駿太郎、熱を出す。
翌日、駿太郎は午後から戸賀のもとでゼミがある予定であったので、それが始まる前に戸賀の研究室を訪ねた。
「頼みがあるそうだけど、私でよかったら頼まれるわよ」
こういう時、一番頼りになるのは、一番学生に対して厳しいことで知られる、戸賀由紀子准教授であったので、駿太郎は多くのことを戸賀に質問していた。戸賀の頼みとは、ミスコンで行われる英語スピーチの対策を、香織のたいしてやってほしいというものであった。戸賀は、アメリカやオーストラリア、イギリスなどの英語圏にも顔が広く知られており、英語の技術は申し分ないほどだ。
「英語のスピーチね…、私英語教えるのは苦手なのよね」
戸賀は困った顔をしているが、駿太郎の期待に応えたいと考えている熱意も、駿太郎にはうすうす伝わっていた。
「よろしくお願いします!」
駿太郎はここで一押しと、もう一度お願いをする。
「よし!あなたのためにやってあげましょう!」
「ありがとうございます!…って俺のため?」
「そうよ!あなたのため。その子を輝かせるために、自分が協力することを約束したのでしょ。そしたら人としてそれをあなたはやり遂げる義務があるわ」
「わかりました!頑張ります!」
こうして駿太郎は、戸賀の協力を取り付けることに成功した。
その後駿太郎は、戸賀からミスコンでの英語スピーチの傾向を聴いていた。戸賀の話によると、ミスコンの英語スピーチは、主に自分の自己紹介をするということであった。名前、生年月日、家族構成、趣味、その趣味から何が得られているのか、将来どんなことがしたいか、その夢をかなえるためにどのようにしていけばいいのかをすべて英語で話さなくてはならない。そして、英語スピーチだけは大学で必修の英語を教えている、外国人の先生方がするということであった。
その週の土曜日から本格的に、ミスコンに向けての準備が始まった。活動拠点は、駿太郎のアパートで、駿太郎と光の部屋を二つ使うことにした。今日は、駿太郎の部屋に集まった。
「由紀子ちゃんが英語を指導してくれるならそれは鬼に金棒だな」
少しお調子者の彰彦は、戸賀のことを“由紀子ちゃん”などと呼んでいるが、こないだそれを大学の廊下で連呼していて、戸賀にばったり出くわしたときは、かなりあたふたとしていた。
「だから私たちも頑張らないと」
浮かれ気分の彰彦を桃子が少し叱責する様相で言った。
「がんばらないと!」
光もそれに続く。
「でもやっぱり…、私みなさんが言うようにかわいいかどうかまだ自信がないんです」
ミスコンに出場する当人である香織の不安はまだ拭えない。
「やっぱり不安か?」
駿太郎もそれについては少し心配なところではある。
「はい…、やっぱり道を歩く時、人の目、意識しちゃって」
「それは俺だってそうだよ…」
「駿ちゃんの言う通りよ。私だって…人の目は少し気にするわよ」
「でも桃子さんは、いつもすっぴんに近い感じで外を歩いてるじゃないですか。顔も童顔で可愛いし」
「私童顔はコンプレックスなのよ」
「すみません…。やっぱりみなさんは優しいです。もっと早くに会いたかった」
香織は少しうつむき加減で話していた。光は心配そうに近づき、香織の顔を覗き込んで、肩に優しく触れた。
「あいたかった…」
「そう会いたかった」
光の反復に香織は、肩に置かれた光の手をさすりながら反応した。
ここで駿太郎は以前から少し気になっていたことを切り出してしまった。
「俺たちに早く会いたかったって、大学でなんかあったの?なんか言われたとか」
「ちょっと駿ちゃん!」
駿太郎のこの暴走に桃子は呆れた顔で、止めようとしたが、香織はまっすぐ顔を上げ、話し出した。
「私、二年前彼氏がいたんです」
「それは、可愛いからいるでしょう」
「彰彦!真面目な話だよ」
「桃ちゃん、ゴメン」
しかし、これが反対に良かったみたいで、香織は少しクスッと笑い話をつづけた。
「私があの雑誌に載ってから、「これ俺の彼女だ」って自慢してたんですが、私の当時の友達が彼のこと好きだったみたいで…私のことブスとか言い出して」
「直接?」
駿太郎はどのように言われたのかを気にした。
「違います。掲示板とか…」
「中高生のいじめかよ!」
彰彦はほとほとあきれ顔だ。
「その友達、私と学科も同じなのですが、高校からの友人も多くて、その子が言い出してから広まって、ついには学科全体で」
「言われたの?」
駿太郎は目を大きくしながら、香織に尋ねた。
「はい…」
しばらくの沈黙が続く。香織が話している時、うなずいたり、香織の言葉に反復したりして、カウンセリングの態勢に入っていた光も無言だったが、不意に沈黙の中、一言を発した。
「かわいい…」
光は香織の眼を見ながら、まっすぐ見ながら、そう言った。
「そうだ可愛い‼」
みんなもそれに続いてその言葉を発した。
香織が自分の容姿に自信がなくなった理由は、駿太郎が思った通り、ブスという言葉を誰かに言われたからだったが、桃子が言った、モデルの宿命ではなかった。しかし駿太郎たちは、たった一言が一人の人間を精神的に追い詰めてしまうほどの威力を持っていると改めて痛感した。
駿太郎はゆっくりと深呼吸をした後、香織に近づき、日本語でのスピーチについて話し始めた。
「日本語スピーチなんだけど、待機児童をテーマにしない?」
「待機児童?」
「そう。これで画期的なスピーチができる」
その後、駿太郎と香織は、部屋を駿太郎に部屋から、光の部屋に移動し、それについて話し合った。
その日の夜、駿太郎はまたあの悪夢にうなされていた。
「危ない…危ない…」
少女に近づいてくるダンプカー。
「引かれる引かれる‼」
「しゅんたろう!」
気づくと渡してある合鍵で入ってきたのだろうか、光の姿がそこにはあった。光は駿太郎の額に手をやる。
「あつい!」
駿太郎は40度に上る高熱を出していた。朝になって病院に行った駿太郎は医師の診断を受け、一応熱冷ましの薬だけもらって帰ることになった。
「おかしいな…こんなに熱があるのに、のども赤くないし、喘鳴も聞こえないよ。一応インフルの検査もしとくか」
医師はそう言ったが、インフルエンザも陰性で、原因不明の高熱ということになった。
「下がらなかったらまた来るように」と医師に言われるだけであった。
夜アパートに帰った駿太郎には、光がついていた。
「しゅんたろう…」
「大丈夫だ、光」
光は駿太郎の大丈夫の一言に反復はしなかった。
「ここにいてくれる…光」
「ここにいる!」
光の優しい瞳に引き込まれるように、駿太郎は眠りに落ちた。
夕方になって駿太郎の熱は下がっていた。起きるとそこには桃子がいて、おかゆを作ってくれていたので、ゆっくりと食べることにした。
「原因不明は心配だけど、下がってよかったわ」
桃子は安心してホッとした顔になっていた。
それから駿太郎は、毎晩のように見ていた、あの悪夢を見なくなった。
ミスコンは勝てるのか?




