悲しみの少女(2)
11月5日の午後5時過ぎ、駿太郎を乗せた電車は、線路沿いにすべてのもみじ色葉を落とし終えた、ソメイヨシノの木が立ち並ぶ山道へと入り、田んぼが続く田舎町の駅に停車した。
ここは、月島光が高校生まで過ごした、青森県の人口の少ないといわれる田舎町である。戸賀は、この町に来て、戸塚重造という老人に会うことで、光を救うヒントが得られるかもしれないと、駿太郎に話していた。
ここの11月初めは、夕方となると、気温が5度を下回り、駿太郎も電車を降りた途端に強烈な寒気を感じた。この町は、三月中旬でも寒気が入ってきたときには、気温は氷点下5度以下となり、かなりの降雪を記録するといわれている。
駿太郎が駅を降りると、熊手を片手に駅の掃除をしている駅員と思われる男と目が合った。その男は駿太郎を見るなり、鋭い眼光で、駿太郎の歩くスピードに合わせて、その眼を動かしていた。
「何処のもんだ?見覚えがない顔だな」
駿太郎は、その駅員の声なき声が耳の奥から聞こえてきたので、いつの間にか無意識のうちに早歩きになり、その場を立ち去って行った。
駿太郎は、この町は小さいからみんな知り合い程度の付き合いはあるのかな、と心の奥で考え込んでしまった。
駿太郎が目指す場所は、戸賀が描いた意外にうまい地図で示されている、この町の大きな丘の上にある、一軒家であった。駿太郎は、そこにたどり着けるか不安であったが、誰かに道を聴く勇気はなく、一人で一生懸命にただひたすら、北に歩いた。
この町を歩いていて駿太郎が感じたことは、桜の木が異常なほど多きことであるが、あまりその木々を見る余裕などなく、人目を避けるようにして歩いていた。
「あの…、高井駿太郎さんですよね?」
駿太郎が、歩いてから、数十分が経過した所で、一人の少女が声をかけてきた。その容姿は、見るからにまだ高校生といった感じで、目元や口元には、幼さが残されていた。
「はい…、高井駿太郎ですが、あなたは?」
「戸塚美知子と言います。戸塚重造の孫です」
桃子は、入院し、まだ目を覚まさない光の病室に、毎日のように訪れていた。桃子が病室にいる時間は、いつも光の病室にはだれもおらず、少し寂しさを感じさせる空間が刻々と広がっているように感じた。駿太郎は、光が高校生の頃まで過ごしていた光の実家に向け、今朝方出発したという。そして光には、明日大事な大事なものである、胃カメラによる検査が行われることになっている。
「大事な時にそばにいてあげないの?」
駿太郎が光のそばを離れるということについて、多少の憤りを覚えた桃子は、昨夜駿太郎に電話していた。しかし、その駿太郎の意志は電話の向こうからも伝わってくるくらい強いものであったことは確かだった。
「光を助けるために、助けるために…、行くしかないんだ!」
駿太郎は、光をたすけるために、光の実家に行くということを力強い口調で言っており、桃子はその言葉に対して、何も言うことができなくなった。
確かに、「ただ眠っているだけ」と医師は言っているが、4日も経つのに、まだ光が目を覚まさないというのは、ある意味においては、異常事態なのかもしれない。
桃子は、病室の光の顔を見ると、そっとその顔を撫でて、微笑みながら、光に声をかけた。
「温かいね…。生きてるよ。私はそばにいるから。駿ちゃんも頑張ってるから。私たち、親友じゃない…」
光は、変わらず目を閉じたまま何も言うことはなかった。
駿太郎は、その後、戸塚重造の孫、美知子に連れられて見ず知らずの街並みの中を歩いた。そして、やっとのことで戸塚重造の一軒家にたどり着いた。その家は、丘にしてはとても大きなもので、山みたいな場所の頂上にふてぶてしく建っていた。駿太郎はその丘を登り、家の玄関の前にたどり着くと、美知子に先導されてその家の中に入った。
「よく来たな…、駿太郎くん」
玄関を入ってすぐのところには、車いすに座っている、戸塚重造らしき人物がいた。
「戸塚重造さんですか?」
「そうだ…。私は戸塚重造だ。君の師、戸賀由紀子の師匠でいいのかな」
その老人は紛れもなく、駿太郎のゼミの先生である戸賀由紀子が言っていた、戸塚重造本人であった。
家の中は、とても豪華なもので、数多くの骨とう品や絵画で埋め尽くされており、リビングの天井には、大きなシャンデリアがぶら下がっていた。そしてリビングの窓から見る外の景色は見事なものであり、ソメイヨシノの木が多くみられた。
「春になると見事なものでしょうね」
「あぁ…それはもう。ここは私のクライエントのために作ったものだ」
重造の発言に、駿太郎は大きくうなずきながら、美知子が示した席に腰をおろした。
重造は席に着いた駿太郎に目をやると、車いすで移動し、一つの写真が入った写真たてを手に取った。そして、今度はその写真たてをもって駿太郎の近くに来ると、その写真をそっと駿太郎に差し出した。
