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勇者ガール  作者: 茅原
旅立ち
1/7

世はこともなし。

 ページを捲る音が、静寂に響き渡る。

 

 床、天井、壁の全てが黒大理石で作られた、広大な謁見の間。

 

 その黒大理石の玉座にただ一人座りながら、『魔王』と世界から呼ばれる男――ショーマ・ヴァン・ナビスは眠気の中で戯曲集のページを繰っていた。が、


「くあぁ……」

 

 堪え切れずにアクビをしながらパタンとそれを閉じて、肘掛けにもたれて頬杖を突く。

 

 誰もいない謁見の間は、まるで洞窟の奥のように涼しく、静かである。宰相やその部下の足音が時には忙しく扉の前を行き来する自室よりも、ここはよっぽど静かで居心地がよい。何より、高い天井に響くページを捲る音が、ショーマは好きだった。

 

 玉座から腰を上げ、ゆっくりと階段を下りて窓辺に立つ。

 

 季節は夏である。

 

 周囲を囲う峻険な岩山にもその気配が訪れ始めたようで、ようやく雪化粧を解いたその白っぽい岩肌を、麓からじわじわと緑が――短い草や苔の類が登って覆い始めている。獣の牙のように鋭いその山の端の上に広がる空は、黒に近いほど深い青を湛えながら静かに晴れ渡っている。

 

 『滅びの島』と恐れられたルイス島、その中央に聳えるガル山の頂上であるこの場所は、かつては一年中、重い雲と激しい風雪に閉ざされていた。ショーマの父――リュダール・ヴァン・ナビスが、王としてこの国を治めていた、動乱の時代のことである。

 

 リュダールはまさしく、その文字どおり『魔王』として世界を支配していた。

 

 古より、特別に強い魔力と長い寿命を有する家系であるナビス家こそが世界の王であると考え、他国の王やその国民を不浄の者とし、力によってのみ屈服させ、あわよくばこの世から消し去ろうとした。

 

 それに対し、ルイス島の南に隣接するペール大陸の軍事強国であったソレンブル帝国は、魔王討伐の機を窺いながら、そのための団結という大義の下、周辺国や国内の少数民族を侵略、支配し、国政に異議を唱える者は国民であろうと容赦なく捕らえ、殺した。

 

 それは、怒りと憎しみ、絶望と恐怖のみに埋め尽くされていたと言っても過言でない、長い、暗黒の時代であった。


 が、その時代は今からもう百イリ(年)以上も昔――書物の中にのみ存在する遠い過去である。

 

 リュダールがやがてソレンブル帝国を支配下に治め、その扱いを考えている最中に過労でポックリ死んでしまい、父の生き方の過酷さを見て同じ轍は踏むまいと決意していたショーマが王の座を継いだことで、世はスルリといつの間にか安定期に入り、今に至っていた。


 つまり、世界は平和そのものだった。

 

 今からちょうど十イリ前、とある魔物がソレンブル帝国の中隊を襲撃し、それをほぼ全滅させるという事件が起きて以来、それまでは放置してきた魔物の管理をナビス国が行うようになった結果、魔物という恐怖もおおよそ世界から消えてなくなり、さらにナビス国の許可を得ないあらゆる軍事行動は反乱とみなすとしたため、帝国と少数民族の争いも、酔っぱらい同士のケンカレベルでしか起きていない。


 だから当然、『魔王を倒して、平和を勝ち取る』などと考えてこの城を目指して山を登ってくる『勇者』なども絶えて久しい。

 

 鬱陶しい人間を寄せ集めないためとリュダールが島に覆わせていた分厚い雲の砦も不要となり、ショーマが全て取っ払ってしまった。かつては恐怖の象徴であったこの漆黒の巨城――ボルッサ城も、今はまるで辺境の見張り台である。

 

 ――まあ、面倒ごとに追われるよりはずっとマシだが……。

 

