いちばん星
――――あれから、エティカは以前のエティカに戻った。
生活は変わらない。朝おきて、目隠しをして、家事を澄ませる。時々村によって、カリナエ婆さんと少し話をしたり、リゲルに見つかったときは同じようにいじめられる。それから家に戻って目隠しをとって、森へ向かう。
それでもエティカは俯いて、極力何も見ないようにした。大先生の態度は翌日からもなんの変化もなかったけれど、エティカはそれまでのまま、また元に戻るわけにも行かない。戻れなかった。彼と対話することすら恐ろしくて、必要最低限だけで済ませることが多くなった。初めのうちは煩がられるほど話しかけていたのに、げんきんなものだ。自分でも滑稽に思う。けれどあれから人が怖くなった。カリナエ婆さんと話す時でさえ当たり障りのないことばかりを上辺だけ流すようにして、長居をすることもなくなった。
人が怖い。どう見られているのか、知るのが怖い。自分の目さえ怖い。鏡も、水を張った桶を覗くことさえもうできない。
それでも約束だけは守らなくてはいけない。塔での雑事が終えたら帰宅して、もうひと月を切った豊穣祭で着る衣装の刺繍を縫い続ける。先日カリナエ婆さんに聞いたところ、豊穣祭は次の新月に行われることに決まったということだった。豊穣祭の日取りは、星を詠むことに長けた星術師がその日を決める習わしとなっている。あの日リゲルが森にいたのは、それを大先生に訪ねに行っていたからなのだ。つくづく自分はめぐり合わせも悪いのかと、エティカは自嘲した。
そうしてちくちくとひたすら縫い続けて、日が落ちる前に夕食の支度をして双子に食べさせる。明日の準備を済ませ双子を寝かしつけると、エティカは外に出てぼんやりと天の切れ目を探した。
毎日見つかるのもすごいけれど、そうそう直ぐにお目にかかるものでもない。雨の日なんかは中断しなければならないし、瓶の中身はふた月経って漸く半分貯まる有様。これでは三月経つまでに集まらないかもしれない。
そんな不安に駆られて、夜ふかしをすることが多くなった。可能な限り起きて、星を探し続ける。いつしかエティカの目の下にもくっきりと濃い隈が現れ、それとともに顔色も悪くなり、誰が見ても体調が悪いのではないかと心配してくるようになった。エティカは声をかけられる度大丈夫だと返して、誰の話も聞かずにただただ同じ一日を繰り返し続けた。
そんな中で、事情を知る大先生だけは、何を思ってかエティカにそういった言葉をかけてくることはなかった。むしろエティカのことなどどうだっていいのかもしれない。星屑が集まればそれでいいのかもしれない。そんなことを思うと、凍りかけた心もまだ性懲りもなくつきんと痛む。
逃げてはいけないと分かってはいるけれど、どうやって、立ち向かったらいいのかわからない。何をどうしたら、エティカは本当の自分を見つけられるのだろう。
毎日星を眺めながら、延々とそんなとりとめもないことを、考え続けた。
「え?」
『だーかーらー。全部やるから、おねえちゃんは寝ててっ』
豊穣祭も間近に控えた日、塔から帰ってきたエティカに双子が突然そんな提案をしてきた。あとは自分たちがやるから、おねえちゃんは寝ていて、と。
双子はエティカが夜ふかしをしてまで何かをしているのを気づいていたのだ。体調を崩しかけている姉を案じて、睡眠をすすめてくれた。今まで自分をおちょくるような言動ばかりしていた双子が、自分を気にかけてくれていた。そのことが嬉しくて、なんだか切なくて、エティカはその場で泣きそうになった。
けれどその言葉に甘えて今眠ったら、もしかしたら朝まで眠ってしまうかもしれない。そんな不安に渋ったエティカだったが、日暮れには起こすと双子が自信をもって言い切ったため、その好意に甘えることにした。
少しだけ。ほんの少しだけ――。
久々にまとまった時間眠れることに、エティカはほっとして寝台に身を沈めた。
