悲しみの少女(3)
駿太郎は、それからどうやって歩いてきたのか分からなかった。駿太郎が我に返ったころには、駿太郎自身の体は、今日泊まる予定である民宿にたどり着いていた。
あの悪夢で、ダンプカーにひかれそうになっていたのは光だということがうっすらと分かってきた。そして、それを実際に駿太郎が12年前目の前で目撃しているとなると、戸塚重造の話の中ででてきた、光と仲が良かった男の子は、高井駿太郎自身となるのである。
しかし駿太郎は、この町に来た記憶が一切ないことも確かであった。駿太郎はこの町を歩けば、やはりまだ人の目が気になると思うし、道にも迷って地図と人の案内なしでは目的地にはたどり着けないと思う。
しかし、実際に駿太郎は意識があまりない中で、この民宿にたどり着いているということも確かである。駿太郎は、あの悪夢が頭をよぎって、道の上にしゃがみ込んだ後、どのようにしてこの民宿にたどり着いたというのであろうか。もしかすると、無意識の中で人に民宿までの道を聴いていたのであろうか。それとも、12年前にこの町に来ていたときの記憶がよみがえり、その記憶が駿太郎の体をここまで導いたのであろうか。人は記憶を100パーセント忘れることなど不可能であるといわれており、思い出せない記憶は、意識化できない意識の奥底で眠っているだけと言われている。
駿太郎が民宿に入り、そこの玄関で立ち尽くしていると、中から若い女中さんが出てきて、「いらっしゃいませ。高井駿太郎さまでございますね」というのであった。この女性の方もまた色白で、その笑顔にはほのかな温かさを感じさせるものであった。
駿太郎はその女中さんに連れられて、宿泊する部屋までやってきた。民宿の中は、日本の伝統を感じさせる、和風な木造建築で、廊下の所々には水墨画の絵がいくつも飾られていた。
「丘の上から歩いてきましたね。重造先生に会ってたのですね」
不意に女中さんは、駿太郎に話しかけてきて、駿太郎はいきなりすぎたことで、言葉が出ずにいた。
「あっ…すみません。先ほど買い物に行ってる時に見かけたもので、見覚えがないので、ひょっとしたら本日のお客様かと思ったのですが…」
「そうなんですか」
駿太郎は、その話を聴くとやっぱりこの町を歩くときは若干のアウェー感を感じながら歩かないといけないのかなと感じた。
「学生の方ですか?」
「はい…、でも戸塚先生の教え子ではないです」
「あっ…この部屋です」
話をしているうちに、駿太郎が寝泊まりする部屋についてしまったみたいだ。駿太郎はその女中に案内されて、部屋の中に入った。その部屋も見事な和室で、部屋に入るとホンワカな畳の臭いが広がっていた。
「戸塚先生の教え子さんじゃないて事は、カウンセリング?」
女中さんはまだ話を続けているみたいであった。
「いえいえ…ちょっと福岡にいる私の先生に頼まれてことがありまして」
「福岡って、由紀子姉ちゃんですか?」
「はい…そうですが」
女中さんはそれを聴くと、パッと顔を輝かせて、「うわー」と言いながら、駿太郎の体をパンパンと何度もたたいていた。
「由紀子お姉ちゃんもこの町の出身なんですよ!」
やはりこの町で生まれると、この町のみんなに顔が知れ渡り、みんな仲がいい関係になるみたいであった。
駿太郎は光のことも聴いてみることにした。
「あの…月島光を知ってますか?」
女中さんはそれを聴くと、さらに顔を輝かせて、駿太郎に近づいて言った。
「光ちゃん!知ってるわよ!由紀子お姉ちゃんがいる大学に行くって言ってたから!あの子今どうしてるの?」
「僕のアパートの隣にいます」
「お世話になっています~」
女中さんはいきなり粛々とし始めた。
それから女中さんは、まだ時間があるからと言って、長々と光の話をし始めた。
「光ちゃんが、この町から出ていく日はすごかったんですよ。雪が降っているというのに、駅には人があふれかえるほど、街のみんなが集まって」
「みんなから、愛されてたのですね…」
「そうです。あんなに笑顔がステキな人は、この世のどこにもいませんから」
「僕もそう思います」
女中さんは、駿太郎と話をしながら、上を見上げて少ししみじみとしていた。
「今、光は入院しているんです」
駿太郎がそれを話すと、女中さんの笑顔が一瞬にして崩れた。
「どうしてですか?」
「突然、倒れて、まだ目が覚めないんです。光は、人の悲しみを自分の悲しみのように背負うことができます。それが、原因だと思います」
女中さんは、言葉を失って、涙を流し始めていた。
「ここにメッセージを吹き込んでください。光は、皆が大好きなんです」
駿太郎はそう言って、ICレコーダーを女中さんに差し出すと、小さくうなずいて、話し始めた。
光が倒れて5日後の朝、光は胃カメラの検査を受けた。付き添った桃子と戸賀が言われたことは、あまりに光への心配が膨らむものであった。
「かなり、胃の中に潰瘍ができています。これだけ荒れていたら、貧血も起こすでしょう。重大の病気もあるかもしれないので、今から繊維を調べます」
光の病室に戻った桃子は、涙をこらえながら光の手を握り続けた。光がなぜまだ目を覚まさないのかも分からないが、もっと心配なことは光が何か重大な病気になっていないかということであった。
「光ちゃん…。大丈夫だよ。駿ちゃんももうすぐしたら、光ちゃんの町のみんなの声拾って帰ってくるから」
桃子は言葉を絞り出して、光に話しかけていた。
駿太郎にも光の容態は知らされていた。午前11時に桃子からの電話が入ったのであるが、「光ちゃんの胃の中になんかあるかもしれないて」と桃子は泣きながら言っていた。
「まだ病気って決まったわけじゃないだろ」
駿太郎は、桃子を励ますことに努めていた。
駿太郎は、民宿を出ると、地図と女中さんから言われたことを頼りにして、西へと歩を進めた。海では、波が高いのであろうか、船が生きているかのように踊り、横の船同士で体当たりを繰り返していた。
駿太郎は人の目にもだいぶ慣れてきたみたいであったが、まだ人に話しかけることはできなかった。
歩き出して5分くらい経ったとき、ようやく白く大きな建物が見えた。この建物の入り口に書いてある文字を確認すると、『月島病院』と書かれてあった。
間違いなく、ここが月島光の実家である。
駿太郎、光の実家へ…




