7話:放火事件への誘い
頭の上で鳴る何かで正吾は目を覚ました。快闊なその言葉で。
「あんたいつまで寝てんの? 朝ごはん過ぎてるんだけど。日曜と土曜、あと休みの日だけは皆で食べる決まりって言わなかったっけ?」
目を覚ました正吾は人の姿に目線を上へと向けた。ほっそりとした小顔に少しばかりきつい眼。その眼つきはきれ長で大きいせいかもしれない。これで微笑んだり笑ったりすれば可愛いのに、と、思ったところで正吾は飛び上がり叫んだ。壁に背中をぶつけつつ。
「お前なんでここにいんだよ! いってぇ……」
寝起き草々に背中と頭を激しくぶつけた正吾に少女は呆れつつも答える。
「今言ったけど、朝食が終わったって言ったの。休みの日だけは皆で集まって食べる。それがここの決まりなの。朝いなければ具合が悪いとかわかるって意味でも集まるって決まってるんだから。ここに来たばかりってのも分かるけどそれぐらい守って。食べた後ひきこもろうが出てくって言おうが勝手だから」
「あ、ああ…………わかった」
まくしたてるかの如く喋った少女に押されて正吾は頷いた。しかし、本音は起きた途端に訳も分からずいきなり怒られた。それが淡々と喋った少女に対しての正吾の感想だった。
叱られたからか目が覚めたからか正吾はある事に気付いた。自分が昨日ひばり児童養護施設に入ったことに。様々な理由を持った子供達がいる場所で、一時的な保護が主だったりもしていると、聞かされた場所だ。
正午が自分のいる場所を改めて確認すると、少女になぜ男子部屋にいるのかを理由を尋ねた。
「で、なんでここにいるんだ?」
聞かれた未来は不思議そうな顔をした。壁に馬鹿みたいに頭を打って可笑しくなったのか、自分の居る場所が分かっていない。そう思い未来は溜息を吐いた。
「昨日自分でここに来たんでしょ?」
「俺じゃなくって…………!」
未来の間違いを言った後に正吾は別の事に気付いた。昨日の夜に起きた幻のような、しかし疑いようのない出来事。放火魔だと自ら認めた少年と、可笑しなことを言った運乃という少女に遭遇したことを思い出した。
それを知らず未来は答える。
「私はあんたを起こしに行けって逸見に言われたから来たの」
「そうじゃなくってあいつは!?」
「あいつって誰?」
「運乃とか言う奴と放火の犯人だよ!」
正吾の言った言葉に未来は訝しげな表情を見せた。
「犯人、見つけたの……」
真剣な眼差しを向ける少女に正吾は頷いた。再び家に火を放とうとした少年の姿も、ナイフを突きつけられた時のことも鮮明に思い出す。妙な違和感と恐怖も一緒に蘇る。
「あ、ああ。あいつと、」
あったことを喋ろうとした正吾に未来は無表情で呟いた。
「そう、よかったじゃない。犯人が見つかって。で、どうするの?」
少女の聞いている意味が解らず正吾は聞き返す。
「どうするって?」
「警察に連絡するんでしょ。それとも自分で捕まえるつもり?」
「…………」
自分で捕まえる。初めはそう思っていたのだ。しかし、昨日の状況でその思いは一気に砕けていた。少年はナイフを持ち歩いている。そんな少年を捕まえられかどうかなど分からない上に、殺すことを厭わない少年だ。危険を冒してまで向かって行けるような相手じゃない。しかも、自分の手で捕まえてどうするかも分からない。警察に突き出して満足するかと言われたら…………複雑な思いに正吾は答えるのを躊躇った。
黙り込んだ正吾に未来はしっかりとした口調で言った。
「私は出かける。そいつに興味があるから」
「! 待てよ。あいつナイフ持ってるんだぞ」
「だから何?」
真顔で聞き返してきた少女に正吾は目を見開いた。
「何ってお前」
「ここまで殺人に放火その上傷害だったら、終身刑か死刑でしょ? 出て来れない」
「犯人中学生なんだよ」
残念とでも言うかのように未来の表情が暗くなる。
「そう……じゃあ尚更捕まえるべきじゃない。そいつ見たんだったら特徴教えて」
「何する気だよ」
「捕まえるの。そいつ」
言い切った少女に正吾は衝撃を受けた。ナイフを持っていて、連続放火魔の凶悪犯の少年を、なぜそこまでして少女が捕まえたがっているのか解らなかった。
俺も捕まえたい、という気持ちはあるのだ。しかし、昨日のような状況にまた遭うと思うと正吾は頷くことができなかった。
「なんでそんな危ないことするんだよ」
「ここにいる皆が安心できるようにしたいから、ただそれだけ。それでそいつの特徴は?」「何しでかすかわかんない奴なんだぞ?」
聞いた正吾に未来は顔をしかめた。
「ナイフ向けられただけで死ぬわけ? 銃じゃないんでしょ。そいつが殺すって言ったら、逆にそのナイフ向けて殺すって言ってやるわ。他人殺しといて自分の命を取られるのが怖いなんて、ただの腑抜けじゃない」
気丈にふるまっているのではなく、これが少女の普通なんだと正吾は知らされた。怖がっている様子は口からも表情にも現れていない。それどころか対抗心の方が強く出ている。家族を殺された自分よりも恨んでいるかのように。
項垂れるような姿勢で固まった少年に未来は鼻息を漏らした。
「特徴言ってくれないなら自分で探す。あんたは警察に通報だけしといて。それと逸見とか他の職員には秘密にしといてね」
反応を示さない少年を置いて未来はドアの方へと向かった。何があったかは知らないが協力的ではない。しかし、それも仕方ないかと未来は思った。
家族を失っていきなり施設に送られた。そのうえ心だって癒えてもいないはずなのに対面した犯人を捜す手伝い。普通だったらしない。そう思いながら部屋を出ようとした未来を声が止めた。
「俺も行く」
未来が振り返ると、俯いて拳を作っている正吾がいた。
「あいつには理由聞き損ねたし、運乃ってやつも探したい。何よりあいつに、あいつを……」
そう言いながらベッドから降りた正吾に未来は笑みを作った。
「じゃあ早く着替えて。玄関で待ってるから」
「わかった」
頷き活き活きとした顔をした正吾に、未来はさっきから一番に思っていた疑問を投げた。
「後でいいんだけど、運乃って誰? 友達?」