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帰省

作者: 絽蕗

 川端康成の言うところの国境の長いトンネルも、いまや新幹線と言う名の文明の利器によって情緒も何もなく、一瞬で過ぎ去ってしまうただのある地点から別の地点へと移動する間の過程の一部になってしまった――そんなことを思いながら、青年はその件のトンネルを通過する新幹線の窓に映る車内の光景をただぼんやりと眺めていた。

 三人掛け自由席の通路側二席、僕の隣に座っている親子の声がいやに青年の耳に響き、彼の悪い機嫌をさらに悪くする。

 彼は帰省の途中だった。正月を控えたこの時期、もうすでに登場から四半世紀が経ってだいぶ古くなった車両の中は帰省やレジャーに向かう人たちでごった返し、年の瀬という事もあってかどこか浮わついた雰囲気で満たされていた。

 しかし、彼自身――容貌だけなら周囲の人たちにほとんど溶け込んでしまうだろう――はそんな雰囲気とは反対に、ただただ憂鬱な様子であった。実家に戻ると、認知症気味の母親に彼の他界した父親に間違えられ、方言丸出しの姉の世間話に付き合わされる――そんな苦行にも似た、帰省する毎に恒例となってしまった作業が彼を待ち受けているだけであったのだ。

 再び隣に座る子供が奇声をあげる。それを聞いて彼は顔をしかめ、首を横に振った。

 彼が視線を窓に戻そうとしたその瞬間、列車はトンネルを抜け、外の光が彼の目に入り込む。


 新幹線の車内、高架の上から見えるそこは確かに雪国であったが、その青年にとってはあまりにも見慣れた風景で、曇った天気の影響で鼠色に見えるそれはノルスタジーと言うよりも彼の憂鬱をよりいっそう強いものにするだけだった。

「おかーさん、ゆきー!」

 隣に座る小学校に上がるかどうかほどの男の子が、はしゃいだ様子で声をあげる。しかし、母親とおぼしき、いかにもキャリアウーマンといった雰囲気の女性はそんな子供に「そうね」とだけ答えると、彼女の手元のパソコンにすぐに視線を戻し、何を書いているのか、カタカタとパソコンのキーボードを叩くだけで、まるで外の景色も、彼女の息子であろう子供のことも、意識の範疇には無いようだった。

 新幹線はだんだんと速度を落とし、山中の駅に停車する。途端に車内の乗客のうちの数割が慌ただしく荷物を纏めてホームへと流れていった。

 しばらくして新幹線は再び出発し、ホームに溢れる色とりどりの人々――半数は旅行客であろう――を尻目に加速していく。

 列車はすぐに別のトンネルへと入り、窓には再び親子の姿と、車内の様子が映り込んだ。

 子供の手に握られた戦隊モノのおもちゃが、どういう仕組みか次々と形を変えていくのを、青年は意味もなく窓という鏡越しにぼんやりと見つめる。そんな子供の後ろ側に車内販売のワゴンが見えたところで彼はハッと現実に呼び戻され、落ち着かなくなってそのワゴンからコーヒーを買い求めた。

「おかーさん」

 そんな青年の様子とは無関係に、男の子が再び口を開く。

「おとーさんは?」

「先におばあちゃんの家についてるわよ」

 母親の答えは実にそっけなく、しかしそれでいて、何故か面倒くさがっているようには聞こえなかった。

 列車はトンネルを出たかと思うと、白銀と言うよりも灰色と言ったほうが似つかわしいような雪の世界を、ほんの少しの間だけ走り駅を通過し、またすぐにトンネルに入る。昔は大きく蛇行し、ループを描きながら山を昇り降りしていた線路も、新幹線は山をトンネルで貫きいとも簡単に、直線的にその山越えの区間を越えていく。

 男が座っているのとは反対側の窓の方が少し明るくなるも、それはまたすぐにもとの暗いトンネルの背景に戻る。東京へと向かう列車とのすれ違いだった。

 青年はコーヒーを少し口に含み、残りの入った容器を窓枠に置いた。コーヒーの苦味が、彼の口の中に広がっていく。

 男の子の手に握られたおもちゃは、いつのまにか飛行機の形から電車の形へと姿を変えていた。

 隣の親子も帰省か、などと思いながら、青年は再び窓に視線を戻した。

「おばーちゃん、まってるかな……でんしゃ、いっぽんおくれちゃったから……」

「お母さんが電話しといたから、平気よ」

 再び親子の間で会話が交わされる。

「でも……ちゃんとまっててくれるかな」

「待ってるわよ」

 すぐに答えた母親に対し、窓に映って見える男の子の顔が、「どうしてわかるの?」とでも言いたげな表情になる。

「だって……親っていうのは、そう言うものなのよ」

 女性はそう言って、子供の頭の上に手のひらを乗せた。

 訳がわからない、という風な顔でその子供は母親の顔を覗き込んだが、窓に映る彼女はただ微笑むだけで、何も答えなかった。

 コトリ。

 ふと子供の手に握られていたおもちゃが床に落ち、青年の方に転がってきた。青年はおもむろにそれを拾い、黙って男の子に渡してやった。

「……おじさん、ありがと」

 子供のそんな言葉で彼は、自分がもうそんな代名詞で呼ばれてもおかしくない年齢であることを嫌でも思い知らされる。

「おじさんも、きせー、するの?」

「まぁ、そうだね」

 この子が帰省の意味をわかっているのか甚だ怪しかったが、青年はまるで一応、とでも言う風に答えた。

 電車は再びトンネルを抜け、日本海に面した平野の中を走っていく。夏場は稲穂が青々と実る水田になるであろう平野一面は雪によって白く覆われ、それを等分するかのように張り巡らされた道路の上を、軽トラックが走っていた。

