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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

練習とかじゃ、ないからね

作者: 新井すぐ

登場人物

花衣咲香……女子寮寮長。高校二年生。

芦川璃紗……女子寮生。高二。

東 律……女子寮生。高二。

北条ゆう……女子寮生。高二。

 長期休暇が目前に差し迫った、とある休日。毎週恒例の女子寮定例会議が行われていた。

「夏休み、三人は予定ある?」

 ポッキーを二本取りつつ、律が三人の寮生――ゆう、咲香、璃紗(りさ)に尋ねた。


 定例会議という体をとっているものの、やっていることといえば、お菓子を口に運び、おしゃべりする。ただのパジャマパーティーなのだ。小さな体躯に似合わず、女子寮の寮長である咲香には、毎週会議を開くことが義務付けられているが、その議題までは定められていないため、こうして義務を消化しているというわけである。


「まあ、予定っていうんじゃないけど」

 ゆうが自分のベッドの上に座り、律の質問に答えた。

「一応、実家には戻っておかないとね」


「そうだよな。春も帰ってないしな」

 律も相槌を打つ。


 寮生は必然的に、親と離れて暮らすことになる。長期休暇には実家に帰るのが一般的だが、新学期は何かと忙しく、四人とも帰りそびれていた。


「璃紗ちゃんと咲香ちゃんは?」


「私は……帰っても意味ないし」


「え、なんで? りさちゃん、お母さんもお父さんも元気だよね?」

 ゆうは不思議そうに首を傾げた。そんなゆうに膝枕をしてもらっている璃紗は、上を向いて答えた。


「今二人とも、ブラジルで……おっぱい」


 膝枕の体勢から上を見ると、おっぱいが視界に入ってくるのは道理である。


「もー、おっぱい関係ないでしょ。説明続けて?」

「ごめん、つい……。ブラジルで、お仕事してるから。帰ってこれないみたい」

 大して残念とも思っていなさそうな璃紗に、そっかー、とゆうが残念そう返した。


「わたしもいいかな、とくべつ帰らなくても。いつでも帰れるとこだし」

 律と二人してベッドに寝転がり、寮長、そして201号室の主でもある咲香は言った。


「そういう問題か?」


「そういう問題だよ?」


 うっ、と返答に詰まる律。咲香はそんな律の様子に笑みをこぼす。


「寮は夏休み中でもあけてもらうように申請しといたから、ちゃんといつもどおり使えるよ。電気とか冷房とかも使えるし。あ、でも食事は出ないみたい」


「……飢え死にしろと?」

 不安そうに苦言を呈する璃紗。


「んー……。食堂のおばさんだって休みが要るからね。お盆の間は、わたしが作るよ」


「……いいの? やった。ありがと」

 璃紗は顔をほころばせる。反対に、律が唇を尖らせた。


「ちぇー。うちも咲香の手料理、食べたかったなぁ」


「毎朝一緒にお弁当作ってるじゃん……」


「お弁当とは別の趣があるんじゃん!」


 いやそんなに力説されても、と咲香は困ったように笑った。寮には食堂があるが、校内には購買しかない。だから、寮生といえども、経済的に生活するにはお弁当を持参しなくてはならないのだ。四人の寮生のうち、料理できるのは咲香と律のみであるため、必然的に二人で作らなければならない。咲香としては、食べてもらうのも決して嫌いではないので、進んで引き受けたのだが。


