悲しみの少女(4)
駿太郎は病院の入り口のドアをそっと開けて、誰かいないのかと思い、中を見渡した。すると、受付をしているらしい男性がそこには居たので、駿太郎は話しかけてみることにした。
「あの…」
「あれ見覚えのない顔ですね。旅行先で熱でも出しましたか?」
受付の男性は、駿太郎のことを診察に訪れた患者と思っているらしい。
「いえ…違います。福岡の大学から来ました、高井駿太郎と申します。月島光さんの友達です」
駿太郎はこの町の人で、光の名前を知らない人はいないであろうと考えて、光の名前を自己紹介で使ってみることにした。すると、少し不振がっていた受付の男性の顔は、いきなり晴れ渡った笑顔になり、駿太郎に次の言葉を話した。
「なんだ!光ちゃんの福岡の友達ね!それだったらビップ待遇!」
そう言われた駿太郎は、医者である光の母親と兄の暇ができるまで待合室で待つことになった。病院の中は、都会の病院とは比べ物にならないくらい狭いものであったが、3階建てで、入院施設も完備されているようであるし、手術室もあり、病院としては申し分のないものであった。
受付の男性は、駿太郎に暖かいコーヒーを差し出すと、「今、二人とも町の中を歩いて診療しようけ待っとけ」というのであった。男性が話すことには、この町の病院はここしかないので、医者が自ら患者の自宅に赴いて、診察をするとのことであった。駿太郎は、昔ドラマなどで小島を舞台にした診療所の話などを見ていたが、実際にこのような病院に来るのは初めてであった。この病院も昔は診療所と呼ばれていたが、入院が長くできるようにと、ベッドの数を多くしたことで、今では病院になったという。
この病院に来て40分くらい経ったとき、一人の白衣を着た男性が病院に帰ってきた。その男性は駿太郎と目が合うなり、白目を大きくして、「患者さんかい?」と受付の男性に尋ねていた。受付の男性はそれを聴いて、「いえ、福岡の光ちゃんの友達です」と言った。白衣の男性は、駿太郎の方に駆け寄るといきなり輝いた笑顔で手を握り、こう言った。
「うちの妹が、いつもお世話になっております!」
駿太郎は、その男性のあまりの変わりように言葉が出なくなり、ただうなずくだけであった。
駿太郎は、場所を病院の奥の部屋へと案内されて、二杯目のコーヒーを飲みながら光の兄と向き合った。奥の部屋は、普通の家のリビングと変わらず、キッチンやクーラー、冷蔵庫にテレビなどが完備されていた。
「改めまして、月島光の兄、月島哲也と申します」
「僕は…高井駿太郎です」
それを聴いた哲也は笑顔になりうなずき、こう言った。
「由紀子から聞いてます。彼女は、君の先生なんですよね」
「はい!戸賀先生は僕の先生です」
「あいつも偉くなったものですね…」
この部屋には、ほのぼのとした空気が流れ始めていた。その時、不意に部屋のドアが開き、一人の白衣を着た女性が姿を現した。
「お母さん…、お帰り」
そこに立っていたのは、間違いなく月島光の母であった。
光の母であろうと思われる女性は、手荷物をリビングの床に置くと、駿太郎に頭を下げて自己紹介を始めた。
「月島光の母、月島都美子でございます。高井駿太郎さんですね…」
「はい…高井駿太郎です」
「娘がいつもお世話になっています」
そう言って、駿太郎の向かいに腰を掛けた都美子は、自分のコーヒーを注いで、ふぅーと一息ついていた。駿太郎には、この二人に話さなければならないことがあった。それは、月島光の今の状態と月島光の今後についてである。
「光さんは、先日倒れて、眠ってるだけだと医師から言われているのに、まだ目を覚ましません…」
二人は思いつめた顔つきになると、駿太郎の方をまっすぐ向いて、哲也が話し始めた。
「光は…、どうして貧血なんかになったのですか?私の妹は、低血圧でもありません」
駿太郎は、光のあってから一つ一つのことを思い出していた。
「光は…、カウンセリングができます。やろうとしてなくてもしてしまいます。たくさんの人が光によって救われました。最初に私が助けたいと思ってやりだしたことも、光から気づけばヒントを得てそれをやっていました」
