おもいやむ
【第46回フリーワンライ】
お題:
女郎花
浮いている
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
眩しい日差しに照りつけられながら、彼は彼女と差し向かいで崖に立っていた。眼下数メートルでは日本海らしい荒波が飛沫を上げている。
彼は、以前にここへ来た時は夏だったな、ととりとめもなく考えていた。今は寒い。あの頃は暖かかった。季節も、関係も。
押し黙った彼女に対して、口火を切ったのは彼の方だった。
「なぜ今更こんなところへ? 確かにここは思い出の場所だけど、ちょっと仲直りのシチュエーションとしてはこの時期だと寒々しいんじゃないかな」
あるいはこれは意趣返しなのかも知れない。そうだとすれば、彼にとってはとんでもない話だった。逆恨みも甚だしい。
あるきっかけで彼の不埒な噂話が立ち上り、それを聞きつけた彼女が盛大に誤解したのだ。白昼堂々、臆面もなく糾弾された結果、目撃した一定範囲に「噂は本当だった」と二次的被害まで与えらる始末だった。勿論それらは根も葉もないホラ話であり、清廉潔白の身である彼には青天の霹靂でしかなかった。
それについては散々やりあったし、さらなる余波を広げもしたが、とりあえずの解決を見た。冤罪を贖罪するが如き理不尽な日々を思い出すにつけ、彼はげんなりした。
ともあれ終わった話だ。わざわざ蒸し返すことではない。
足下を見下ろすと、花を付けていない草が目に入ってきた。チメグサだ。またの名を、
(オミナエシ、か)
彼は特に花が好きなわけではなかったが、女性の気を引くには打って付けの話題ではあるので、その辺りの知識はいくらか持っていた。
前に来た時にはこのオミナエシが綺麗な黄色い花を咲かせていたものだった。
当時どんな話をしたかははっきり思い出せる。
『オミナエシの名前には女性を凌ぐ美しさ、という説があるらしい。“女を圧する”――“オンナアシ”――“オミナエシ”というわけ。確かにここに生えてる草花では一番綺麗ではあるね。僕にとっては君がオミナエシだな。女性という草花の中にあって、とりわけ美しい――』
歯の浮くような台詞だが、今でもつっかえることなく淀みなく話せるだろう。彼女にここで語って聞かせるためにいちいち調べて、綿密にシミュレーションして、何度も何度も繰り返した言葉なのだから。
あの暖かな日々が遠い。どうしてこんなにも寒々しいのか。
「あの時の約束、覚えてる?」
「……ああ」
一瞬言葉に詰まったのは、思い出せなかったからではなく、長い沈黙の後に急に話しかけられたからなのだが、果たして彼女はどちらと取っただろうか。
「いつか二人が死ぬようなことがあれば、この雄壮な日本海で一緒に海に帰りたい」
まだ付き合い始めたばかりだったはずだが、海葬とは随分悲壮な誓いをしたものだ。しかし、当時を思い出すといつでも芝居がかっているのはなぜだろう。色々取り繕っていたのだ。彼は内心で苦笑した。
「そう」
確認するように頷いて、彼女はまたしばらく黙った。
「すれ違いもあったと思う。それはもういいの。誤解だったってわかったから」
「うん」
「でもね、あの嘘を聞いた時、私あなたのことを凄く恨んだ。憎んだ」
「うん」
「……その気持ちが、まだ消えてない」
「――え?」
「でもあなたとは別れたくない」
言いながらゆっくりと、彼女が近寄ってくる。ハンドバックから何かを取り出しながら。
彼の目はそれをしっかりと映しているが、けれでも見ているもの、聞いているものは別の時間の記憶だった。
オミナエシにまつわるいくつかのエピソード。そのうちの一つに“能”の演目がある。題して「女郎花」。その内容は早い話が、中世日本版『ロミオとジュリエット』だ。妻が夫を誤解して自殺し、夫もその後を追う。
「だからお願い――」
近付く彼女を見ながら、ふと、その話を思い出した。彼は、これが自分の「オミナエシ」なのかと、そう思った。
『おもいやむ』了
「そのシチュエーションはまるで火サス」
という一文を入れようと思ってたのに忘れてた。
恋はスリルショックサスペンス。どうしてジャンルにサスペンスがないんだろうか。
タイトルには複数の意味を込めてみた。「病む」のか「止む」のか。咄嗟の思いつきにしては我ながら上出来である。