旅支度。part2
「な、何さ。アタシはただ、一夏の思い出を作りたいから旅に出ようって思っただけで……フヨウもよく、旅に出たいって言ってたじゃん」
「魔王のいるルイス島の街、ピエモンには、ユイケという名物のお菓子があるそうです」
「……は? お菓子?」
「ええ。聞くところによると、それはこの世に二つとない珍しい味のお菓子で、一度食べると病みつきになってしまうとか……」
「そ、それがどうしたのさ?」
ポカンとしているミズキに、先に察したユイカが耳打ちをする。
「ミツマメじゃなくて、その『ユイケ』っていうのにしようって言ってるんだよ。『それを食べさせてくれるなら、ついていってもいい』って」
「ん? ああ、そういうこと! うん、ついてきてくれるなら、もちろんなんでも奢ってあげるよ! 好きなだけ、お腹いっぱいになるまで買ってあげる!」
「そうですか、ならば決まりですね」
こちらを押し潰すような威圧感を綺麗に消して微笑み、そしてミズキのワンピースのポケットからチラリと出ていたツアー説明書を素早く抜き取った。
「なるほど……まずはしっかりと旅支度を調える必要がありそうですね」
「まあね。でも、ほとんどは向こうがちゃんと用意してくれるんだってさ」
「いえ、おそらくこれだけでは不十分でしょう。それに、人が用意した物など信じてはいけません。信頼できる人間、そして信頼できる道具とでなければ、旅というものはできないのです。ましてや、お嬢様たちのような旅に不慣れな方々ならば尚更です」
「アタシは別に初心者じゃないでしょ。パパと何回も野宿したことあるし」
「そんなお遊びとはワケが違います。旅を侮れば命に関わりますよ、お嬢様」
そのメイド服とバスケットには似合わない眉間の皺を作って説明書を見下ろしながら、フヨウはくるりと方向転換してどこかへと歩き出した。
ユイカはその早足にどうにかついて行きながら、そっとミズキに尋ねる。
「ねえ、ミズキ。フヨウさん、なんだか妙に張り切ってない……?」
「それはやっぱり、アレの血が騒いでるんだよ。ユイカも知ってるよね? フヨウが昔、アレだったこと」
「うん、まあ、知ってるけど……」
「ケダモノの血っていうの? こういう時になるとさ、やっぱりそういうのが騒ぎ出すんだよ、普段は押し殺してるだけに」
「誰がケダモノですか。――さて、着きましたよ」
どうやらこちらの声が聞こえていたらしい。フヨウは肩越しにミズキを睨みつつ、とある店の前で足を止めた。
何かをぶつけたような跡が漆喰の壁の所々に走り、小さな窓は埃にまみれて中がよく見えない、店なのかどうかも解らない荒んだ佇まいの一軒家である。が、その扉の横に掲げられた古びた木の看板には、『古道具店』という文字が確かに記されている。
「古道具?」
「そう書かれてありますが、ここはいわゆる武器屋でございます」
首を傾げたユイカを見下ろして、フヨウはどこか楽しげに微笑み、
「まずは兎にも角にも、それぞれの手に合う武器を買っておくことにいたしましょう」
「武器!? やったっ! アタシはやっぱり格好いいヤツが――じゃなくて……こほん、武器の知識なら、この大魔法使いに任せたまえ。君たちのぶんも私が選んでやろう」
フヨウの手から説明書を奪い返し、ミズキは鷹揚な足取りで武器屋の中へ入って行き、
「主人、私はこれに申し込んだ者なのだが」
「ああ? あー……はいはい、いらっしゃいませ~」
カウンターの中で小さなナイフを磨いていた、額の広い中年男性――どうやらこの店の主人である男性は、『勇者ガール・ツアー説明書』と表紙に記された説明書を突きつけられて一瞬、驚いたような顔をしてから、失笑じみた笑みを浮かべて再びナイフの手入れを始めた。
フヨウがミズキの隣へ進み出て、
「お忙しいところ失礼いたしますが、この説明書に書かれている『最低限の武器』とはどのようなものなのか、お教えいただけますでしょうか?」
「ああ、アレだよ、アレ」
と店主が目も上げずに顎で指したほうを見てみると、そこには壁に立てかけられた数本の木の棒がある。それは地面からユイカの胸辺りまでの長さがある棒だったが、太さは単なる杖のように細い。ユイカは思わず呟く。
