19話:出来すぎた偶然の連続・避行
落ち着いていて温かさを覚えるオレンジ色の丸い電球。カントリー風な壁や真四角だったり丸かったりしているテーブル。丁度いいと感じる広さの店内。そして外が見えるガラス張りの店。のんびりとくつろげる空間。棚橋市一宮野四丁目オフィス街の一角にある喫茶店、パーズ。そこに入った瞬間、正吾は不思議な所だと思った。
新しくできたような、新鮮さを感じる雰囲気が店にはあったのだ。なのにレトロとは違う、懐かしさにも似た感覚が体を走り、正吾は入口で思わず立ち止まってしまった。前にも来たことがあるような懐かしさ。けれど、今さっき入ったばかりの店。記憶がふっと蘇るような驚きとそこにいつまでも浸っていたくなるような親しみが店にはあったのだった。
その懐かしさのようなものが、温かみを覚える色をした電球があるせいなのか、店内で流れている今風の音楽と周りの壁とのギャップのせいなのか。何に心を引き寄せられたのかは分からなかったが、正吾は入って席に着くまでの間で随分とこの店を気に入っていた。
店内は、入るとまずレジやカウンターが出迎え、左にテーブルやイスなどが置かれているフロアがあった。入口から右は洋風の壁で花畑の画が飾られている。そうして店の主要たるフロアに入ると、左側には一面ガラス張りの壁、右側は客席やキッチンなどがあった。
そんな店内を窓側の席で見渡して、正吾は人が多いんだなと感じた。全部で十数席ある中のほとんどが埋まっている。店の前にはマックもあるが、こちらの方も変わらないくらいに人が多い。人気の店なんだな、と正吾は思った。そしてその客層は若い人から老人まで様々だ。しかし、どちらかというと正吾よりも上で、20代を超えてはいるが歳だとまではいかない若い客層が多かった。
パーズのような不思議な雰囲気とギャップを感じる客層の店に入った事がなかった正吾は、店の雰囲気を不思議に思いながら目の前の少女に言った。
「それで、他に何かある?」
「ふぅん……」
溜息にも似た、感心するような声を漏らした少女が、頬杖をついてガラスの外へと顔を向けた。顔を別の方に向けた少女に正吾は居心地の悪さを感じた。
棚橋市一宮野の駅に向かおうと電車に乗っていた時、突然少女が運乃という子を知っているかと聞いてきたのだ。知っていると頷き答えた正吾を待っていたのは、目の前で考え深そうに外を見ている少女、未来からの運乃についての質問だった。
運乃。それについてまずどういう人間なのかを聞かれ、正吾は率直に不気味な言動をする少女だと答えた。それに対する未来の返答は、具体的に短く言って、だった。しかし正吾にとって運乃は全く不明の存在、上手く言えないのが現状だった。
正吾にとって運乃は、突如現れて運命を信じるか信じないかのようなことを言って、次には神がかり的な事を起こした奇妙な少女だ。瞬間移動をしてみせたり、少女が何か言ってもこちらは何も言い返す事ができなかったり、挙句の果てにはビルから落とされて殺されそうにもなった。一言でいえば会いたくもない人物で、雰囲気からしてもとても嫌な奴だとしか正吾は思っていなかった。そんな嫌悪する少女の事を話されて、知り合いの少女には顔を外に向けられる。正吾はそれが会話に詰まったようで、何かないかとテーブルに置かれたコーヒーが入っているカップの中に、言葉を探した。
戸惑う少年の目の前で、窓の外を見ている未来は、二車線の車道の脇にある歩道を歩く人々や周りの風景を眺めつつ、ガラスに反射して見える少年とテーブルを見ていた。
窓の外にある駅から少し外れた道の車の通行量は多くもなく少なくもない。車に対して人通りの多い歩道は、クリスマスのイルミネーションで飾り付けの済まされた木々や、コートを纏った会社員や冬服を着た同年代の女の子から老人までがいて、冬一色に染まっていた。冬晴れの青空もその一つだろう。パーズも店内のカウンター席やそれぞれのテーブルに小さいサンタの人形が置いてある。今年から可愛らしいサンタの人形を増やした事を未来は大分前から気付いていた。出しているメニューも毎年恒例の物やクリスマスにちなんだ物が多い。今年もクリスマスがやってきたのだと未来は改めて感じた。