ふと、エティカは目を開けた。視界は真っ暗だ。自分は目隠しをしたまま眠ってしまったのだろうかと瞼に手を当てると、そこには何もなかった。暗闇に慣れたエティカの目があたりを彷徨う。窓から漏れた月明かりがエティカを照らし、その影をかたどっていた。
「あっ」
エティカは急いで飛び起きた。寝巻きのまま部屋を飛び出し、一瞬逡巡すると双子の部屋にノックもなしに飛び込んだ。すやすやと寄り添い合って眠る彼らを目に止めた瞬間、エティカの中で張り詰めていた何かがぷっつりとそこで途絶えた。
「カストル! アルヘナ!」
「ん……」
「おねえちゃ……ん?」
寝ぼけながら起き上がる二人を見下ろし、エティカは今までに見たこともないような剣幕で寝ぼけ眼の彼らを怒鳴りつけた。
「どうして起こしてくれなかったのッ。約束したじゃないっ、日没には起こすって! どうして? 答えなさいよッ」
恐ろしいまでの剣幕で詰め寄る姉の異様な様子に、双子は目を真ん丸に見開いて戦いた。
「だって、あの……あんまり、きもちよさそうにねむっていたから、だからおこしたらおねえちゃんが、かわいそうかな、って」
カストルがやっとのことで途切れ途切れに答える。アルヘナの目には、姉への恐怖が浮かび始めていた。
それでもエティカの怒りは収まらない。それどころかその返答に、カッと頭に血が上ったようにエティカの赤い目が見開かれる。
「かわいそう? かわいそうって何よ! かわいそうなら起こしてよ! 誰のために私がこんな……ッ……もういい! あんたたちなんか知らないッ」
こんなことをしている場合ではなかった。今が何時かは知らないが、星屑を集めなければ。
エティカは自分の部屋に戻り空瓶だけを荒々しい手でひっつかみ、脇目もふらず家を飛び出した。森の近くの開けた場所まで走ると、瞬く間もないとばかりに空に目を走らせ、懸命に天の切れ目を探した。
カラン、と瓶が鳴る。それでもエティカは空から目を離さない。じっと見上げ続ける。
結局、空が白んで星が見えなくなるまで、エティカは星屑を集め続けた。
白み始めた空を背に、三分の二が光のつぶでいっぱいになった瓶を胸に抱えて、エティカはとぼとぼと家路を辿っていた。歩きながら、様々なことがあとからあとから際限なしにエティカの胸に去来する。
――――エティカは本当は、心のどこかであの双子のことを疎んでいたんじゃないだろうか。父がああなったのは自分の不注意でもあるけれど、あの双子が自分のいいつけを守らなかったことにも原因があると、責めていた。あんな風に怒鳴ってしまった今、それは紛れもなくエティカの本心だ。
それに、父のこと。自分の命と引き換えにして欲しい、なんて大先生に言ったくせに、その反面でエティカは得た視力をただ自分が楽しむことに殆ど費やしていた。確かに楽しかった。何もかもが素敵に見えた。けれど後々父と引き換えに結局はこの視力を失うことを思うと、惜しむ気持ちがないとは言い切れなかった。いっそこのままでと、何度思いかけただろう。そんなふうに思うたびに自分をごまかし偽り続けた。
自分なんてという言葉とは裏腹に、いつだって自分を惜しんでいる。優先させたがっている。エティカの本質は、どこまでも利己的なのだ。
大先生があれほどまでエティカを拒絶した意味がわかった。こんな自分勝手なエティカを見て、どれだけ気分が悪かっただろう。何度その醜さに不愉快になっただろう。
恥ずかしくて、惨めで、消えてしまいたかった。父に合わせる顔がない。やっぱりどう考えても自分に価値なんて見いだせない。どうしてエティカはこんな人間になってしまったのだろう。この外見は、まさしくエティカにふさわしい器だったのだ。
天の切れ目を見つけるたびに、エティカは何度も謝った。空に輝く星になった母に、こんな娘に育ってごめんなさい、そう謝り続けた。