「そ、そんなに食べたいなら、別にいつでも作るけど……」


「ほんとに!?」

 律は悄然とした表情から一転、瞳をきらきら輝かせた。


「あ、でもそのかわり、律ちゃんもわたしに作ってね?」


「えー……。なんか緊張するな、それ」


 ふふっと咲香は笑みを漏らす。話を聞いていたゆうは、璃紗に提案した。

「わたしたちも何か作る?」


 璃紗は手を伸ばして生チョコを取って口に入れた。

「はい。あげる」

 ゆうにも一つ差し出す。ありがと、と言って彼女が食べると、ちょっと指先に唇がふれて、璃紗は少しくすぐったかった。


「でも……作るのは、めんどう」

「こら。そんなこと言わないの」

 ゆうは不服そうな璃紗のほっぺをつつく。


「ふわあ……」

 咲香があくびをする。じわっと目尻に涙が浮かんだ。


「お姫様がおねむみたいだし、今日はそろそろ解散にしよっか」

 律がからかう。三人が咲香のほうを見たので、少しはにかんで笑ってしまった。


「……うん。おいとまする」

 璃紗はゆうの膝枕から頭を放す。名残惜しそうにふとももを触ると、ゆうはもう、と頬を膨らませた。


「じゃあおやすみなさい」

「また明日ねー」

「……おやすみ」

「ばいばーい」




 ***




 ということで、お盆休みのうち五日間ほどは、咲香と璃紗だけが寮に残ることになった。他学年は別の棟であるが、そこにもほとんど残っている人はいないだろう。寮長の方針によっては、夏休みに棟を閉鎖することもあり得る。


 一方こちらの寮長はというと、自身の根城であるところの201号室で、寝っ転がりつつ漫画を読んでいるのである。ルームメイトのゆうが帰省という長旅に出て行ってしまったために、部屋に一人になってしまった――それをいいことに、咲香は前々から読もうと用意してた笑える漫画やちょっとえっちい漫画を、片づけてしまうことにしたのだ。


 なお、笑える漫画を人のいるところで読むと、変な人だと思われる。ちょっとえっちいといってもR1.8くらいなので、気にしているのは彼女自身くらいである。もちろん、そうとは分からない咲香だ。


 そんな折、201号室の扉がノックされた。まだ晩ご飯の時間じゃないのになあ、と少し疑問を持ちながら、咲香はベッドから起き上がる。


 ドアを開けると、少し気恥ずかしそうに肩をすぼめて立っている璃紗がいた。


「おー、璃紗ちゃん。どしたのー?」

「あの……」

 部屋のドアを開けると、廊下にたまっていたのだろう、夏のにおいと湿った風が部屋になだれ込んできた。


「……えっと。とりあえず、入る?」

 こくこく、と璃紗がうなづく。なぜか璃紗は少し汗ばんでいた。もしかすると、ドアをノックするまで少し躊躇していたのかもしれないと思う咲香だった。



 部屋に招き入れ、冷たい紅茶を振る舞うと璃紗は少し落ち着いたように、ふう、と息をついた。


「それで、何か用?」


 璃紗はもともとよくしゃべる方ではないが、今日はいつにもまして緊張しているように思える。ゆうちゃんがいないからかなあ、と咲香は勝手に想像した。璃紗はいつもゆうにべったりしているイメージがあるので、彼女がいないと、もたれるところがないときのような感じになるのかも。


 咲香が促すと、璃紗はもじもじしつつ、ポケットから二枚の紙きれを取り出した。


「あの、もし嫌だったら、いいんだけど……。その、こ、これ、行かないっ?」

「何? それ……」

 咲香が受け取った紙切れを見る。何らかのチケットのようだった。


 読むところによると、大阪にある高級ホテルの、一泊分の宿泊券らしい。交通費等もチケットで賄えるようだ。招待券に近いだろうか。


「どうしたの?」

「……福引で、当たっちゃって。もうすぐ有効期限切れるから……その前に、って思って……」

「ふーん……」

 確かに、有効期限は八月いっぱいになっている。二枚あるところから考えて、ペアでご招待というわけなのだろう。


 咲香としては、この夏、帰省の選択肢を消してしまっていたので、予定が何一つ入っていない。だから決して駄目だというわけではないのだが。


「誘ってくれるのはうれしいけど、でもわたしでいいの? 一緒に行くの」

「え? なんで?」

 きょとんとした顔で問い返され、咲香は苦笑した。


「ゆうちゃんと一緒に行かないの?」

 璃紗は北条(ほうじょう)ゆうのことが好きだ。もちろん友達として好きでもあり、さらに恋をしているといってもよい。というか、璃紗は寮にいるときも学校にいるときも、公然と、かつ積極的にアプローチをかけている。残念ながらゆうは璃紗の想いに気付いていないのか、もしくは気づいていてスルーしているのか、友達として大切に思っている程度で、付き合うという形には至っていない。


