双子花火
いつから私は、こんな風に「なんてことない時間」を退屈だと感じるようになってしまったのだろう。と、自室でパソコンのモニターに映されているイラストを無表情で見つめながら冬香は思う。自らが描き上げたイラストには、漫画風に描かれた冬香自身と、背丈が冬香と同じ高さの少女が二人、打ち上げ花火を見上げている後ろ姿が花火とともに描かれている。
「春香………」
冬香に似た少女の名を呼びながら画面に触れたと思えば、冬香は軽く息を吐いて座っている椅子の背もたれに身を投げ出した。寂しすぎてついにこんなイラストまで描いてしまったかと、どうしようもない自分に失望しながら。「こんなイラスト」とは思ったものの、このイラストのように、双子として生まれてきた春香と一緒に花火大会を見上げるという行為は、冬香にとって忘れられない思い出であると同時に、毎年訪れる夏休みの楽しみでもあった。
そんな大切な一時が、去年の夏休みには存在してない。
去年は双子が高校に進学した年でもある。双子はとても仲が良く、保育園から中学校まで同じ学校に通っていた。高校も当然同じ学校に通うことを夢見て二人は受験勉強に励んだ。勉強の成果とも言えるが、元より勉強が得意であった冬香は難なく合格することが出来た。しかし近衛家に届いた合格通知はたった一通だけだった。
この結果に一番悲しんだのは冬香である。当の春香は、入試試験の自身の回答からある程度合否が予測出来ていたのだろう。結果を目の当たりにした春香は泣くこともせず、ただひたすら上ずった声で謝罪の言葉をこぼすばかりだった。
そして今に至る。春香は滑り止めとして受験した私立高校に入学し、中学校でバスケットボール部に所属していたことをきっかけに、熱心な顧問の指導の元毎日過酷とも言える部活に励んでいる。対する冬香というと、中学校で美術部に所属していたことをさっぱり忘れたかのように、帰宅部生活を送る日々が続いていた。冬香にとって中学校の美術部は、ただゆっくりとイラストを描く時間が欲しかったというのもあるが、単に通っていた中学校が部活に所属することを破らざるべきルールとして生徒手帳に記載している為、趣味と活動内容が被っている美術部に仕方なく入部したというだけである。冬香が入学した高校にも美術部が存在しているが、入部に強制力が無い学校に入学してまで部活に入る理由が見い出せず、帰宅部として大人しく家で部活動を行っている。
そんな毎日が楽しいかと問われれば、冬香は迷わず首を横に振るだろう。別に部活に入っていないから充実していないだとか、帰宅部生活に飽きたからだとかそういった理由では無い。むしろ人見知り且つコミュニケーション能力が不足している冬香にとって、部活動というものは面倒極まりない行為であり、逆に言えば自室や家は楽園といっても過言ではない。理由はただ一つ、毎日送っている二十四時間に春香が居ないからだ。春香は毎日部活の朝練で早朝に家を出て行き、夜遅くまで激しい運動した後帰ってくるなり即寝るという生活を送っている。その為、いやそのせいで花火大会に行けるような時間も体力も無いし、昔のように春香と会話をする時間すら無い。生まれてから十五年間を過ごしてきて、春香と会話をしない日が一日でもあっただろうか。冬香の趣味はその全てにおいて、春香との会話以上に楽しいと思えるものが当時は無かった。その一番の趣味が高校生に進学し失せた。あるのは日々満たされないことで生まれる虚無感のみ。
「はぁ」
冬香の口から不意に溜息が漏れる。
当然、こんな状況がすべて春香のせいだ、などという救いようのない結論には至っていない。どちらかといえば春香と受験勉強をもう少し熱心に取り組んでおけば良かったと責任を感じているほどだ。しかし終わってしまったことを悔やんでいても仕方がないとも思うし、春香が居ないと、なんてことない一日を自力で楽しいものに出来ないという現状をどうにかしようとも思っている。そして冬香はあることを思いついた。
毎年二人で見上げていた花火大会を一人で見に行けば、冬香自身の何かが変わるのではないかと。
冬香は座り続けて固まった体をほぐすために一度伸びをし、イラストから後ろ姿の春香をだけを消した。一人となった冬香の背中から感じられる哀愁に苦笑を浮かべつつも、外出の為の準備を始めた。花火大会が行われるのは今日だ。
「ただいまー…」
疲れ切った体を引きずりながら玄関のドアを開けた春香は異変に気付く。家にたどり着いた時刻はとっくに夜の八時を回っている。春香が今から脱ぐ靴を合わせれば、家族全員の靴が揃ったことにより合計四ペアとなるのが普段通りなのだが、今日は一ペア足りない。父親の大きな靴が一際目立っていた為、帰ってきていないのは母親かと思った。しかし冬香の靴だと思ったその小さな靴はよく見ると母親のものであった。
信じられない状況に何度も目を疑う。春香は冬香が両親の帰って来る前に玄関掃除をして、片した靴をそのまま戻し忘れたかと考えた。しかし玄関の棚には冬香のローファーだけがあり、普段出掛ける用の靴は見当たらなかった。少し心配になってくる。
「あらお帰り春香」
「ただいまお母さん。冬香は?」
「花火大会を見に行くって出掛けて行ったわ」
母親のその発言に春香の動きが止まる。
去年の花火大会に二人で行けなかったことを残念に思っていたのは当然冬香だけではない。春香は春香で、軽い気持ちでバスケ部に入部したことにより、冬香と一緒にいる時間が無くなっている事実に強い罪悪感を感じていた。元はといえば春香が受験勉強に必死で取り組まなかったことに原因があるわけで、何も悪くない冬香に寂しい気持ちをさせていることなどあってはならないのだ。本当なら学校すら投げ出して冬香と一緒に居たいと思う春香だが、現実はそんなに甘くはない。