そうして鬱々と考えているあいだに、家にたどり着いた。エティカが飛び出した時の状態で、扉が開いたままになっている。いくら人通りのない場所とは言え、何も起こらないとも限らない。鍵くらいかけていけばよかったと後悔しながらエティカは家に入る。
双子はどうしているだろうか。あんなふうに怒鳴ったエティカが怖かっただろう。自分を思ってくれた兄妹に理不尽な真似をしてしまったことに罪悪感を抱きながら、そろりと音を立てないように双子の部屋をのぞく。けれどどこを見ても彼らはいなかった。寝台を見てももぬけの殻。
エティカは急に心配になって自分の部屋を覗いたが、もちろん双子はいない。一体どこへ行ったのか。不安で胸が満たされそうになったとき、ふとそこに目をやった。鍵をかけていたはずの、父の部屋のドアがわずかに開いている。
まさかと思いドアを開けるとそこには――――横たわる父に縋り付くように眠る双子の姿があった。掛布もかけず、寝台の隅でしっかりとしがみついている。泣いていたのか、二人の目尻には乾いた涙の跡があった。
エティカは――――エティカはそれを見て、ようやく理解した。
双子は、知っていたのだ。エティカの隠していたこと。父がここに眠っていること。エティカが嘘をついていたこと。それでも何も言わず、何も聞かないでいてくれた。たった七歳の子供が! エティカを思い、何も聞かず、待っていてくれていた。エティカを信じていてくれた。
この部屋に入ることができたのなら、返事のない父親に不安を覚えないはずはなかった。エティカでさえ何度も父の傍らで泣いた。それなのにずっとそれを押し隠して、毎日エティカに笑顔を向けてくれていた。能天気で、やんちゃで、何も考えていなかったわけじゃない。エティカをずっと信じて、待っていてくれていた。何もかもを背負い込んで押し隠すエティカを責めず、そばに居てくれていた。
「ごめん……ごめんカストル……アルヘナ! ごめんね……っ」
エティカは、自分がいらない存在ではないのだと、ようやくわかった。赤い瞳からボロボロと涙をこぼし、父と双子を抱きしめて、何度も謝った。
ごめんなさい、父さん。ごめんね、カストル、アルヘナ。母さん、ごめんなさい。信じ続けることができなくて――――弱い娘で、ごめんなさい。
何度も謝りながら、抱きしめる腕に伝わる暖かさに、ずっとずっと泣き続けた。
その後、エティカは目を覚ました双子に全てを話した。謝るエティカに双子は飽きもせず大泣きして謝り返し、また三人で気が済むまで大泣きした。大泣きしたあとは三人で話し合って、エティカが今までこなしてきた家事を分担することになった。本当は双子はそうするべきだとずっと思っていたけれど、なんでも直ぐにそれらをこなしてしまうエティカの様子に、言い出しづらかったのだという。
エティカはエティカで生まれついての劣等感から、役立たずと思われないよう必死だったため、そんなことなど考えもしていなかった。思い起こしてみればエティカは強い劣等感に苛まれながらも、いつもなにか出来ることを探していた。そうでないと不安だったから。お前なんかいらないと家族にまで言われてしまったら耐えられないと、恐れていたから。
エティカはそんな自分について考えた。たくさん、たくさん、考え続けた。
双子の協力もあり、エティカの睡眠不足も解消され顔色もよくなってきた頃、エティカは大先生に頭を下げて謝罪した。
この間はどうも失礼しました。ただそれだけを言ったエティカに、けれど大先生もちらりとエティカに視線をよこしただけで、「別に」とそっけなく答えた。そうしてくるりと向き直ると、どこか見透かすような、けれど少しだけ悪戯っぽい眼差しで、エティカに訪ねた。
「見つかったかい」
エティカはにっこり笑って首を横に振った。
「いいえ。でも、もう二度と、間違えるようなこともないと思います」
その微笑みは今までのどれとも違う、とても穏やかで満ち足りたものだった。大先生は「そうかい」と返して、またそっけなく机に向き直る。