「北条さんは……好き、だけど。でも、その……」

「?」

「……東さんや花衣さんとも、いっぱい話したりとか、いっぱい遊んだりとか……いろいろしたいから……」


 そう言われ、花衣(はなえ)咲香は胸を柔らかく爪で引っ掻かれたような、みょうな心地よさを感じた。

「へへ……んふふー」

 咲香は自然とにやけてしまう。


「ん……な、なに?」

 少し顔を赤く染めた璃紗を抱きすくめたくなる衝動を抑え、彼女の髪を柔らかく撫でるのにとどめておいた。


「じゃあ行こう! いつにしよっか?」

 咲香がそう言うと、璃紗は、ぱあ、と顔色を明るくし、今まで咲香に向けられたことのないような笑顔を見せる。


「じゃあ……明日、で。急だけど。いける?」

 すべり込みセーフだなあ、と咲香は思った。前日まで言い出せないなんていじらしい。


「うん。今日の夜は一緒に準備だよ!」

「……う、うん!」




 ***




 午前中に特急に乗って、揺られること数時間。目的地に着いた頃には、とっくに日が高く昇っていた。


「意外と遠いねー」

「……せやなー」

 璃紗の唐突な関西弁に、咲香がふき出してしまう。

「関西弁!」

「せやで」

 璃紗も笑う。


 降り立った駅は、日本有数の大都市である大阪のターミナル駅の一つ、天王寺である。夏休み中ということもあって、非常に混雑していた。はぐれないように手をつないだ二人は、改札を抜け、駅の近くにあるホテルにひとまずチェックインを済ますことにする。


「おなかすいたね……」

「お昼の時間」

 いや、チェックインの前に腹ごしらえだ。


「……あ、いい感じのお店」

 璃紗が指さす先には、確かにいい感じの喫茶店がある。普段なら高級感のある店は、主に経済的理由から遠慮してしまうのだが、今日は散財するつもりで来たのだ。咲香はおいしいものが食べられそうな予感に、心をときめかせた。


「入ろ?」

「うん」



 注文を済ませ、料理が運ばれてくるまでの間、二人は今からのことを話しあうことにした。

「えっと……とりあえずホテルの部屋に荷物を置いてから、せっかくだしこのあたり見てまわろっか。どこか行きたい場所ある?」


「……デート?」


「ん? まあそうだね」


 咲香が認めると、璃紗は確かめるようにデート、と呟く。

「デートだったら……ハルカス?」


「あ、いいねーハルカス! 見て回るだけでも面白そう!」


 ハルカスは近頃、天王寺駅近辺の人気スポットとして勢力を伸ばしつつある巨大ショッピングプラザである。何と言っても、その300メートルを超す高さが売りであり、大阪の象徴的建造物の一角を担うほどにもなっている。


「花衣さんは? 行きたいとこ、とか……」


「わたしはー……最後のお楽しみ?」

 にひ、と意地悪な笑みを浮かべて、咲香は言った。


「えー、なにそれ……」


 璃紗が追及しようとすると、タイミングが良いのか悪いのか、頼んでいた料理が出来上がる。


「お待たせいたしました」

 咲香の前に置かれたのはワッフルとアイスティー。璃紗には、パンケーキにアイスココア。お昼ご飯になるはずが、ついつい甘いものを頼んでしまった。


「いただきます」

 バターとメープルシロップをつけてから、ふわふわの中の層までナイフを刺し込み、切り分ける。口の中に入れると、かりふわな生地と、くぼみにたまったシロップの両方の甘みが、咲香の幸福を刺激した。


