盾となった兄
桃子が沙耶に会った週の土曜日に駿太郎と桃子は、沙耶の兄で、尋子の彼氏である小島陽平に会いに行った。もちろんそこには光を同行させることにした。光の笑顔が陽平の苦しみを紛らわしてくれたらそれでいいという考えであった。小島家は、大学がある福岡市ではなく電車で行かなくてはならない大牟田市にあった。沙耶は駿太郎が通っている大学の附属高校に通い、兄の陽平も附属高校からそのまま上がったということであった。桃子は尋子とは仲がいいが、陽平と会うのは初めてのことである。
電車の中で光はずっと外を眺めていた。外で人が歩いているのを見ると、笑ったり、時には悲しい顔をしたりしていた。悲しい顔をした時、駿太郎は「大丈夫?」とたずねたが、光は「だいじょうぶ!」と言うだけであった。
桃子はずっと思いつめた顔をしていた。
「私、全体が見えずに一つの可能性ばかり考えてた。心理専門の学生としては致命的だ」
桃子はここ三日ずっと駿太郎にそのことだけを言っていた。
「まだ今から経験していけばいいんだから」
駿太郎はそれしか桃子にかけてあげる言葉は見つからなかった。
大牟田駅の改札口には、沙耶が待っていた。三人の姿を確認するとこちらに駆け寄ってきた。事前に桃子が駿太郎と光が同行することを伝えていたらしい。
「こんにちは、小島沙耶です」
「さや!」
光は笑顔ですぐに沙耶の名前を反復した。その時、沙耶は少し戸惑った様子だったが、その笑顔に引き込まれたのか、沙耶も笑顔になった。
「月島光て言うんだ」
駿太郎が光の紹介をすると、「月島光さん、よろしくです!」と沙耶は笑顔で答えた。
「ひかる!よろしくです!」と光が言うと、沙耶の笑顔は一層輝いて見えた。
「高井駿太郎!よろしく!」と駿太郎が流れに乗って自己紹介すると、「高井さんよろしくです!」と沙耶は笑顔で答えた。どんよりとした雰囲気の出会いになるかと思ったが、光のおかげで、楽しい出会いになった。
小島家は、駅から歩いてすぐの場所にあるということだった。歩く道中、今日は土曜日ということもあり、子どもがたくさん町を歩いていた。光は子どもを見ると常に笑顔になっていた。
小島家の前に着くと、駿太郎は表札の名前が小島ではなく、加東であるということに気づいた。沙耶が家のドアを開けて、「お兄ちゃん来たわよー!」と陽平のことを読んだ。家は少し薄暗い感じだったが、中から暗い顔の青年が出てきた。
「小島陽平です。虹山尋子と付き合ってます」と一言つぶやいた。
「さぁ!入ってください!」と沙耶は無理に明るくしようと努めていた。
家の中は、洋間に広いリビングがありいかにもいい暮らしをしてそうな家だった。駿太郎は表札のことが気になって仕方ないので、沙耶に尋ねた。
「ここは、母方のおばあちゃんの家です」と沙耶は答えた。
リビングにある大きなテーブルを前に、駿太郎ら三人は腰をかけた。その向かいに沙耶と陽平が座った。陽平は開口一番、大きな声でこう言った。
「すいません!尋子に暴力を振るっていたのは事実です」
突然の一言に駿太郎と桃子は、言葉を失った。
「ひろこにぼうりょくをふるっていたのはじじつ」と光は冷静な表情と口調で言った。
しばらくの沈黙の中、
「そんなことない・・・最初にやったのは、尋子お姉ちゃんよ!」と沙耶は、弱くだんだん激しくなる口調で口にした。
「さいしょはひろこ」と光は思いつめた表情で口にしていた。
「お二人の話に食い違いがあるので、何故妹さんが兄は暴力は一方的にしていないというのかについて説明します」
と駿太郎が言うとその場は静まり返った。光はその言葉を反復しなかった。
「陽平さんあなたは、父親の暴力から妹さんを守っていた・・・これは本当ですか?」
「本当です・・・」
駿太郎の問いに陽平が答えると、陽平はそのことについて話し始めた。
その話の内容は辛いものだった。陽平と沙耶の母親は沙耶が二歳の時に病気で他界。陽平と沙耶は父子家庭で育てられることになった。仕事を精一杯頑張る父親だったが、大泉構造内閣が立ち上がると、仕事の給料は下がり、父親の仕事は厳しさをました。派遣労働者に関する法律の改正だ。派遣労働者を派遣しやすくなったことで、父親の職場には、仕事に慣れてない派遣労働者で溢れかえった。指導する父親は残業続きでストレスが溜まっていった。そのストレスは子どもたちに向いた。しつけと言われ、虐待が始まったのだ。陽平は、沙耶に暴力がいかないように盾になり続けた。毎日の様に暴力は続いた。やがてその時住んでいたのが、アパートということもあり、近隣住民の通報で父親は子どもたちから引き離された。そして、母方の祖母の家で暮らすようになったということだった。
話が終わり、沈黙の後
「がんばったね・・・」と光が陽平に向かい言った。その時陽平の目には大量の涙が流れていた。光は陽平の話の間、陽平の言葉に反復したり、相槌をうったりしていた。
駿太郎たちが帰るとき、陽平は「ありがとうございました!少し楽になりました」と言った。
「すこしらくになった!」と光が笑顔で答えると、陽平も笑顔でうなずいた。
陽平は妹の盾になり続けた、沙耶にとってはヒーローだと駿太郎は考えた。しかし、ここで一つの可能性が思い浮かんだ。
「桃子・・・」
「何?」
「尋子さんと陽平さんが付き合ってたの昔から知ってて、実際に二人でいるときに会ってる人知らない」
駿太郎の質問に、「知ってるよ」と桃子は答えた。駿太郎が桃子にして欲しいことを伝えると、「わかった」とだけ桃子は答えた。
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