そうして外と店内の賑やかな雰囲気を見ながら、未来はクリスマスなのに似つかわしくも相対もしてない話をしているなと密かに苦笑した。
頬杖を突き顔の向きも変えず、ガラスに映るテーブルに目を落とす。テーブルには適当に頼んだ少年のコーヒーと自分が頼んだミルクティー。それといつも頼むパンケーキが二皿置かれている。ミルクティーはこの店オリジナルの甘さが控えめの物で、一口含んだ時の甘さと香り、喉を通った時のスッキリとした後味が好きで未来は気に入っていた。甘ったるさが残る物は嫌いなのだ。
どうしようか、そう思いながら窓ガラスに映る少年に悲哀めいた溜息を吐く。少年は話すための言葉が見つからないらしい。しかし、それも当然だった。言葉に詰まるのが分かって話をして、他に何か運乃という少女について何か言わないかを未来は待っていたのだ。遠くに見える信号が変わる。少年の口からは何も出てこない。
黙るのを止めて、不気味な少女の事を考えながら未来は口を開いた。顔は窓の外を向いたままにする。
「実はね、そいつに会ったの」
その言葉に正吾ははっとして顔を上げた。なぜ未来が運乃の事を聞いていたのかが、正吾にはようやく分かった。目の前にいる少女は会っていたのだ。あの謎の言葉を放つ少女に。驚いて数秒言葉を失うも、正吾は聞いた。
「いつ……」
「さっき」
「は?」
「あなたと、あんたとここに来る前で、電車を待ってた時」
窓の外を見たまま愛想のない口調で答えた未来に、正吾は出会った人物が何を言ったのか尋ねる。自分の時と同じなら、運命がどうのこうのと聞いていたはずだった。
「そいつ、何か言ったのか?」
「予知能力がある事とこの出会いが運命だって言ってた」
同じだ、正吾はそう思った。目の前にいる少女が出会った運乃は、自分と同じ人物だと正吾は確信した。
「ねぇ、アレって人なの?」
「え?」
「運乃って人間なの?」
「そうだろ? それ以外に何があるんだ」
「…………それならいいけど。だとしたら、あいつは何、超能力者? 時間が動かせるとかそういうことができるわけでしょ?」
「人の運命、人生を作れるんだろ。よく分からないけど」
「人生を作る…………神様気取りってわけ?」
「そんなの俺が知るわけないだろ……あんなの」
正吾の言葉を聞いて未来は黙った。
「ねぇ、アレ……」
未来の驚く声に、正吾は顔を上げて外へと顔を向けた。
詰まることも、空いているわけでもない道路。まっすぐな道の一辺を冷たい空気の中歩いている人々。マックや牛飯、その他の飲食店やビルが並んでいるなんでもない町の光景がそこにはあった。その光景の中に驚いた少女が見ている軌跡を正吾は追った。顔の向きはまっすぐ。目の前にある黄色と赤が目立つマックに向けられている。マックは至って変わっていない。驚く部分を探すのが難しいくらいだった。しかし、見ているのはまっすぐだが、斜め上に顔が傾いてる。正吾もそれに合わせて顔を斜め上に向け、反対側にあるマックの二階に目を凝らした。そうして正吾も驚いて言葉を失った。
窓側のカウンターのような席にいる人物が手を振っている。それを正吾がよく見ると女の子っぽいことがわかった。誰かまでは特定できない。しかし、手を振るしぐさに正吾は今話していた少女の顔と名前が浮かんだ。
それを明確にするかのように未来がその方向を向いたまま立ち上がった。
「正吾ついて来て」
「あ、ああ」
マックにいる人物と、目の前の人物に急に呼ばれて戸惑いつつも返事をして、正吾も立ち上がった。未来が上着を羽織りながら正吾に勘定札を手渡した。たじろぐ少年に向かって未来が払っといてと言って足早に出て行く。未来が店員に正吾を指差して了解を得て、カラカラとなるベルのついたドアから出て行った。払えと言われ戸惑った正吾も、勢いよく出て行った未来の後を追う。急いでレジで二人分を支払うと正吾はドアを開けた。一瞬の冷たさが、体を店の中に押し戻そうとするのを押しのけて、正吾は外に出た。
正吾が外に出ると、ガードレールの前で未来が車の流れを注意深く見ていた。どうするかと正吾が声を掛けると、
「今だったら行けるから向こうまで渡るけど、文句ないでしょ?」