「お、おいしい……」

 甘いもの大好き系女子の二人である。璃紗もパンケーキを切り分けて食べ、幸せそうな表情をした。


「はい、あ、あげる」

 ふわふわした生地に、シロップとクリームをしみこませ、璃紗がおずおずと咲香に差し出す。咲香はぱくりと食いついた。パンケーキもすばらしい。


「お返し。あーん」

 璃紗も咲香のワッフルを食べる。

「………おいしい」

「ねー」


 しばらく二人は幸福をかみしめ、食べ終わって一息つくと、喫茶店を後にした。




 ***




 ホテルにチェックインを済ませた後、再び駅近に舞い戻り、アパレルショップを三店舗ほど冷やかしたふたりが次の標的に選んだのは、ファンシーショップだった。


 璃紗の希望で入ることにした店の中では、ゆっくりとしたミューザクが流れている。いい雰囲気のお店だなぁ。咲香はあたりを見回し、店員が一人だけレジにいるのを見つけた。


 咲香が見つめていることに気付いたのか、彼女は笑みを浮かべた。マニュアル通りに作られた笑顔のような気がして、少し寂しくなった。


 精巧な作りをした人形のごとき女性だった。すらりと背が高く、水晶に似たきれいな瞳が印象的なひとだった。お屋敷で働いている使用人が着ているような、白と濃紺を基調としたフリルの少ないエプロンドレスに身を包んでいる。


 盗み見るようにして、それから近くの棚に目を移した。キラキラしたガラス細工や、無機質なオーナメント、一つの世界を閉じ込めたのようなテラリウムに至るまで、様々な品が並んでいる。


「どうなさいました?」

「わっ!?」

 彼女が近づいてきていることに気付かなかったので、驚いてしまう。璃紗は探し物でも始めたのか、いつの間にかそばからいなくなってしまっていた。


「え、えっと……」

 ど、どうしよう。折角向こうから話しかけてきてもらったのに、追い払っちゃうのはもったいないような気がするし。


「わたし、寮に住んでるんですけど……。その、部屋に、何か置きたいなって思って。でもたくさんあるから迷っちゃって」


「んー……そうですね。ご予算はどれくらいですか?」


「えっと……三千円前後です」

 咲香が言うと、店員のお姉さんは顎に人差し指を当てて考え始めた。いちいち仕草が様になる人だなあ、と思った。


「少し失礼しますね」

 そう言って、彼女は店の奥の方に引っ込んだ。一分ほどで、今度はぬいぐるみを手にして戻ってくる。


「うさぎです」

「か、かわいい」

 白いうさぎのぬいぐるみだった。愛らしく折れ曲がった左耳だけが、茶色の毛でおおわれている。瞳は黒雲母のようにぶこつな色合いで、胸元には小さいピンクのリボンをつけていた。手触りもさらさらしていて、決して悪くない。


「ぬいぐるみは、学生の方の寮ならおすすめです。勉強や部活動で疲れていらっしゃるときも、癒しの効果が得られますし。どうなさいますか? もしお気に召さないのなら、別のものをお持ちしますが」


「これでお願います!」

 咲香が気色ばんで言うと、彼女は微笑んだ。今度はマニュアル通りの笑顔じゃないような気がした。咲香は少し嬉しくなって、こちらへどうぞ、とレジに向かうお姉さんに言った。


