映画 コヤニスカッツィ (ドキュメンタリー) アメリカ 監督 ゴッドフリー・レッジョ
タグ 文明 セリフなし 癒やし
コヤニスカッツィとは、アメリカ先住民ホピ族の言葉で 平衡を失った世界 を意味する。
では、酒の用意が出来たので観てみる。
コッポラプレゼンツだ。
独特な音楽、思わず口ずさむ。壁画からロケット発射へ平衡というのは、自然と文明の事だろうか。
音楽とともに悠久の時が作り出した美しくもあり畏怖の念もある情景が続く。
きっと人類が滅びてもこの情景は、変わらないんだろうな。自然の情景から人工の物へと変わって行く。自然を徐々に蝕んでいく文明。
ある意味恐怖すら感じる。人間は、いつから自然を恐れなくなったんだろうか。
シーンは、自然から文明へとシフトしていく。
そして大量の兵器の映像へ迷彩色、に皮肉を感じる自然への模倣。
そして宇宙、核、戦争をイメージさせる。突如高層ビル群に映像は変わる。
個人的には、高層ビル恐怖症だ。
そして廃墟群の映像。個人的には、廃墟は好きだ。退廃的な感じが癒される。疲れた時などは、軍艦島のDVDを観る。映像は、廃墟群が続く。廃墟破壊シーンが続く。それは、芸術的なまでに美しい、計算されビル群の間を崩れ去る。
街を行く人々、人類は増えすぎたのだろうか・・・自然の中の時間、文明の中の時間は等しく時を刻むが体感的には違う。夜の都市、道を走る車の群、光の筋は、まるで大きな生命体の血管のようだ。いつから人類は、闇を恐れなくなったんだろうか。いくら時間が進もうと変わらない月、人類いや生命が発生した頃も同じ姿だったのだろうか。
映像は、目まぐるしく変わる。徐々に機械化される仕事。生産性を追及すると労働はなくなるのだろうか・・・レーンを流れる工業物からエスカレーターを上る人々の対比が面白い。
宇宙へ飛んで行くロケットのシーンが多い。しかし失敗もする。
壁画の場面で終わる。最期にホピ族の予言が出る。多分それらしく解釈できるよにしたんだろう。見た人の答えは、一つだと思う。
私的には、文明の発展で自然が破壊される事を簡単に善悪で解決できる物とは思わない。文明の恩恵を受けてる身だからだ。
この映画でいいことは、字幕がほとんどなく観ながら書けるからだ。だがほぼ実況になった。
映像美★★★★★
難解さ★