「先生! 世界の人が考える『異世界』って、どんなものですか?」
ふと思いました。
日本人が考える「異世界ファンタジー」と外国人が考える「異世界ファンタジー」は、はたして同じものなのだろうかと。
国が違えば、風土や考え方も違います。ということは、その国の人にとって何が「異世界ファンタジー」なのかも違うのではないでしょうか。
その異世界の舞台は、どんな国ですか?
その異世界で生活するのは、どういう生物ですか?
その異世界の文化は、どのレベルですか?
アンケートを採ったわけでもないので予測に過ぎませんが、百種類の国の人がいれば、百種類の「異世界ファンタジー」があると思うのです。
だって、同じ日本人でもそれぞれが考える「異世界」の姿が異なるのですから、生まれ育った国が違えばもっと差が出るはずです。
世界中の国から一人ずつ、代表者を選出する。
その人たちに、「あなたの考える異世界ファンタジーの設定を書いてください」と指示を出す。
発想を自由にするために、「異世界ファンタジー」以上の条件は与えない。
そうすると、世界中から集まった人々は一体どのような物語を組み立てるのでしょうか?
たとえば、舞台設定。
日本ですと、和風、中華風、アラビアン、欧米風などが挙げられますね。
しかし、他の国の方であればもっともっといろいろな世界を想定するのではないでしょうか。
もし他国の方が「和風ファンタジー」を書いたとなると、どんな物語になるでしょうか。
「日本人の考える欧米風異世界」と「欧米人の考える和風異世界」を比べてみると、おもしろそうです。
人間の数だけ、考え方がある。
創作者の数だけ、発想がある。
彼らが想定する「異世界」の形が違って当然。
これまでダラダラ無意味に語ってきたことをまとめますと、結局のところは、「あなたが読者、作者としてどの辺まで気にするか」がラインになるのではないでしょうか。
だって、同じ事柄に関しても気になる人もいれば全く気にならない人もいるでしょう。「自分がこう考えるのだから、おまえも自分に従うべき」なんてジャイアニズムなことをするなんて道理に合いません。
確かに、考え方も十人十色となれば衝突も生まれるでしょう。
そのため、とりわけ作者は「自分の考えるライン」に慎重になる必要はありそうです。
これは何も異世界ファンタジー関連に限らず、「このストーリーは、第三者から見るとどう感じられるのだろうか」「この登場人物は、読者の目で見てどんな人だと感じられるのだろうか」と思案するのは必要な過程でしょう。どうしても自分の作品は可愛いし、贔屓目に見てしまうんですよね。
自分の作品を愛するのはもちろん素晴らしいことですが、他者から客観的に見た姿を素直に受け取り、今後に還元できるように意識していきたいところです。あ、といってもボロクソけっちょんけちょんコメントは無視に限ります。意味のあるものは受け止め、意味のないものはその辺にそうっと据えておきましょう。いつか忘れます。荒らしコメント? ああ、そんな奴もいたっけ……。