 思いつつ、再び読書をするため玉座へと戻りかけたところで、ふと謁見の間の扉が開かれ、礼装に身を包んだ、短髪、短い無精髭の男が姿を見せた。宰相のバゲットである。


「王、ここにおられましたか……。いや、しかし、ちょうどよかった」


 ここへ辿り着くまで城中を駆け回ったのか、バゲットは額に滝のような汗を浮かべながら、広い謁見の間を一所懸命こちらへ歩いてきて、玉座に腰かけたショーマの前に膝をついて頭を垂れた。


「王、全国武器商人組合と全国宿泊業協同組合の者が謁見に訪れております」

「武器……宿泊……? そんなものが一体なんの用だ」

「なんでも商売に関して王にご相談したいことがあると……そう一ユネ(月)ほど前からお伝えしておいたはずですが?」

「ん? ああ……そういえば、そうだったな。解った。通せ」

「は、直ちに」

 

 頭をさらに深く下げてそう言うと、バゲットは黒一色の礼装の上に羽織った深紅のマントを翻して謁見の間を後にしていった。

 

 商売に関する相談、とバゲットは言っていた気がしたが、帝国だけでなくわざわざ自分の許可まで得ねばならない商売とはなんだ?

 

 眠気で冴えない頭で考えつつ、しかし魔王として示しのつかない顔を見せるわけにもいかないから、居住まいを正して玉座に深く腰かけていると、やがて再びバゲットが姿を見せた。

 

 その後について、二人の男が目を伏せながら硬い足取りで謁見の間に入ってきた。

 

 その二人の男――深緑色の上着に黄緑色のズボン、真っ白な長靴下を身につけた禿頭、小太りの男と、革ベルトで腰を絞った茶色の上着に青いズボン、白い長靴下を身につけた、肌の浅黒い若い男は、強張った面持ちで玉座の前まで歩いてきて、ギクシャクと床に跪く。

 

 小太りの男が、禿頭に汗を滲ませながら口を開いた。


「全国武器防具商人組合長、ドレニア・グルニーユと申します。こちらは全国宿泊業協同組合役員、アル・グナン。世界にその御名を轟かすショーマ王に拝謁の栄を賜り、感激の至りにございます」


 ショーマは右手を軽く上げてその言葉に応え、玉座から左手の階下に立っているバゲットへ目を向ける。


「用件を」

 

 バゲットが水を向けると、


「はっ……」

 

 ピクリと肩を震わせ、ドレニアは目を伏せたまま言う。


「では、その……こうして拝謁をさせていただきに参りました目的でございますが、それは、我々が計画している、とある商売へのご許可をいただくためでございます」

「とある商売とは、なんだ」

「は、はい、それが……」

 

 大理石の床にポタポタと滴るほど汗を掻きながら、ドレニアは声を震わせ、途切れさせる。ショーマは玉座の肘掛けを指で叩きながら言葉の続きを待ったが、いっこうにその気配がないことに苛立ってバゲットを睨んだ。


「おい、お前はもう知っているんだろう。話せ」

 

 バゲットは澄ましたような顔で「はあ」と暢気な声を出し、


「なんでも、『魔王討伐ツアー』という企画を行いたいのだとか」

「魔王、討伐……?」

 

 ドレニアとアルの頭頂部を睨み下ろすと、まるで背筋に冷たい水でも垂らされたように二人の肩が強張った。ドレニアが思わずと言った様子でこちらを見上げ、


「ち、ちち、違いますっ! 当然ではありますが、よもや本気でそのような愚かなことをしようとは思っておりません! これは、あくまで商売の企画でございます。しかも、女限定のでございます!」

「女限定……?」

 

 女が俺を討伐に来る? ますます意味が解らず反芻すると、ドレニアが右隣にいるアルの脇腹を肘で突いた。アルは下げていた頭をさらに下げつつ、


「はい、そうでございます。なぜ私たちがそのような愚の骨頂にも等しい考えを起こすに至ったかと申しますと、つまるところ、私たちがそれほどまでに追い詰められているからに相違ありません」

