一歩、二歩、下がった。……ジョンさんはルクスさん共々彼等の性別を間違えているようだが、やはり彼は彼だ。シグさんが指先で宙に何かを描く。
「ベルさん、目を閉じてください。……ご武運を」
柔らかな声に目を閉じる。正直に言えば、何も僕がいけ好かない後輩を探しに行かなくても……とは思ったが、効率を思えば断然この選択が正しい。今日のジョンさんは客寄せパンダくらいの効果しかない。集客してくれるのは有り難いが、ちょっと怖がり過ぎだろう。……まあ、いいのだけど。
空気の変化を感じ、目を開ける。やけに白過ぎる世界に辺りを見回した。
「………、」
帰ったら、副隊に本の中に入ったことを、自慢しよう。