「あ、あの!」


「はい?」

「その服、可愛いですね。よくお似合いです」

「これですか?」

 彼女は自分の服を見下ろし、くるりと一回転した。ふわり、スカートが宙に舞う。


「あらまあ」

 うふふ、と彼女は口元に手を当てた。咲香は言いたかったことを言えた満足感で、ふう、と息をついた。



 咲香が店の外に出ると、璃紗も追うようにして出てきた。その手には大きな袋が握られている。


「何買ったの? 欲しいものあった?」

 咲香が尋ねると、璃紗はひみつー、と悪戯な返答をした。


「花衣さんは?」

 そう尋ねられ、咲香もお返しとばかりに、ひみつだよ、と返した。不思議だけど、きれいな人だった。




 ***




 ハルカスの最上階付近には展望台がある。

「あ、これもしかして予約とか必要なやつ……?」

 『最後のお楽しみ』に夜景を見に行こうとしていた咲香だったが、旅行自体が急に決まったためにリサーチが出来なかったのである。


 心配そうな顔つきになる咲香に、璃紗はふてぶてしげににやっとした。


「だいじょうぶ。予約、しといたから」

「ほんと!?」


 よく考えればホテルの予約もきっと璃紗がやっておいてくれたのだろう。サムズアップする璃紗に、咲香は抱きつく。


「璃紗ちゃん大好き!」

「……そうだろう、そうだろう」

 璃紗は照れくさそうに言った。



 エレベーターに乗り、咲香と璃紗は難なく展望台のある六十階までたどり着く。

「っていうか、エレベーターの時間、長いよ……」

 地上八十メートルから、三百メートルまで上がるには、相当の時間が必要であったが。


「いっぱいカップルいるね」

「……まあ。二人組って意味なら、私たちだってカップル」

「えー。いやそうだけどね」


 指定した時間通りに回廊に入る。整理されているため、人はそんなに多くない。


 三百六十度を透明なガラスで覆われた展望回廊から、世界有数の大都市の夜景を見下ろす。


「わあ……!」

「………」


 咲香は小さく感嘆の声を漏らす。横で璃紗が、こくりと唾を飲みこむ音が聞こえた。


 燦然。視界の彼方まで続く光点の絨毯が咲香の目に飛び込んできた。


 さまざまな色で彩られた町は、一つの生物のようにうごめき、呼吸する。光がちらちらと揺らめいている。屈曲しながら街を貫く、動脈のようないくつかの幹線道路は、オレンジ色の街灯に照らされていた。

 地上からなら見上げるようなビルディングも、今はわずか数センチ。別の星の街を見ているようだった。


「す、すごいね。なんていうか」


 うまく表現できない咲香に、璃紗が微笑みを漏らす。

「……座ろ?」

「……うん」

 璃紗が提案した。璃紗の瞳の中にもたくさんの光が宿っている。隣り合って座ると、肩が触れ合うくらいの距離になった。



「のど乾いちゃった。わたし、飲み物買ってくるよ。何かいる?」

「んー……アイスココアで。なかったら紅茶」

「ほーい」


 カウチから立ち上がる。下の階のカフェに並んで待つと、やっと深く呼吸できたような気がした。

 何というか、いい雰囲気になりすぎた……。咲香は締め付けられるように感じる胸のあたりに手を当てる。このままあそこに居続けていたら、何をしてしまうものだったか分からなかった。璃紗にはゆうがいるのに。


 こんなところにあるせいか、値段は結構張る。咲香の分だけならよかったが、璃紗に気を使わせるのもよくない、と思い、アイスココアを一つだけ買うことにする。


 璃紗のいるところにまで戻る。光の海をじっと見入っている彼女は、綿密に計算された一枚の美しい絵画のようだった。


「おまたせ。はい」

「うん、ありがと……?」


 自分の分を買っていないように見える咲香。不思議そうな表情をする璃紗に、なんと説明したものか、と頭を悩ませる。


「半分こするの?」

 璃紗からそう切り出してくれたのはありがたかった。


「あ、うん。それで」

 いたずらがばれた子供のように笑む。璃紗はココアをちゅーっと飲んで、咲香に手渡した。のどが渇いた、というのは、雰囲気をごまかすために口をついて出た出まかせだった。別に渇しているわけではないが、口に含む。


「……いくらだった? 半分、出すけど」

「あ、後でいいよ」


 完全に雰囲気にのまれている自分に気づく咲香。ココアのストローに口をつけるときにどきりとしてしまったのが何よりの証拠だった。


 それからココアを飲み終えるほどの時間、光を見つめていた。と言っても、咲香としては気が気でなかった。カップを持っていた手が空いたので、慰みに咲香は璃紗の手を探し当て、指を絡ませる。璃紗は少しびっくりしたのか、一瞬だけためらったが、すぐに握り返した。