「光は…、福岡に行っても変わらなかったのですね」
光の母は、少しほっとした笑顔になっていた。
「変わらなかった?」
「えぇ…。光は事故にあって以来、周りの人たちに行動などを合わせることは困難になりましたが、この病院に訪れる患者さんたちの心を、一人一人助けるようになりました」
「そうだったんですか」
駿太郎は、哲也の言葉に大きく首を縦に振った。
「あの子ね…、患者さんを見ていたり、人と話をする時は、本当にうれしそうにしてました。そして、人の気持ちに合わせて表情を変えて思いつめた顔をしたり、そうかと思えばまたパッと笑うので、本当に人がすきなのだなと」
都美子の言葉を聴いた駿太郎は、光が人を救うことができるようになったのは、12年前の事故以来ということが分かった。光はあの事故以来、脳に大きな障害が残り、“アスペルガー症候群”のような発達障害の兆候が見受けられたが、このような能力は身に着いた。自閉症などの子どもは、興味があることとなると、その分野の能力を開花させることがあるという。作曲家のモーツァルトや日本で言えば、戦国武将の織田信長もそうであったといわれているが、光は、人に興味があったから、人の気持ちを分かってやることができるようになったともいえるのであろうか。
「しかし、そのカウンセリングができる能力が、光を苦しめていたと僕は思います」
「どういうことでしょうか?」
二人は声をそろえて聴いてきた。
「彼女には、カウンセリングの基本となる、相手に共感することや相手の考えを無条件に肯定してやることもできます。でも…それを受け入れた自分の心の状態まで知ることはできません」
駿太郎は、以前からうすうすそれに気づき始めていた。一番近くにいた、そばにいた駿太郎がその傷を受け止めてあげればこのようなことにならずに済んだのかもしれないと考えていた。
「そばにいた、僕が…僕が…」
それから駿太郎は言葉が出なくなった。
「いえ…光の面倒見てくれて、ありがとうございました」
駿太郎は、その二人の言葉を聴いた時、少し救われた気分になった。
駿太郎はそれからその場で、お昼ご飯を食べることになった。お昼ご飯は、“光の母の味、都美子特性の焼き飯”で、とても湖沼の味が絶妙に効いたおいしいものであった。
駿太郎にはもう一つ聴きたいことがあった。それは自分が12年前にここに来たかということであり、もしそうだとしたら、重造の話から駿太郎はここに寝泊まりしていたということになるのだ。食事が少し落ち着き、駿太郎は大きく口を開いた。
「あの…僕は12年前ここに来ましたか?」
二人はそれを聴くと、はぁ~と大きく息を吐いて、二人とも目配せして、駿太郎の方を向いた。
「駿太郎くん…、思い出したの?」
都美子のその言葉を聴き、駿太郎はやっぱりなと心の中でつぶやいた。
「思い出せません。思い出してはいけない気がします。でも…」
「でも?」
「光との思い出がそこにあるのなら、思い出したいです!」
都美子はそれを聴くと、笑顔でうなずきながら、涙を流し始めた。
「ありがとう…光のことを好いてくれてるんだね…」
兄の言葉に、駿太郎は笑顔になって、答えた。
「はい!愛しています!」
哲也は駿太郎に近づくと、力強く駿太郎の体を抱きしめて、「ありがとう…」と涙ながらに言っていた。
「分かりました…あなたのここでのことすべて話します」
都美子は駿太郎のここでのことを話そうと、もう一度、駿太郎と向き合った。
「ちょっと待ってください!」
不意にその言葉が聞こえてきたので、その声の方向を見ると、戸塚美知子が立っていた。
「みっちゃん!どうした?」
美知子は息を整え、こう言った。
「そのことは、明日おじいちゃんがあなたに話します。あの家で待ってます」
「でもみっちゃん!」
哲也は少し困惑した顔をしていた。
「あなたも12年前、おじいちゃんが傷つけたクライエントの一人です。おじいちゃんに話させてください」
そう言って美知子は深々と頭を下げていた。
光はなぜ駿太郎のもとに来たのか?