「……顔を上げろ。詳しく話せ」

 

 はっ、とアルは頭を下げてから、ゆっくりと背を起こして、そのやや面長の顔を上げた。頭の後ろで纏めた長髪と同じ漆黒の瞳をちらとこちらへ向け、


「申し上げるまでもないことでございますが、魔王が治められますこの世は歴史上、類を見ぬ泰平の世でございます。大陸から戦いというものが消えておよそ百二十イリ、そして人と魔物との戦いが消えておよそ十イリ、軍隊というものが単なる飾り物でしかなくなりつつあるほど、人々はショーマ王より賜りし安寧を享受しております」

「それが何か問題か」

「広く世を見た場合は、なんの問題もございません。しかし、ごく一部の人々――特に我々のような商売を生業とする者にとっては、それが単純によきことと申し上げられないのでございます」

「それは知っている」

 

 と、ショーマ。


「戦争どころか魔物との戦いもなければ、そうそう武器は売れないだろう。軍隊の活動が減り、その上、魔物狩りを生業とする者もいなくなれば、当然、それまであった宿場は廃れるだろう。

 だが、戦争がなくなり、魔物の心配をする必要もなくなったからこそできるようになった商売もあるだろう。にも拘わらず俺に文句を言うというのは、あまりにも怠惰ではないか?」

「……はい、まさしくその通りにございます」

 

 アルは暗く目を落としながら言う。ドレニアは驚いた様子でアルを見やるが、アルはあくまで落ち着いた様子で言葉を続ける。


「我々はこれまで、ただこの平和を憂うばかりで、現状を見つめ、自らがそれに対応して変化していくということを怠って参りました。結果、我々は時流に取り残され、この商売を再び盛り上げんとして新たな道へ踏み出そうとする者の足をむしろ引っ張るような、恥ずべき有様となりつつあります。

 だからこそ我々は今、率先して、強くその一歩を踏み出そうとしているのでございます。『観光業』という、新たに生まれつつある産業を、本格的に切り拓こうとしているのでございます。

 そのために、まずその第一歩の目玉として、どうかショーマ王のお力をお借りさせていただきたい、という所存なのでございます」

 

 やや顔を上げ、アルは鋭い眼差しでこちらを見る。

 

 鋭い剣先に似たその眼差しに、ショーマの口元に思わず笑みが浮かんだ。話の内容よりも、新たな時代を見据えたその強い眼差しこそが、ショーマの興味をそそったのだった。


「それで魔王討伐、か」

「はい。『勇者ガール』と銘打って参加する女を募集し、魔王城と恐れられる、このボルッサ城までの道のりを旅させるのでございます」

「も、もちろん、本気で反逆をしようという者などには、我々はなんの援助もいたしません」


 と、ドレニアが商人らしいへりくだった笑みをこちらへ向ける。


「それに万が一、そのような愚か者が紛れ込んでいたとしても、十中八九、ここまでの険しい道のりを歩ききることはできないでしょう。何せ、平和に慣れきった女共なのでございますから」

「私は認めて構わないと思いますが、いかがでしょう」

 

 いかにもご機嫌取りばかりが得意そうなドレニアをじっとショーマが見下ろしていると、バゲットが口を開いた。


「その者の言う通り、わざわざここまで辿り着くような女などそうそういるはずもございませんし、仮にそのような者がいたところで、王にとって一体なんでありましょう。

 いくら女たちとて本気で王と戦おうとなど考えているはずもないのですから、夕食でも適当に与えておいて、翌朝に帰してしまえばよいのです。それに――」

 