「……花衣さん、好きな人とか、いるの?」

 璃紗が吹っ掛けてきたいきなりの恋バナに、咲香はちょっと面食らう。そして少しだけほっとした。やっといつも通りの自分を取り戻せたような気がした。


「どうだろーねー」

 にひひ、と笑う。そんな咲香に璃紗は反撃を仕掛けてくる。


「……まあ、大方予想はついてる……けど……」

「え!? うそ、誰!?」

「……教えへん」

 うわー出たよエセ関西弁……。ホテルについたあと、じっくり聞かせてもらおう。


「それにしても、夜景見るなんて、ほんとのデートみたいだねー」

 咲香は絡ませた指をもてあそぶ。

「まあ、璃紗ちゃんには、王子さまがいるんだけど」

 璃紗は絡ませていない左手で、自分の少し朱のまじる頬を引っ掻いた。恥ずかしがる辺りはまだまだうぶなんだなあ、と感心してしまう咲香だった。


「今日はその人との練習みたいだね」

「…………」

 咲香がいうと、璃紗は黙ってしまった。


「……………………違うもん」

「え? もう一回言って?」

 璃紗はそのまま、シートから立ち上がってしまう。


「もういいの?」

 こくっと一度頷き、璃紗は展望台をあとにしようとする。心なしか早足な璃紗に追い付くため、咲香はあわただしく駆けた。




 ***




 「り、璃紗さん?」

 璃紗は迷いなくホテルへの道のりをすたすたと歩いていく。


「あのー。もしかして、璃紗さん、お怒り?」

「……別に」


 これは100%不機嫌だ、と咲香は悟る。怒っていない人間はそういう答え方をしない。


 ゆうちゃんのことでからかったのがいけなかったのかなあ……。


 人の波を、璃紗を見失わないように通りすぎ、ホテルのロビーに着く。やっと璃紗が止まった。


 ルームキーをもらい、部屋に入る。気まずい思いをしつつも、咲香は謝るタイミングをつかみ損ねてしまっていた。


 暗めの照明にされた室内はなんとなく壮麗な雰囲気だ。二つのベッドが真ん中に置かれており、璃紗がそのうちひとつに座った。


「あ、あの! 璃紗ちゃん、ゆうちゃんのことで、気を悪くしたんならごめんね? 恋愛のことでいじられるの嫌だよね……」

「そういうことじゃない」


 きっぱりと、璃紗は咲香に言い放つ。咲香は少し怯んだ。


「………」

 璃紗は咲香とベッドの端に、向かい合うようにして腰かけた。そのままじっと咲香の瞳を見つめてくる。そのまま、璃紗は咲香に覆いかぶさった。


「……?」

 ベッドのスプリングが音を立てる。ゆっくりと押し倒された自分。自分に馬乗りになっている璃紗。頭の中で状況を整理するのに少し時間がかかった。


「花衣さん」

 咲香の顔の横に両手をつき、璃紗が言う。咲香は逃げ場を失っていた。重力に従ってはらりとほどけた璃紗の数条の髪が、首のあたりをくすぐった。


「な、なに?」

 気圧され気味に問い返す。


「好きな人って、東さん、でしょ」

「………!」


 わたしの好きな人……律ちゃん。東、律。


 あうあうと何か言おうと口を開いたが、ついに何も言うことができなかった。肯定も否定もできなかった。


 しかし頬を真っ赤に染めた咲香の反応は、璃紗にとって何よりも雄弁な応答だったらしい。


「私は、北条さんが……、花衣さんは東さんが、好き」


 咲香は唾をのむ。すごく恥ずかしかった。泣いて許してもらった方がいいような気がした。


「私だって……いつかは、好きな人といちゃいちゃしたい。花衣さんだって、たぶんそう。でも……今日のデート、花衣さんが、北条さんの代わりなんだったら、花衣さんは私のこと、東さんの代わりって思ってるってことなの? そんなのは、いや」