と言って、途切れた車の流れを見て、未来はガードレールを飛び越えてマックに向かって走り出した。あっという間の出来事に正吾もいいのだろうかと思いつつその後を追う。両車線共車が来ていない絶好のタイミングで二人が対岸まで走り、まるで無性にお腹が空いて食べたくなったかのような二人みたく、マックの店内へと入った。昼前でまだ空いている店内。店員のいらっしゃいませが響くも、その一声を無視して未来は左にある上階への階段へと向かった。
「上に用があるだけなんで」
未来が通る声でそう言いながら、さっさと上階に上がる。正吾も未来の態度に申し訳なさそうにレジカウンター内の店員に会釈しつつ、上階に向かった。
上階に上がった直後、未来は走っていた足を止めた。階段を上がりながら、止まった未来を目にした正吾は、どうしたのかと尋ねた。しかし、答えずに奥へ進む未来に正吾は一段飛ばしで二階に上がった。階段を上がって左は、絵画の飾られた淡い赤い色の壁。行き止まり。右にあるフロアへと二人が進む。
二階に入ってすぐはレストランのようなフロアで、敷居や四人掛けの椅子やテーブルがあり、一番奥にガラス張りのカウンターがあった。二人が通路を通り、数人いる客が座っているテーブルや他のテーブルには目もくれず、大きな窓にもなっているカウンター部分へと向かった。そこへ向かいながら二人はなんでという思いでいっぱいだった。なんでここに少女がいるのか。なんで自分たちを見て手を振ったのか。そして、未来はその存在について確認したかった。
二人がカウンターの一部、誰もいないのに食べかけのハンバーガーや飲み物が置かれたトレイがある場所の前に立った。トレイには半分ほど食べられているハンバーガー。全て食べられているアップルパイ。蓋に差してありストローが薄く紫色になっている飲み物。さっきまで誰かが食事でもしていたかのように、それらがトレイの中に載っていた。いや、この位置この場所にさっきまで二人の探している少女が居たのは間違いがなかった。その証拠に口を拭いたりする紙製のナプキンに、バイバイと手を振っている絵がボールペンで描かれていた。それらを見ながら二人は言った。
「ここにいたんだよね」
「そう、だろ」
正吾が絵の描かれたナプキンを手に取った。直後、未来が驚きの声を上げて窓の外を指差した。店の下、さっきの喫茶店パーズの窓際の席。自分たちがさっきまで座っていた場所に、少女が何かを飲んでくつろいでいるのが見えたのだ。少女の姿に未来はからかわれているのを悟り、その怒りを言葉にした。
「あいつ、私達の席にどうやって」
「瞬間移動か」
「そんな馬鹿みたいなことあるわけないでしょ」
隣で馬鹿みたいな事を言った少年にそう言って、未来は再び外に向かって走り始めた。正吾が異様な目で見ている周りを気にしつつ、未来の後を追い走る。冷やかしだろうかと首を傾げる店員の視線を後ろに浴びつつ、二人が堂々と外に出た。が、目の前の喫茶店にいた少女はいなくなっていた。二人が左右を見るも、知らない通行人ばかりで少女らしき人影はいない。再び行方をくらませた少女に未来は舌打ちした。
「あんな短時間で私達と合わずに移動できるわけがない」
左右を見る未来に正吾が言葉を返す。
「いや、さっきも言ったけど一瞬で移動できるんだって」
屋上で瞬間移動を見せて、氷を持ってきた少女を思い出しながら正吾は言った。それに対して未来は、電車に轢かれたのに生きていた少女を思い出して、瞬間移動もしかねないと納得した。その言動や行動自体を疑う余地は山ほどあるが。
未来は最良の選択を考え、少年に向かって強気になって言った。
「消えたわけじゃないなら追える」
「どうやって?」
姿を消してしまった少女に対して、瞬間移動をする少女に対して、やけに自信ありげな未来の言葉の根源が何なのかと正吾は首を傾げた。
「いいからついてきて」
そう言って未来は右へと足を向けた。その後ろを訳のわからないまま正吾はついて行く。
そんな遠ざかる二人を見送るように、二階のカウンター席に食べかけで残っていたハンバーガーを載せたトレイが消えた。ガラスに手を振った絵の掛かれナプキンが張り付けられて。