こうして豊穣祭までの僅かな時間、エティカは今までで一番穏やかな日々を、この塔で過ごし続けた。
豊穣祭当日。慣例なら女の子は七歳から村の祭りで伝統の刺繍を施した衣装を身につけることができる。エティカは双子に祭りへ行くように勧めたが、双子は家でも祭りはできると言い張りエティカとともに家に残った。
瓶の中身はもうほとんど埋まって、けれど振ってみるとまだ空きがあるのかかしゃかしゃと音がする。あともう少し。エティカはこの瓶の中身が貯まるまで、今夜眠らず星空を眺め続けると決めていた。
そうしてささやかなご馳走を用意して、エティカとアルヘナはお揃いの模様の入った衣装を纏う。日が落ちてから家の外に出て兄妹三人で輪になり、豊穣祭の真似事をするかのように小さな松明を囲ってくるくると踊った。あこがれの豊穣祭にはいけなかったけれど、これはこれでとても素敵な夜だ。
三人並んで庭の草の上に寝転びながら星空を見上げて、あれはお父さんの星、あれはお母さんの星、あれはカストルとアルヘナ、あれはエティカと、見つけた星を指差しては勝手に名づけて笑いあった。
涙が出るくらい、エティカの心は胸いっぱいに満たされた。
「ラグナ」
リゲルの声がした。まさかと思いながら身を起こすと、柵の向こうでリゲルが松明を持ちながら、エティカたちを見下ろしていた。いや、リゲルだけじゃない。後ろに村人たちが大勢詰め寄っている。どこか緊張感の滲むその雰囲気は、どうみても祭りをするような様子には見えない。
エティカは双子を立たせて自分の後ろへかばうように隠すと、少し俯きながらもリゲルを見つめ返した。
「リゲル……こんな夜に、何か用」
「ああちょっとな。お前に聞きたいことがあって」
「聞きたいことって……?」
いつもの揶揄めいた声音じゃない。いっそ真摯なその様子に、エティカはいつもとは違う不安を抱いた。
「そいつはお前が一番わかっているんじゃないのか? あの男だよ。塔の男。お前、あいつと何を企んでる」
「たくらむ?」
見当違いの指摘にエティカが困惑しているあいだに、リゲルが柵を超えて庭に入ってきた。エティカは双子をかばったまま後ろに下がるが、背後には家の壁が立ちはだかり、簡単に挟み撃ちにされてしまった。リゲルは我が意を得たとばかりに強引に距離を詰めてくる。
「しらばっくれんじゃねえよ。毎日毎日こそこそ何をしてるかと思えば森に向かって、かと思えば夜には何人もの村人が真夜中に空を見上げるお前を見かけたって言ってる。怪しすぎんだよお前ら。今日何かあるんじゃないのか。例えばその、小瓶とか、な」
「ダメッ」
リゲルはエティカと自身のちょうど中間にあったその小瓶に迷いなく手を伸ばした。この小瓶を後生大事に抱えているエティカを、リゲル自身が何度も垣間見ていたからだ。
エティカもそれを黙って見ている訳もなくほぼ同時に手を伸ばし、リゲルと奪い合いになる。力ではかなわない。リゲルが片手なのをいいことにエティカは瓶を抱き込むようにして、決して離すまいとしがみついた。
「やっぱりこれに何かあるんだな、よこせっ。一体何を企んでる! みんなに全部白状しろラグナッ」
「いや! 離すのはそっちのほうよ、これはわたしの大切なものなのっ。あなたなんかが気軽に触っていいものじゃない! 手を離してッ」
いつもリゲルに怯えていたはずのエティカが必死に抵抗している。そのあまりの様子にこれは何かあると踏んだのか、何人かが続くように庭に侵入し、エティカを瓶から引き剥がそうと数人がかりで引っ張り始める。エティカも絶対に離すまいと全身の力を込めるが、引き剥がされるのも時間の問題だった。
「いや! イヤよ、触らないで、離してったら! それを返して、あっちへ行って!」
たまらず叫ぶエティカに双子も見ていられなくなったのか、エティカを引っ張る大人たちに近寄り向こう脛やかかとを思いっきり蹴って攻撃する。
「おねえちゃんにさわるな!」
「おねえちゃんをいじめるなっ」
