図書館は本を読む場所だと思います
先日の騒動以来、初めて足を踏み入れる建物に感嘆する。当時は内観を見回すなんて、そんな心の余裕なかったからな。
正面ホールは広く吹き抜けの造りで、天井まで伸びるステンドグラスはさながら大聖堂のようだ。シンメトリーの螺旋階段の中央、よく磨かれた廊下の奥にある受付カウンター。そこに座っていた人物が慌てたように立ち上がる。片側で編まれたみつあみが跳ねた。
「ようこそお越しくださいました」
ふわり、微笑んだ穏やかな声。柔らかな陽光の中、光を弾くその姿は正しく「美人な子」で、心の中で隊長にお礼を百万遍述べた。真実だ。
にこり、笑顔で一歩前へ出たベルより更に前へ割り込み、利き手を差し出す。ゆるりと握り返された手はほっそりしていた。
「ヴォロンテ隊のジョンです。あなたが依頼主のルクスさんですか?」
「あ、――いえ、ルクスは既に片付けに取り掛かっています。僕はシグです」
よろしくお願いします。やんわりとした微笑みに、名前間違いを謝罪する。そしてベルがじっとりと刺さる視線を向けてくる。咳払いをした彼が口を開いた。
「それではシグさん、任務についてですが」
「シグ!! そっち行った!!」
突然激しく打ち鳴らされた両開きの扉から、暗黒色の煙染みたものが噴き出る。顔のようなものが見えるそれは非常に大きく、聞き間違いでないなら、オオォォオオオッといった怨嗟の声まで響いていた。ふ、と遠くなった意識。
え、お化け案件? しゃれこうべ? そんなの聞いてない!
一瞬で暖かな気温を肌寒いまで引き下げたそれと同時に、扉から飛び込んできた金髪の子が抜き身の剣を握り締めている。それ、物理攻撃効くんだ? ズレた感想を思い浮かべたところで、跳躍したその子が暗黒色に切りかかる。ルイが駆け出し様に剣を抜いた。怨嗟に吹き飛ばされた小柄をベルが受け止める。
「ッ! 三式までやった! 五まで引き上げて!」
「わかった……!」
苦痛に顔を歪める金髪の子の言葉に、シグさんが唇の前に四本の指を翳す。と、同時に怨嗟が攻撃対象をシグさんへ移した。ナイフを手に駆ける。開かれる大口に、ルイが眼窩を狙って剣を振るう。よろめく身体を剣で支えた金髪の子が、「シグ!!」叫んだ。ベルが高く跳躍する。
「させるかよ……ッ」
シグさんを背に展開させた、副隊直伝の防御壁。めりめり音を鳴らすそれは怨嗟の上顎と下顎に挟まれ、それによって咽奥の深淵がよく見えた。俺の正気度がゴリゴリ削られる。本音で言えば今直ぐ絶叫したいが、シグさんの手前、俺はかっこつけたい。ベルッ!! 八つ当たり気味に先輩を呼んだ。
「駄目です! 斬れません!!」
「物理攻撃不可かよ! ふざけんな!!」
「ッ、術は!」
「やめて! 本が燃える!!」
手応えが得られない感覚に、ベルが焦りを見せている。ルイの発案は即座に拒否され、驚くほどの打つ手なし。尚もめりめり噛み砕かれそうな防御壁に、歯を食いしばった。
「我は枷 我は糸 我は錘 我は制約 我は檻」
背後から聞こえた詠唱。怨嗟を囲む光に、意識をそちらへ向けそうになるが、今正に俺は死地に立っている。ヒビの入りだした結界に、術を破壊される反動か、重圧で内臓が圧迫される感覚に陥った。大きく息を吸い込む音が重なる。
「悪足掻きはやめて、お家に帰りなさいッ!!」
「詠唱の意味!!!」
緊迫した空気を引き裂いた、シグさんの大声。瞬間、目の前でしゅるしゅると音を立てて萎んだ怨嗟が、ぱたん、黒い表紙の本に変わる。ついでに俺の心臓も重傷だ。驚き過ぎて動悸がする。ぽかん、ベルとルイが床に落ちた本を見詰め、金髪の子がそれを拾い上げた。何事もなかったかのように表紙をぱんぱん払っている。右目に眼帯をつけたその子は気怠そうな半眼で「美人な子」だった。
「あなたたちが片付け手伝ってくれる人たち?」
「あ、はい」
「今手本見せたから、このリストに載ってるの、探して捕まえて」
よろしくね。微かな清音でベルに長細い紙を手渡したその子が、シグさんに黒い本を押し付ける。通り過ぎ様「早くあの人たちに加護つけて。今日中に終わらせるよ」とだけ言い残し、再び開きっ放しの扉を潜って行った。唖然、後姿を見送る俺たちに、困ったようにシグさんが「助けてくれてありがとう」微笑みかける。
「ルクスが無愛想でごめんね。まず依頼のことだけど、順に説明するね」
なるほど、あのクール系の小柄な子が、依頼主のルクスさんか。ちょっと若過ぎるかな……。年齢的にシグさんの方が釣り合いが取れそうだ。うんうん、標準装備の笑顔の下考え事をしていたら、ベルから侮蔑の目を向けられた。仕切り直しに咳払いを挟む。何でお前は俺の考えていることがわかるんだ!