 口下手な璃紗が一息でそうまくしたてる。


 咲香はやっと璃紗の機嫌が悪くなった理由に思い当たる。


 璃紗も、あの展望台で咲香と同じものを感じていたんだ。恋じゃないけど、すごくドキドキして、心臓が締め付けられるような、変な感覚を。


 それを、咲香は一言でなかったことにしてしまった。あの変な気持ちは、咲香とじゃないと、感じられないはずなのに。ゆうへの気持ちだって言って、洗い流してしまった。


 その上、咲香は別の人への想いとも一緒にしてしまったのだ。璃紗と一緒にいたときの気持ちを、律に置き換えてしまった。


 自分の失敗に腹が立つ。行く前に璃紗は言ってたのに。咲香とも遊んでみたい、と。


「ごめん、璃紗ちゃん。ほんとにごめん」


 咲香は潤んだ瞳を璃紗に向ける。璃紗の気持ちを踏みにじっていた自分が不甲斐なかった。


「ゆ、許してくれる?」

「………んー」

 璃紗は少し考え、そして、


「東さんとも、北条さんとも……やったことないこと、しよっか」




 ***




 シャワーを浴びた二人はパジャマに着替える。


「好きな人との練習、とかじゃ、ないからね」


「……うん。分かってる」


 咲香が押し倒されていたベッドに二人で寝転がった。そのとたんに、さっきの仕返し、とばかりに咲香が璃紗に馬乗りになる。その唇を強引にふさいだ。


 柔らかい唇に触れた途端、咲香は身体がうずくのを感じる。璃紗の身体を抱きしめながら、ひたすら口づけを交わす。唾液が絡まり、淫靡な音が響く。璃紗は苦しげに息を荒げていたが、咲香には思いやっている余裕はなかった。フレンチキスに持ち込むと、主導権を手渡すように、こわばっていた璃紗の身体から力が抜けていった。おもちゃを弄ぶ子猫のように、咲香は璃紗の口腔を舐めた。


 咲香が唇を放すと、璃紗はまじったつばを飲み込む。


「花衣さん、いきなり……激しすぎ。ちょっとタイム……」


 ん、と相槌を打つ。はあ、はあ、と呼吸を整える璃紗の、上気した肌を見つめた。自分の口の周りについたよだれを拭い、次はどうしようか考えを巡らせる。


「いい?」


 熱っぽい視線で咲香を見つめる璃紗。うん、ともいやだ、とも言わないが、肯定だと受け取った。


 咲香が璃紗と体を重ねるようにベッドに倒れると、璃紗が少しにやっとする。


「わっ……!?」


 そして璃紗が咲香を抱き留めたかと思うと、ベッドの上で半回転した。咲香が組み伏せられる形になる。


「ふふ、逆転……」

 嗜虐的な微笑みを浮かべる璃紗に、咲香はうぐっと喉を鳴らした。


 璃紗の細長い指が、咲香の淡い色をしたパジャマのボタンを一つずつ開けていく。焦らすようにゆっくり、五つすべて開け終えると、それを肌蹴た。


「うぅ……」

 入浴後はブラをつけない派なので、上半身はもう何も身に着けていないに等しい。まともに璃紗の顔を見ることもできなかった。


「花衣さん、ぜんぜんしたことないでしょ。えっちなこと」


 凹凸の少ない胸から下腹部にかけてのあたりを、璃紗の細長い人差し指がなぞった。控えめなこそばゆさに身を捩る。目を逸らしていると、璃紗は脇腹をくすぐって追い打ちをかけた。


「………ないよ。やり方とか、分かんないし……」


「そういう気持ちになったことは、あるんだ?」


「もう、聞かないでよ……」


 恥ずかしさのあまり涙目で懇願する。璃紗はとりなすようにほほ笑む。


「花衣さん、すごくきれい……」

 雪のように白い肌と、控えめに芽を出す小さい蕾。緩やかに弧を描く体のライン。引き締まった腰。


 咲香の額に口づけを落とす。つづいて耳たぶを舐め上げ、首筋を甘く噛んだ。


「……ん」


 全身に鳥肌が立つような感覚に、咲香はぴくっと反応してしまう。


「かわいい……花衣さん……」

 薄い胸に手のひらを当て、わずかに息づく感触に璃紗は息をのむ。撫でまわすようにすると、全身からシャンプーと汗のにおいを芳せ、咲香は露骨に反応した。


「……もう、無理」

「え?」

 咲香のズボンに手をかけたかと思うと、璃紗は一気に脱がしにかかる。


「や、ちょ、璃紗ちゃんっ」

 唯一残された白いショーツまでも奪おうと、璃紗が手を付けた。咲香は大きく抵抗する。


「いやなの?」

「い、いやだよ、そこは」


 体ばかりが敏感になり、もうろうとした頭でも、咲香は拒絶した。ショーツに触れる璃紗の手を引きはがそうとする。そんな咲香に、璃紗は吐息がかかるほど顔を近づけ、瞳をまっすぐ射るように見つめた。


