人生で一番楽しくない夏休み?
――そんなこと言われたって、しょうがないじゃない……。
自室のベッドに横たわりながら、ユイカは天井の木目をぼんやりと見つめる。
自分が、あんなにも長い旅なんてできるわけがない。
ミズキと違って魔法なんて全く使えないし、体力もないし、心の強さもない。得意なことなんて何もない、人を支えるどころか、自分を支える力さえもない自分が、旅なんてできるはずもない。もし行ってみたところで、どうせお荷物になって、厄介者になって……自己嫌悪に陥るだけなのだ。
「そうだよね、ウル……」
と、抱き締めていたクマのぬいぐるみ――ウルを両手で天井へと掲げながら、その黒い小さなボタンの瞳にユイカは語りかける。
「でも……どうしよう? ミズキとケンカしちゃった。夏休み、始まったばっかりなのに……」
どうやらこの夏休みは、人生で一番楽しくない夏休みになりそうだ。
旅へは行かないにしても、せめてもう少しはミズキの遊びにつき合うべきだったのかな? 話を聞いてあげるべきだったのかな?
そんな後悔がグルグルと渦巻く胸にウルを抱き締めながら、ベッドの上で丸くなっていると、
「おじゃましまーす!」
部屋の外、玄関のほうから、ミズキの元気な声が聞こえた気がした。
暑さのせいで幻聴を聴いたのだろうか、それとも、いつの間にか夢でも見ているのだろうか、そう思っていると、何やらこちらへ向かってドタドタと足音が聞こえてくる。そして、
「申し込んできたよ、ユイカっ! 『勇者ガールツアー』に!」
「……はい?」
「見て、これ! お金払ったら貰えたよ!」
そう言ってミズキがベッドの上、ユイカの足元に広げたのは、どうやらツアー参加に当たっての説明及び注意書だった。
唖然としながらそれを見ると、おおよそこのようなことが書かれてあった。
『勇者ガールの方々には、お住まいの場所からボルッサ城(魔王城)までの道のりを基本的に徒歩で移動していただきます』
『所定の集落から集落への道のりを一区切りとし、その到着地の手前にて、そこを占拠している魔物(当組合スタッフ)と戦っていただき、それを倒していただきます』
『一パーティは三名から六名までといたします。離脱者が出てパーティが二名以下となってしまった場合は、そこでツアーは終了とさせていただきます』
『ツアー参加に可能な年齢は、安全上の観点から、満十歳から四十五歳までとさせていただきます』
『規定のルートを外れて歩いた場合、その責任は参加者にあるものとさせていただきます』
『夜は、当組合が用意する宿に宿泊していただきます。(夕食、朝食つき。風呂あり)』
『夜までに所定の到着地へご到着できなかった場合は、当組合が配布いたしますテントの中に避難し、同じく配布いたします犬笛を三十分おきにお吹きください。当組合スタッフがお迎えに参ります』
『徒歩での移動が困難な場合は、当組合用意の馬車が利用可能です(別途料金)』
『最低限の武器、防具、旅具は当組合がご用意させていただきます』
『ガイド(女性)同行可能でございます。(別途料金)』
『ツアーの期間は出発より六ユネ(月)とさせていただきます』
「どう!? これならユイカでも安心して行けそうでしょ!?」
と、ミズキは円らなその目を宝石のように輝かせて言う。しかし、
「いや、だけど、参加者は三人からって書いてあるよ? わたしたち二人だけじゃ行けないんじゃ……」
「フヨウを連れてけば大丈夫だよ。アレは大人だから保護者にもなってくれるし、それにメイドだから途中で色々役に立つだろうしさ。っていうか、今更何言っても無駄だよ、もうお金払っちゃったんだから」
「え? それって……わたしの分も、ってこと?」
「もちろん! パパ、今日は夜勤でまだ家にいたから頼んでみたら、三人分払ってやるってすぐにお金くれたよ」
「そんな……! わ、悪いよ、そんなの……!」
「いいのいいの、少しはパパに恩返しさせてあげなよ。――じゃあ、そういうわけで、早速、出発だよ! ツアー期間は六ユネらしいけど、アタシたちはうだうだなんかしてられない! だって、夏休みは二ユネしかないんだから!」
「え……な、何!? まさか、今日出発するって言うんじゃないでしょうね!?」
「言ったでしょ、アタシたちは一日も無駄にはできないの。それに、次の宿はここから二十セマ(一セマ=成人男性が十分で歩ける距離)の村だよ。お昼過ぎくらいに出れば全然余裕だよ」
「で、でも、お母さんと相談したりしないと……!」
「行けばいいじゃない」
と、不意に声がしたドアのほうを見てみると、そこにはいつの間にか母――サーヤの姿があった。昼食の用意をしていたのか、エプロン姿の母は戸口に寄りかかりながら、
「どうせあなた、夏休みの間、ずっと家に籠もる気でいたんでしょ? 若いのに、そんなのもったいないわよ。旅をして、色んなものを見て、勉強してきなさい」
「む、無理だよ。わたしなんて体力ないし……」
「ミズキちゃんもいるし、それにフーちゃんもいるんでしょう? 今は昔みたいに魔物がいるわけじゃないし……大丈夫よ」
そう微笑みつつも、娘であるユイカには、その表情に浮かぶ不安の影がハッキリと解った。が、サーヤはあくまで明るい口調で、
「でも、ミズキちゃんも約束よ。絶対に危ないことはしないこと。危ないと思ったらすぐに逃げること。解った?」
「うん、大丈夫だよ、おばさん。何しろ、闇の大魔法使いであるこのアタシがいるんだから、危ない目になんて遭わないよ!」
そうね、とサーヤは笑って、それからもう何もかも決まったことのようにユイカに言うのだった。
「そうだ、ユイカ。もしあなたが魔王様に会えるなら、私からお願いしたいことがあるんだけど、いいかしら?」
「お願いしたいこと?」
「ええ。だって、魔物を厳しく管理してくださっている魔王様のおかげで、私たちは今平和に暮らせているんだから……ありがとうって、そう伝えてほしいの。お父さんも、きっとそう思ってるだろうから……」
こんなことを言われては、もう頷くしかない。行きたくないと言えば、余程ワガママな人間か、心の冷たい人間と見なされてしまう。思わず顔を曇らせながらも、
「……うん」
ユイカは渋々、頷いたのだった。