「杖みたい……っていうか、これってただの杖なんじゃ……?」
「いやいや、それは丈夫で軽い、いい杖――じゃなくて、いい武器だよ。セポモネっていう高級な木から作られた、このツアー特別の武器さ。でも、それだけじゃ不安だっていうなら、この店の物を買っていってくれて構わないよ」
「はぁ? それって……あっ! 初めからそういう作戦だったんだな! ズルいぞ!」
と、ミズキがカウンターを叩いて店主に詰め寄る。が、フヨウはその肩に手を置いて、
「まあまあ、お嬢様。このようなことなど、こちらも初めから解っていたことではございませんか」
あくまで悠然と微笑しながら、物置のように狭く薄暗く、ムッとかび臭い店内を振り返る。
所狭しと並べられた棚、そこに乱雑に重ね置かれた武器をどこか楽しげに見回しつつフヨウは歩き出し、やがてとある棚の陰へ目を留める。
隣に並んでユイカも見てみると、そこには様々な種類の武器が詰め込まれた木箱があった。その箱の前面には、店主のものらしい乱雑な字で『特売品 一つ三百ケミ』と書かれた張り紙が貼られている。
「三百ケミって……アイスと同じくらいの値段じゃん。こんなんじゃ、あの杖より頼りにならないよ」
暑さと相まって余計、強烈に漂うかび臭さが不快なのだろう、ミズキが顔をしかめながら言うが、フヨウは先程、ミズキが古書を漁っていた時と同じような輝いた目をしながら、
「いえいえ、武器は案外、高いものほどよいとは限らないのです。武器がただの飾り物となりつつある近頃では尚更に」
「あ、それ、可愛い」
フヨウが持ち上げた剣の裏で埋もれていた、赤い鞘の小さなナイフを見て、ユイカは思わず呟く。すると、フヨウはそれを手に取り、
「ふむ……」
唸りながら、ほとんど新品然と朱色に輝いているその木鞘を見回し、鞘から人の掌ほどの長さの刀身を抜いて、まるで自らの目に突き刺すようにそれを持ちながら、
「ええ、悪いものではありませんよ。刃も綺麗ですし、歪みもない。誰の手によるものかは解りませんが……シンプルでクセのない、素晴らしいナイフなのではないでしょうか」
「は、はい、じゃあ、それで……」
「そんな小っちゃいのなんか全然ダメだよ。アタシはやっぱりこれだね!」
と、どこにそんなものがあったのか、天井に届くような長さの、三本の刃が先についた槍をいつの間にか手にしているミズキが、その石突きで木の床をドンと打って不敵に笑う。
「お嬢様、それはトライデントと呼ばれるもので、使いこなすのが大変難しいのですが……」
「何、心配することはない。闇の大魔法使いである私にかかれば、この程度の武器を扱うのは容易いことよ」
「いいえ、いけません。お嬢様は……そうですね、あの木の杖だけでよいのではないでしょうか」
「あれだけ!? や、ヤダよ、あんなの! アタシはこれがいいの!」
「やめなよ。そんな大きいの、アンタに使えるわけないでしょ」
ユイカが冷たく口を挟むと、フヨウがスッと立ち上がってミズキの手からトライデントを取り、
「そうですよ、お嬢様。いざという時に振るうのはもとより、これを持って歩き続けること自体がお嬢様には難しいでしょう。ですので、これはお嬢様ではなく、わたくしが持たせていただきます」
「な、なんで!? フヨウばっかり狡いよ!」
「フヨウさんばっかりって、何がよ? 別にフヨウさんは何もしてないでしょ。アンタが一人でワガママ言ってるだけじゃない」
「違うもん! ユイカはよく知らないだけで、フヨウはいつも狡いんだよ! アタシが学校行ってる間にアタシの分のお菓子食べたり、お母さんと一緒に美味しいもの食べに行ったり、アタシが見てない隙にアタシの料理から自分の好きなもの取ったり……!」
「…………」
確かにそれは酷いかも。でも、全部食べ物のことばっかり。
と、ユイカがなんと言っていいか解らず言葉を返せずにいると、ミズキは抱きつくようにしてフヨウの手からトライデントを奪い返し、
「それだけじゃない! 自分がオッパイでかいからってアタシが胸ないことバカにするし、自分が大人のエロエロな下着つけてるからって、アタシのパンツ見てバカにするし……!」