今から全力疾走すれば花火大会に間に合わなくもない。そして一緒に花火を見ることで、少しでも今までの罪滅ぼしが出来るのかもしれない。そう考えた春香の体はとっくに走り出していた。
「ちょっとどこ行くの!?」
「冬香のとこ!ご飯後で食べるから!」
「………あの子ったら、ふふっ」
街灯だけが道路を照らしていた。冬香は花火大会に向かう人々と逆の方向に歩いていた。花火大会は市立の大きな公園で行われる。しかし二人の会場はその公園ではなく、田舎特有の小高い山だった。これはずっと決まっていることである。
登山と言うには傾斜の緩い坂道を登ると、誰が何のために作ったかも分からない二人掛けのベンチが不意に姿を表す。山の頂上というわけでは無い位置にあるこのベンチは、よりにもよって町の方向を向いていた。ただでさえそこから見る町の風景は綺麗なのだが、さらに狙ったかのように花火を見ることが出来る。小さいころ遊んでいた際に見つけたこの場所はとても気に入っている。
冬香は一人で座る違和感を抱えつつも、ベンチの左側に座る。そのまるで春香が来ることを期待しているかのような自らの無意識な行動に、再び苦笑いが零れる。
そして遠くで花火大会が始まった。
様々な色、様々な形の花火が次々と夜空に打ち上げられていく。
ふと二発、同じ色の違う形をした花火が同時に開花した。それはまるで、冬香たち双子を映しているようだと感じ、冬香は思い出す。
双子は双子として生まれてきた。顔も身長も何も変わらない。だが違うものだってある。それは性格や好みをはじめとした中身だ。今打ち上げられた二発の花火だってそうだ。形だけが同じ、それでも色が違う。これは人間で言うところの個性にあたる。世の中には十人十色とかいう言葉もあるくらいだ。人はそれぞれ色を持っている。その色がまったく同じである人間が二人以上存在することは絶対にない。
冬香は中学生の頃から、いつまでも二人でいられはしないと薄々気が付いていた。そしてそれは現実のものとなり、家以外どこにいても双子として扱われなくなっていった。味わったのは一人という孤独感と恐怖。高校に入学してからの一年間、冬香はそれがどうしようもなく辛かったのだ。
次に打ち上げられたのは、たった一つ、他と比べてしまうと小さく見えるものだった。
冬香はそれに自分だけを重ねてしまう。闇夜にたった一つ浮かぶ花火、暗闇にたった一人座る自分。なんて小さく寂しいんだろうと思ってしまった直後、冬香の瞳からは涙が浮かんでいた。
何か変わるだろうと思ってここに来た。しかし何か変わるどころか、余計に寂しさが増してしまった。花火の音がが止んだことにより孤独感は強まり、冬香の瞳で耐えていた涙はついに頬をつたいだした。
来なければよかったと思って立ち上がった、その時だった。
「冬香っ!!」
夜の闇に包まれた木々の隙間に甲高い声が響く。
「!?」
冬香は来るはずのないその人物が表れたことに心底驚き、涙も拭かないままただその人物を見つめた。
「春……香?」
驚いていたのは冬香だけではなかった。涙を零しながら目を見開く冬香の姿に春香は何事かと驚いたが、全力疾走を終え疲れ切った頭でその全てを一瞬で理解した。
やはりずっと寂しい思いをさせていたのだ。それも多少ではない、あの冬香が涙を流すほどの寂しさを。
理解した春香の両腕は、気が付けば冬香を抱きしめていた。
「ごめんね冬香。いままでごめん」
「……?急にどうしたの春香」
何が起こったか頭が全くついて行かない冬香は身動きすることなく、ただ春香の温かさを感じていた。汗だくになった服と、尋常ではなく荒い呼吸。ようやくその意味を理解した冬香の涙はもう止まることを知らなかった。春香の心から自分がまだ消えていなかったことに、冬香は頭の中で何度も「よかった」と安堵の言葉を繰り返すのだった。
「春っ……」
「話は後、花火見よう?」
「え……?」
気が付けば、終わったと思っていた花火大会は再開していた。しかも例年とは比べ物にならないほど立派で迫力のある花火がいくつも打ち上げられている。
双子はベンチへ座る、昔のように。しかし昔と違うのは見上げている花火が立派だと言うことと、冬香が泣きながら笑っているということだった。
「冬香起きて、朝だよ」
「んー………んん?」
「夜更かしなんかしてるから起きられないんだよ?」
寝間着の春香は気持ちよさそうに寝ている冬香を軽く揺すった。しかし起きる気配が一向に見られない。せっかく朝練が無くなったのに、と、春香は頬を膨らませながらいじけた。知らん顔で眠り続ける冬香に小さな溜息を吐き、朝食の準備が終わっていることを伝えて部屋から去ろうと思った春香の目に、つけっぱなしのパソコンのモニターが映った。
春香はドアに向かっていた体を反転させ、冬香の寝ているベットへ飛び込んだ。
「可愛い奴め、このーっ」
「うわぁっ!?」
なんてことない日常。冬香のそれは、楽しかった元の形へと戻って行くだろう。
パソコンのモニターには、打ち上げ花火を見上げながら寄り添う双子の後ろ姿が、仲睦まじそうに描かれていた。
お読みいただきありがとうございます。
この作品は、同作者が連載している「ブラインドソード(盲目の剣)」の平行世界でもあります。
良ければそちらも読んでくださるとうれしいです。