 と、ふとバゲットが口を閉ざす。その顔を見やると、バゲットはその無精髭のように短い髭を右手でさすりながら口元を歪めて、


「王にとっても、これは悪い話ではありますまい。魔力の才を持つ女性を探す、絶好の機会ではありませんか」

「……? なんのために探すんだ」

「なんのため? もちろん、王女となる女性を見つけるために決まっておりましょう」

「お――王女だと? ば、馬鹿を言うな! そんなものは大きなお世話だ。というか、お前、こんな場所でそんなことを――」

「ご存じですかな。王は『前魔王を凌ぐ、恐ろしい力を持った魔王』と人々から恐れられながら、密かに別の異名をつけられていることを」

「別の異名……?」

「ええ、なんでも、『二百イリ童貞の、童貞の王』と呼ばれているそうで――」

「だ、だだだ、誰が童貞だ! お、俺は……!」

「事実である以上、何も言い返すことはできませんな。王は、我々が選びに選んだ王女に相応しい娘であっても、口も利かないどころか、顔を見ることもなくこの城から帰してしまう。全く……嘆かわしい限りです」

「黙れ。それは俺のせいじゃない。お前が連れてくる女には誰ひとり、本気で俺の、よ、嫁になりたいと考えているヤツなどいなかった。俺を恐れるか、俺を利用しようとしているか……そういう連中ばかりだったのが事実だろう。

 今回のこの話だって、どうせお前の思い通りになどならないぞ。何せここを目指してやって来るのは、曲がりなりにも『勇者様』ご一行なんだからな」

「い、いえいえ! そのようなことはございません!」

 

 髭の先から汗を滴らせながら、ドレニアが揉み手をして満面の笑みを作る。


「これはあくまで『観光』でございます。女共も、それは承知の上でここを目指すのですから、当然、『そのチャンス』はございますとも。なんとなれば、魔王お好みの女を我々がここまでお連れさせていただくことも――」

「余計な口は叩くな。俺はそのような下衆な話が好きではない」

 

 言うと、ピキッと氷像のようにドレニアの笑みが固まった。が、別段、警戒が必要な話とも思えない。ショーマは玉座の背もたれに気怠く寄りかかりつつ、


「……好きにやるがいい。どうせここまで辿り着く女などいないのだから、俺には関係のない話だ」

「は……はっ、あ、ありがたき幸せにございます、ショーマ王! 我々は必ずやこの商売を成功させ、それによりナビス国の財政安定に貢献をさせていただきましょう! くぅ、うっ……よかった……これで、逃げていった私の妻と子供も……」

「空よりも広きそのご寛大なお心、敬服の至りでございます」

 

 ドレニアの言葉を断って、アルが深く頭を垂れる。


「我々は今後も永劫、魔王の忠実にして良き人民であり続けることをお誓い申し上げます」

「ああ。だが、二つ条件がある」

「条件……と、申しますと?」

 

 商人の狡猾さを隠そうともしない目でこちらを見上げてくるアルを、ショーマは冷然と睥睨し、


「一つ目は、絶対に死人を出させないことだ。人間という資源は無限ではない。一人たりとも無駄にはするな」

「はっ……」

「二つ目は、まあ、万が一にもあり得ないことだが……もしも本当に『勇者』と呼ぶに相応しい者が俺の地位を脅かしに来た場合、俺はそれを殺すだろう。そして、反逆を企てた者として、お前たちも殺すだろう。それでも構わないか」

「……も、もちろんでございます」

 

 ドレニアが絞り出したような声で言って、アルと共に深々と頭を下げた。


「先程も申し上げましたが、何せ女共でございます。そのようなことは起こりうるはずもございません、どうかご安心を」

「ああ。だが、起こるかもしれないことは、いつか必ず起こるものだ。そう用心はしておけよ」

 

 言うと、二人は恭しく頭を下げ、どこか満足げな顔をしたバゲットに連れられて謁見の間を後にしていった。

 

 広大な謁見の間に静謐が戻り、ショーマは窓外に広がる青く澄んだ空へ目を向ける。

 

 世はこともなし。全く暢気で、結構なことだ。そう思うことにした。

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