ガタッと、棚の向こうのカウンターのほうからイスが倒れかけたような音がする。フヨウは優しげに細めていたその目をピクリと一瞬、引きつらせつつ、
「お、おほほ……お嬢様ったら、さっきから一体、何を仰っているのでございますか?」
とミズキの肩に腕を回し、その首根っこを掴むようにしながら壁際へ引き寄せる。すると、ドスの利いた、低めた声がそのほうから聞こえてくる。
「おい、あんまり調子乗るんじゃねえぞ、クソガキ。次、オレに恥掻かせやがったら、その槍をテメエのケツの穴に突っ込むぞ」
「や、やれるもんならやってみなよ! パパに言ってやるから!」
「残念だが、あんまりお前が手に余るようなら、少しくらい痛い目に遭わせても構わないって許可をボスからは貰ってんだ。悪いが、オレはやるとなったら手加減はしねえ。嫁に行けない身体になりたくなかったら、余計な口は叩くな」
スッと、フヨウはミズキから身体を離していつもの楚々とした佇まいを作り、
「お解りなりましたか、お嬢様?」
白い、ふくよかな頬に穏やかな微笑を浮かべる。
「クッ、憶えてろよ……! いつか絶対、そのパンツはアタシのものにしてやるんだからっ……!」
「……アンタ、槍よりパンツが欲しいの?」
しかも人の使ったやつ。と呆れながら、ユイカは気怠く溜息をつく。
別に今更、このやり取りを聞いて驚くことはない。フヨウは、ミズキの家に雇われているメイドである。そして、元山賊である。
今から十五年ほど前、ミズキの父が指揮する小隊が捕らえた山賊の中に一人、若い少女がいた。ミズキの父はその少女――つまりフヨウが罪人として処されることを憐れに思い、またその腕と才覚を買って、自らの家のメイド兼用心棒として雇うことにした……らしい。
その事情をとうに知っていたユイカは大して驚くこともなく、その後についてカウンターへと向かった。そして、
「はい、どうぞ、ユイカお嬢様」
フヨウが代金をぽんと支払ったナイフを手渡されて、その意外な重さにアタフタしながら、ツアーから配られた杖も持って店を出る。
薄暗い店内から陽射しの下へ出て、フヨウは眩しそうに目を細めながら、
「さて、次は防具の類ですが……まあ、それは説明書に書かれてあるものでおおよそ問題はないでしょう。しかし、いちおうはちゃんと目で確認しておく必要がありますね」
「ふーん。じゃあ、次は防具屋に――」
「いいえ、ここから先は手分けすることにいたしましょう。お嬢様たちは、保存の利く食料と雨具を買って来てくださいませ」
「保存の利く食料って、例えばどういうの?」
「ふむ、そうでございますね……。ならば、干し肉とドライフルーツを三日分ほど。それからブネチケ(小麦粉を固めて薄く焼いたもの)もです」
「ナナ(桃に似た酸味の強い果物)のジャムも買っていい!?」
「構いませんよ。でも、どうぞ荷物にならない程度にしてくださいませ。ユイカお嬢様も、何か欲しいものがあったら自由に買ってくださって結構ですよ?」
「い、いえ、わたしは……!」
「ふふっ、どうぞご遠慮なさらずに。これから行くのは一応、楽しい旅なのですから、目一杯楽しまなければ損でございますよ」
はあ、とユイカが曖昧に頷くと、フヨウは先程、垣間見せた一面など幻だったように、いつもの母性的な眼差しでユイカに笑みかけ、
「さて、では急がなければ。集合時間は……正午の鐘が鳴る頃でよいでしょう。それまでに各々昼食を済ませて、旅行店の前に集まることにいたしましょう」
そう言うや、メイドの長いスカートをひらめかせて、決然とした足取りで防具屋のほうへと歩いていった。
「ふふっ。フヨウさん、なんだか凄く楽しそう」
「言ったでしょ、アレはケダモノだって。久しぶりに暴れられるって思って、血が騒いでるんだよ。それより、さ、アタシたちも行こう。くくく……死ぬほどジャム買っていって、フヨウを驚かせてやろうっと」
「そんなことしたらまた怒られるよ。頼まれたんだから、ちゃんとやらなきゃ」
ツアーの代金を支払って、しかもナイフまで買ってもらってしまったからには、しっかりとやらなければ。
握り締めたナイフの、鉄のグリップ。まだヒンヤリとしているその冷たさが、暑ささえも忘れさせるほどにユイカの心を固く引き締めさせた。