「なんで?」


「だ、だって、汚いし。それに、自分でもやったこと、ないし……」


「私は、別にいい」

 璃紗はその鼠蹊部を撫でながらつづける。


「気持ちよく、なりたくないの?」


「………」

 ショーツの上から、咲香の秘所のあたりを触る。逃げるように、咲香は及び腰になった。


「花衣さんだって、感じてるじゃん……」


 濡れた瞳で璃紗を見返す咲香。その唇をついばむようにふさいで、すぐに離す。


 咲香は目を閉じる。数秒そうして、息をつき、降服するかのように体の力を抜く。璃紗のなされるがままになる意思を表した。


「……いただきます」

 親友の媚態に、璃紗は興奮を抑えられなかった。




 ***




 ベッドの上でぐったりしている咲香。シーツが一枚使い物にならなくなってしまった。これは想定していなかった、と璃紗は思った。


 しばらく立ち上がれそうにない咲香にベッドカバーをかけてやりながら、お腹すいたなあ、と時計に目をやった。もう十時だ。ああいうことをしていると、ついつい時間を忘れてしまう。


 ツインのもう一つのベッドに腰掛けた。咲香に攻められていたときのことを考え、唇に手を当てる。もし咲香が自分を慰めるようなことを、したことがあったとしたら……、あそこで伸びているのは私だったかもしれない。璃紗だって、人とやるのは初めてだった。漫画で得た知識と、自分でやった時の経験くらいしかなかったのである。


 咲香が璃紗の方に体を向けた。上半身のパジャマは肌蹴ていて、下半身は裸のままだけど、もう恥ずかしくはないようだ。


 その左手が、璃紗の右手を捕らえた。そのまま恋人がするように、指を絡めて握られる。いや違う、と璃紗は思った。親友がするように、だ。


「……花衣さんの髪は、すごくきれい」


 ありがとう、と咲香は照れくさそうに言う。


「璃紗ちゃん」

「……なに?」

「なんでみんなのこと、名字で呼ぶの?」

「……え? いや、まあ、別に理由は、ないけど。でもいまさら変えるのも、変かなって」


 じゃあさ、と咲香が言った。


「わたしと二人だけのときでいいから、さ。わたしのこと、名前で呼んで?」

「……咲香ちゃん、って?」

「うん」


 むー……。咲香ちゃん、咲香ちゃんかあ……。花衣さんで落ち着いちゃったしなあ。


 まあ、でも花衣さんのままじゃ、ちょっと他人行儀な気もする。


 少し考えて、璃紗はうん、と頷いた。


「いいよ。咲香ちゃんって呼ぶ。でも、みんなのことは、まだ名字で呼ぶ」

「ゆうちゃんも?」

「……北条さんは、北条さんだからこそって感じ」


 なにそれ、へんなの、と咲香が笑う。


「お腹すいたね。もうレストラン閉まっちゃってるかなあ。コンビニにしよっか」

「うん。服着て。一緒にいこ」

 咲香ちゃんとは。まあ、結構話したし、遊んだし、いろいろも、できた。




 ***




 その後。夕食を済ませ、もう一度シャワーを浴びてベッドに倒れこむ。もろもろの事情があり、言及しにくいことになったもうひとつのベッドで寝るわけにもいかず、二人は同じベッドに入ることにした。


 ランプに近い璃紗が、手を伸ばす気配がする。パチッと音が鳴る。月と街灯だけが冷ややかな闇を照らすようになっていた。


「……急に怒ったりして、ごめん」


 咲香の方には背中を向けて、ぼそぼそと璃紗が言った。咲香は苦笑して、別に、と返す。


「はな……咲香ちゃんと夜景見てるとき、すっごくどきどきしたから。間違ったらいやだって思ったの」


 間違う?


 咲香はその言葉の意味を質そうとしたが、璃紗はうん、と相槌を打っただけだった。


 何と何をなの、と問い詰めたいような気分になる。ほんとうに璃紗には分かっているのかが、咲香には分からなかった。


「咲香ちゃんは?」

「え?」

「私といて、どきどき、した?」


 ……。少し咲香は沈黙した。瞑目して、胸に手を当てた。大丈夫、今は璃紗ちゃんがこんなに近くにいるのに、ちゃんと落ち着いている。


「したよ。変な気分になっちゃった」


 えへへ、と失敗をごまかすように笑う。


「……よかった」


 璃紗が聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声で言う。


「……おやすみ」

「うん。おやすみー」


 二人分の寝息が重なる。


 都会の夜が深まっていく。思い人への変わらない気持ちと、友達に新しく芽生えた思いとともに。

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