子供の攻撃とは言え、慣れているのか的確に急所を狙っているので大人でもひとたまりもない。エティカへの拘束がわずかに緩んだ。
「いってぇこのクソガキどもッ」
「やめてッやめてよ! 弟と妹に手を出さないで! 指一本でも触れたらあんたたちぜったいに許さないから! 離して、離して、ったらッ」
瓶を奪われそうになる。もう捕まってもいられない。もうだめだと思った瞬間、エティカは実力行使に出た。
――――つまり、瓶を掴む憎たらしいリゲルの腕に噛み付いた。渾身の力を込めて。
「いってえぇぇええッ!」
リゲルの絶叫がその場に響き渡り、それに驚いたのかエティカへの拘束が完全に緩む。
その隙を逃すエティカではなかった。ほとんどリゲルの腕にさらわれていた小瓶を奪い取り緩んだ拘束から逃れると、鼻息を荒くしている双子を連れて村人たちから距離をとった。そして松明をつかみ脅すように前面へと突き出しながら、渾身の力を込めて睨みつけた。
「この小瓶は絶対に渡さない。大先生はなにも企んでなんかいないし、私もそう。それでもこれを奪おうって言うなら、私の邪魔をするって言うなら、みんな許さない。ぜったいに許さない。私は……」
目隠しをしていないエティカの瞳が、松明の炎に照らされる。火影を映して紅く萌ゆる白髪をなびかせながら、らんらんと輝く赤い瞳を、恐れおののく村人に向けエティカは躊躇うことなく叫んだ。
「私はエティカだ! ラグナじゃない。不吉なんかじゃない。私はエティカ! 誇りある星の民だッ。もう誰にも私をラグナなんて、呼ばせないんだから!」
こみ上げる涙も振りちぎって、エティカは懇親の想いを込めて言い放つ。リゲルを含めた村人たちはエティカの剣幕に圧倒され、もう一歩もそれ以上進めなくなった。
――――ただ一人を除いて。
「おやおやみなさんお揃いで。豊穣祭はこんなちんけな家で催されることになったのかね。狭そうだな。全員は入らないだろうよ」
場違いな声に、全員が注目した。エティカの傍らにはいつのまにか渦中の男、塔の星術師サダルスゥド本人が、エティカが慕う大先生その人が悠々とした様子で立っていた。
あ、今はおじいさんになっている。混乱しすぎてエティカも見当違いなことを考えていると、大先生はついとエティカを見下ろしながら、どうにもにたにたといやらしい笑みを浮かべて片眉を上げる。
「お嬢さん、今のは気持ちのいい啖呵だったね。私はきらいじゃあないよ、ああいうの」
「なんだテメェいきなり出てきてわけのわからねぇことをッ。相変わらず人をおちょくった態度しやがって!」
「やかましいねぇ。少しは黙っていられないのかい、この坊やは。いつだってがなりたてりゃいいと思ってんだ。品性下劣もいいところだよ全く。親の顔が見てみたいね」
もちろんここにリゲルの親はいた。リゲルの親は村長だから、ああまで尊大でいられるのだ。村長自身はそれほど悪い人ではないのだけれど、とエティカは思った。
おそらく大先生もそれをわかった上であえて言っているのだろうと解るから、口には出さないけれど。
そのまま大先生はリゲルを無視してエティカに向き直り、先程までの笑みをかき消して、今までにないほど真剣な眼差しでじっと彼女を見下ろした。
「さてお嬢さん。ここからが運命の別れ時だ。君の価値を見出すときは近いかもしれない。さぁどうする。父親を救うか。或いは自身の目を永久のものにするか。もしくはこの場に集まった忌々しい村人どもをひとり残らず本物の星にしてしまうか」
ぴたりと、人差し指を立てる。ゆっくりと上を見上げて、全員に聴かせるように囁いた。
「天の切れ目は信じる者の願いを叶える。さぁ、エティカ――いちばん星――。願ってご覧。遥かなる天の切れ目に――……」
エティカは、空を見上げた。満天の星空。ひとり、またひとりとつられるように顔を上げる。暫しの沈黙のあと、誰かが「あ」と声を上げた。エティカの胸の中の小瓶もかしゃ、と小さくなる。