「戸塚先生…、これは?」
そこには、見るからに可愛らしい一人の少女がまばゆいばかりの笑顔で映っていた。
「この少女は、私が12年前に殺した少女だ」
「えっ!?」
駿太郎はその一言に驚きを隠せなかったが、次の瞬間横からその言葉を否定する声が飛んできた。
「違う!光さんは生きてる!」
「光?」
駿太郎は美知子を見た後で、重造の方に視線を送った。
「光って…この子は…」
「月島光だ」
「話を聴かせてください」
重造は、駿太郎の言葉に大きくうなずいた。
「私は12年前、ある男の子と共に、この子のカウンセリングをしていた。月島光は、優しかった父親が突然亡くなったショックから、子どもながらにふさぎ込んでしまった。そしてともにカウンセリングをしていた男の子もまた、自分の小学校でいじめにあったショックからふさぎ込んでいたのだ。
カウンセリングは順調に進んでいたが、だからこそ気を付けなくてはいけない点があった。それは、精神状態が回復している時の自殺行為だった。君は知ってるか?」
不意に話の途中で、重造が駿太郎に質問をしてきた。
「知っています。授業で習いました」
重造はうなずいて話を続ける。
「私が学会で忙しかった日、その事件は起こった。回復の兆しが見えていた光ちゃんが急に家を飛び出した。その時、最初に気付いて探しに行ったのは、私がともにカウンセリングを行っていた男の子で、おそらく二人の間には、カウンセリング中に同じ屋根の下で暮らしていたから、小さな恋心が芽生えていたと思う。その男の子は直ぐに光ちゃんを見つけ出した」
「なのに…どうして?」
「衝動的だった。光ちゃんは、自殺を思いとどまり、帰っていたのだが、帰り道の車道で、父親がよく運転していたものに似ているダンプカーが近づいてきた」
「飛び込んだのですか?」
重造は涙を流しながらうなずき、横で聴いていた美知子もまた泣いていた。
「横にいた男の子が、手を引いたから正面衝突は避けれたが、光ちゃんは強く頭を打ち付け、障害がある程度残ってしまった。
光ちゃんが目覚めてから、光ちゃんには、アスペルガー症候群のような行動が目立つようになった」
駿太郎は、息をのんだ。駿太郎は光のことをアスペルガー障害ではないのかと疑っていたからである。
「アスペルガー障害。自閉症のように、自分の世界に閉じこもったり、人に合わせることができなくなるが、知能の低下は見られないところが自閉症と区別される」
重造は駿太郎の発言にうなずく。
「光ちゃんは、事故に会う前から、人に興味を持っていたから、事故後はその傾向が強まり、人の言ったことに反復したり、共感したりすることができるようになった」
「だから人を助けることができるのですか?」
「あっちでも変わってないのか?」
駿太郎の言葉に重造は目を輝かせたが、すぐに悲しそうな顔になった。
「でもそれが、彼女を傷つける新たな原因になった…」
駿太郎も重造も美知子も黙り込んでしまった。
「光を助けた男の子は今何をしていますか?」
駿太郎は、重造に尋ねた。
「駿太郎くん、君は9歳のころの夏から冬にかけて何をしてた」
「はい!えーと…」
駿太郎はそのまま考え込んでしまった。考えても考えてもその記憶は、駿太郎の闇の部分からは冷めてこなかった。
「まぁ…よいよい。その男の子は、事故の次の日から月島光のことも自分のことも忘れた。大体は、地元の学校でいじめにあい、そのショックをいやすため、農業一か月体験を兼ねて私のカウンセリングを受けに来ていたのだ。
しかし、自分のことも忘れてしまったから、元の場所に戻すことにしたのだ。そして、それから年が明けたころに、この町での記憶以外はすべて思い出したと聴いた」
「好きだった女の子のことを忘れてしまったのですか?」
「解離性健忘…。自分を守るために記憶がその妨げになる記憶を消すものだ」
その後駿太郎は、光へのメッセージを重造に吹き込んでもらった。光が生まれ育った町の人の声を聴いてもらうと、光は目を覚ますのではないかと考えていたからだ。
駿太郎は家のあった丘を下ってから、次は宿舎に向かって歩を進めていた。町で一番大きな県道出て、地図の指し示す通り道なりにひたすら宿舎を目指して歩いた。
その時だった、駿太郎の頭の中にまたあの何週間か前に断続的に見ていた悪夢の場面が頭をよぎった。駿太郎は耳の奥で聞こえる雑音の中ふさぎ込み大声をあげて苦しんだ。
「俺は9歳の時…何をしていた?」
ここれの声が口から出てきてしまう。
そして駿太郎は、その悪夢が何を示していたのかに気付いてしまった。
駿太郎は、その道にしゃがみこんで、光の名前をひたすら、ただひたすら人目をはばからずに叫んでいた。
精神状態が弱っている時人間は自殺する気力もありません。
一番危ないのは、回復しかけている時です。