「おじさんも、きせー、たのしみ?」

 男の子が無邪気にもたずねてくる。青年にとってそれは少しうるさくはあったが、それでもただトンネルと見慣れた雪景色の連続である車窓よりは、退屈を紛らすのに丁度いいものでもあった。

「普通、かなぁ。ボクはどうなの?」

 まさか憂鬱だと答えるわけにもいかず、青年は誤魔化すように子供に話を振った。しかしそれでも男の子のとなりに座る彼の母親は気付かないのか、はたまた子供に興味がないのかパソコンの画面に目を落とし、キーを叩いていた。

「ぼく、きせー、たのしみ! だって、シンセキのおじちゃんとかおばちゃんが、おこづかい、たっっくさんもらえるんだもん!」

 男の子の言葉に、子供は全く単純だな、と素直に青年は思った。

「それにね!」

 男の子が続ける。

「きせーして、おばーちゃんのおうちにいくと、いつもおばーちゃんがあそんでくれるんだ!」

 青年が男の子と下らない話をしている間にも新幹線は駅を一つ通り過ぎ、平野の中央部をひた走っていた。

「……そうかぁ。おじさんはお年玉、貰えないからなぁ」

 青年はおどけて言うと、車窓に視線を戻した。

 ただひたすらに続く白い世界の中に、ポツリ、ポツリと建物の影が見える。青年はちらりと男の子の方を覗いて見たが、彼はもう既に「おじさん」の事は忘れたかのように、不思議な変形を繰り返すおもちゃに没頭していた。

 窓に視線を据えたまま、青年はふと考える。

 青年はあの母親から、姉からどう思われているのか。実家に戻っても不機嫌なまま、ただ数日のあいだ、年末年始、あるいはお盆を過ごしてまた帰っていく。しかしそれでも、記憶の中の家族は彼が家に帰るたびに、母は、姉は笑顔で青年を迎えてくれていた。

「……」

 青年は無言のまま窓枠に頬杖をつき、幼い頃に見飽きたはずの風景に意識を向けた。雪の白と雲の白の合間、水平線とも地平線ともわからないあたりの集落が窓の外を流れていく。そんな光景を見て、青年は思わずため息をついた。

 いつもは憂鬱しか感じないその風景が、いまの彼にはなぜか外気温とは裏腹に、暖かい、懐かしいものに感じられていた。理由は、彼にはよくわからない。ただ、それでも、その雪景色は確かに彼の懐かしい思い出――青年が東京に出る前の記憶――を呼び起こした。


「まもなく――」

 車内放送が、この新幹線の終点が近いことを知らせる。

 外の景色はだんだんと水田一色から家並みへと変わり、だいぶ街の様相を示してきていた。

 回りの乗客たちがそそくさと身支度をととのえ始める。青年も足元に置いてあった鞄を抱え、隣の女性もパソコンをしまい、大きなボストンバッグを荷棚から下ろした。

 列車はゆっくりとこの日本海に面した地方都市の中心へと向かっていく。しばらく低速で走り、いくつかの転轍機を越え、車内にコトコトというにふさわしい音と振動を伝えながら、その街の終着駅に入る。

 プラットホームには、疎らに折り返しの新幹線に乗るのであろう人影がみえる。

 ドアが開き、まるで潮が引くかのように乗客が降りていく。青年の隣に座っていた親子も、彼自身もそれに混ざってホームへと向かう。

 新幹線を降りた途端、雪国の冷たい空気が青年の頬に刺さった。しかし、それすらがいまの彼には懐かしく感じられた。ホームの上の人の流れは緩やかで、在来線に乗り継ぐ者、改札を出て市街に向かう者とが混ざりながら一定の方向へと流れていく。先程まで青年の目の前にいたはずの親子連れはすでに人混みに紛れ、どこかへと消え去っていた。

 彼もその人の流れに乗って、白く染まった冬の街へと向かう。改札を出て、しばらく歩いたところで彼はふと立ち止まり、誰かを探すように辺りを見回した。

「おかえり」

 そんな青年に、そのすぐ横からどうも訛りの抜けない標準語で女性の声がかけられた。青年はほんの少し驚いた様子で、声のした方へと顔を向けた。

 その声の主は、なんと言うこともない、彼を迎えに来た青年の姉だった。

「……ただいま」

「今日は機嫌、悪くないんだね」

 青年の言葉に、彼女は茶化すように返す。しかし、その姿はどこかやつれているようにすら見えた。

「まぁ、ね」

 頭を掻きながら青年は誤魔化し、彼の姉の後ろについて歩き出し、そのまま二人は駅の近くの駐車場へと足を進めていく。

 ふと青年は立ち止まり、空を見上げる。

「なぁ、姉さん……」

 そしておもむろに、青年が口を開く。

「……どうしたの?」

 声をかけられた彼女はそこで足を止め、青年のほうを振り返る。その口から発された言葉こそ疑問文だったが、彼女の視線は、確かに、青年の心の奥を見通したのかのように、優しいものだった。

 空はいつの間にか、この地方の冬にしては珍しくも晴れ間が覗いていた。

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