エティカは天の切れ目を見つけた。一つじゃない。二つ、三つ、次から次へと降ってくる。瓶の中はひっきりなしにカシャカシャ鳴り続ける。数え切れないほどの流れ星が、人々の頭上をひっきりなしに通過していく。
――流星群だ。誰かがポツリと呟いた。何年、何十年、何百年に一度見られるという流星群が今この時、エティカの頭上に降り注いでいるのだ。
次第にカシャカシャとなる小瓶の音が途切れ途切れになり、ぴたりと止む。それに気づいて見下ろしたエティカの胸元で、小瓶が眩すぎて直視できないほどの光を発して輝いていた。
「大先生……ッ」
「願いたまえ、エティカ。叶うことだけを信じて。自分の願いを信じて。ただ一つの、君が望んだ答えを」
エティカは、瓶を抱きしめて一心に念じた。父のこと。自分のこと。母のこと。弟と妹のこと。村のこと。……大先生のこと。
エティカの願いはひとつだけ。
叶えてください、神様。
応えてください。お母さん。
今度はきっと、信じ続けるから――。
「――――……あっ」
輝きが最高潮に達した時、瓶が弾け、光がそこかしこに散開した。エティカの手元には星屑どころか割れた瓶のかけらすら残っていない。驚いて見上げると、大先生はもうすでにそこにはいなかった。
失敗したのだろうか。一抹の不安がエティカを覆う。何もない手のひらを見つめて呆然としているエティカの耳に、小さな音が届いた。立て付けの悪い玄関の戸がギィとなるいつもの音。家には誰もいないはず。
――――お父さんを、除いては。
「エティカ……? それに村の皆さんも……一体何が起きたんだ。なんでみんな集まってる」
父親の素っ頓狂な声に、エティカははじかれたように顔を上げた。戸口のところに父親が立っている。寝巻きのままで、寝癖を頭に残したまま。まるでついさっきまでなんの反応もなく横たわっていた人形のようだったお父さんが、エティカに向かって歩いているのだ。
エティカの胸に、じわじわと何かが湧いてきて、たまらずエティカは立ち上がって一目散に駆けた。
「お父さんっ、……おとうさぁん!」
『おとーさぁん!』
エティカが父親に抱きつき、ついで双子も飛びついた。よろめいて四人ですっ転び、訳も分からず泣いて笑った。
いつものように、ありふれた、星降る夜のできごとだった。
それからエティカは、何事もなくいつもの日常へと戻った。
あの夜のことに関して村人に問い詰められはしたけれど、突然眠りだした父の相談に乗ってもらっていたとだけ言った。リゲルなどは納得していないようにも見えたが、エティカがそれ以上言うつもりがないことを察すると、拍子抜けするくらいあっさりと去っていった。
そしてあの夜一晩ぐっすり眠ったあと、エティカの視力も以前のように光に弱い状態へと戻ってしまっていた。双子などは残念がったが、エティカはこれでいいのだとも思っている。自分は生まれた時からこうだった。だったらこれからもそのままのエティカでいるのが一番いいことなのだ。今回のことでそれが身に染みてよくわかった。
それに双子は相変わらずやんちゃだけどエティカの手伝いをよくするようになったり、時には素直に甘えるようにもなった。それもエティカにとって嬉しい変化の一つだ。
父も、これからどうなるかはわからないけれど、とりあえず持ち直したようなので、仕事をしすぎないようにと、無理をしないことをよく言い含めた。父は妙に強気になったエティカに当初は困惑していたが、いろいろと言われるのもそれはそれで嬉しそうでもあった。
そして、もう一つ。
エティカの生活に増えた日常。今エティカは、日傘をさし、杖を駆使して、あの頃通っていた道を思い出しながら森の中を歩いていた。
向うは星術師の住まう塔。塔の主はきっと迷惑そうな顔をしてエティカを追い出そうとするだろう。そうしたらエティカもこう答えてやるのだ。
ここにわたしの探していたものがあるのです、と――――。