宣戦布告
白い光が室内を照らす。左右の壁は全て本棚で埋まっている。収められている書籍はサイズも言語はバラバラ。更に床に溢れて積まれた書籍で足の踏み場もない。ただ、マホガニーのデスクの上だけは綺麗に整頓されLDEデスクライトとスタンドに立て掛けられたタブレット端末、それとコーヒーとタバコと灰皿のみ。
神吉暦の書斎での憩いの一時。部屋に時計はなく、ぺらりぺらりとページを捲る音だけが、静かに規則的に刻まれる。
時間を忘れて読書に没頭する彼が突然なにかに気がついたように顔を上げるとほぼ同時に照明が点滅して消えた。天窓から差し込む光が彼を包む暗闇を払う。神吉は動じた様子もなくそっと本を閉じデスクの脇に置き、新しくタバコに火をつけた。ゆっくりと紫煙を燻らせる。
数秒後、ドアをノックする音が響いた。
「…どうぞ」
すっとドアが開く。闇の中に浮かび上がる白い面。目も口も鼻も無い。曲線を描くのっぺらぼう。
次いでガチャリガチャリと重い音を立てる全身を余す所なく覆う漆黒の強化外骨格。左腕にはバイタルサインを表示するモニター。異形の来訪者は一歩、部屋に入っただけで立ち止まった。
「お久しぶりです、本郷博士。あいにく家人は出払っていまして持て成せません。ご一報下されば準備できたのですが…」
「構わん」
地獄の底から響くような低く錆びた声だった。
「知己とはいえ連絡もせず訪れた私にも非はある」
「そう言って頂けるとは有り難い。俺としては酒を酌み交わせればと思っていたのですが、残念です」
「そうだな。こうして話す事も最後だ。飲めもせん酒に付き合うのも一興だったか。惜しい事をしたな」
「ああ、そういえば博士は下戸でしたか。以前お会いした際はそんな事を話す暇もなかったので失念していました。タバコは…駄目でしょうね。立っているのが辛かったらその辺の本を椅子代わりにしてください」
「構うな、一文字大尉」
本郷は冷たくあしらって積み上げられた本を一冊手に取る。
「本郷博士、今の俺は神吉暦です。階級は貴方に殺されたせいで大佐になりました」
「一文字」
言葉を無視して変わらず昔の名前で呼び続ける本郷に神吉は苦笑を漏らした。
「…はい、何でしょう?」
「貴様はまだこんな物に執心しているのか?」
「こんな物とは?」
「本だ」
言って本郷はパラパラと捲っていた本をゴミの様に捨てる。
「人間の知識など我々には必要のない物だ」
「いいえ、博士。俺には必要なものです。俺はずっと貴方と彼女がまともに議論できる事が羨ましく妬ましかった。たとえ人を超える力を手に入れたとしても俺はまだ馬鹿なままです」
「バカな。私は……貴様の力に嫉妬していた。何より彼女に頼られる貴様に……」
「あの人は誰も必要としていませんでしたよ」
「…そう、なのかもしれんな」
沈黙が漂う。そこから先に進む事をお互いが躊躇うように。しかし、それも長くは続かなかった。
「一文字大尉」
本郷が右手を差し出す。
「私と共に来い」
神吉は首を振って拒絶した。
「博士、俺はその手を取る事ができません」
「何故だ?人類の守護者を気取る訳でもあるまい」
「勿論。俺はガイアの味方です。貴方はガイアの力を人類の為だけに使おうとしている。ガイアの力の結晶たるアカシアの果実を人間に与える事は絶対に許されない。それは知恵の樹の実を食べる事を超えた罪だ。我々はこの星の自然の中で生きる1つの生命にすぎないのです。それを受け入れるべきだ」
「愚かな。原罪だと?貴様は神の奴隷に舞い戻るつもりか!善悪の知識もない白痴の猿でいろとでも言うのか!?」
差し伸べていた手を握りしめ本郷は糾弾する。
「では、禁忌を侵し続ける事が人間の正しいあり方だとでも?もういい加減、目を覚ますべきです」
「慎ましく生きて、潔く死ねと?」
「そう。それが自然なあり方です。死もまた生きる事の一部。貴方は人間を愛しすぎた」
「一文字!どうしてしまったんだ」
本郷は本の山を蹴倒して神吉の前まで進みバンっとデスクに両手をついて身を乗り出す。神吉は親友のその姿を冷ややかに見据えた。悲しそうに、しかしどこか懐かしそうに。
「かつて我々が何のために戦ったのか、何を目指していたのか忘れたのか?今の世界のあり方を見ろ!誰もが自分の責任を棚に上げて隣人を非難している。自国の歯車が狂った原因を外国人に擦り付けている。恐れから憎しみが生まれ続け世界中に武器を手にして引き金を引きたがっているトリガーハッピーが溢れている。あの地獄から100年も過ぎたと言うのに未だに武器を捨てられない」
「人間に太古から受け継がれてきた獣性です。原始人だった頃から人間は文明を進歩させることには成功しましたが、人間自身は大して進化できなかった証拠。社会と言う器から受け入れられない物が溢れだした時に戦争が起きる。なら、勝手に殺し合われて置けば良い。それも人間という種の持つサイクルなのでしょう」
「信じられん。まさか一文字、戦争を誰よりも忌避していた貴様からそんな言葉を聞く日が来るとは。血迷ったか」
両の拳を握りしめ本郷は後ずさる。
「貴様はただ彼女の命を奪ったアカシャの樹が憎いだけではないのか!彼女が復元した黄金の種族の遺産さえ破壊できれば他はどうなっても構わんのだろう」
「そうかもしれません。しかし、人類滅亡を回避するために従わない人間を間引き、ミュータントだけの世界にしてしまう事が正しいとは思えないのです」
静寂が満ちる。だが今度の沈黙は冷たく張りつめ敵意に満ちていた。今この時この瞬間、同じ物を目指し、語り合った2人は決定的に道を違えた。
本郷は重々しい音を立てて踵を返す。
「私はこの世界を蝕む劣等たる鉄の種族を鏖殺し、銀の種族に統治された英雄の種族のみ世界を築く。その為に先ずは我らアルゴノーツは貴様らを血祭りに上げ全世界に対する宣戦布告とする。貴様と私、どちらが勝つかでガイアの意思を問おうではないか。神吉暦、次会う時はこのアルゴノーツ首領テュポーンがその首を直々に刎ねてくれよう」
扉が閉ざされ照明が点灯した。しかし光が戻ったと言うのに神吉の表情は沈痛に歪んででいた。そのまましばらく微動だにせずいた彼は、
「…本郷」
とかつて友だった男の名を呟いた。
ある程度は予想出来た事ではあるが承認要求の影響は大きい。人に面白いと思って貰えない事がこれほど自分のモチベーションを下げるとは思ってもみなかった。私の小説が受けない事もあらかじめ分かっていた事だと言うのに…。