18話:一宮野へ
正吾は横幅の広い階段を駆け足で上った。弾む息に合わせるように足を上げ、上りきった階段の最後に、転ばないようしっかりと足を着けた。走ってきたために上がっている息を整える。ぜぇはぁぜぇはぁ。荒い息を飲みこんで正吾は棚宮駅のホームをさっと見渡した。二路線あるホームのうち正吾が今居るのは一宮野へ行くための1・2番線ホーム。反対側にある別の路線は一宮野には止まらない私鉄の1・2番線ホームだ。人が多くよく使われるのは正吾がいる方の路線だった。
朝のラッシュが終わり、静けさを取り戻したかのようなホームに目を通して、正吾は目の前にある背中合わせのベンチに座っている少女へと近づいて行った。
「ごめん、待たせた?」
少女が振り向く。正吾は近づきながら遅く着ただろうかと思った。ホームの時計をチラッと見れば十時十分だ。電車は十二分発だけど、到着は十一分ぐらい。一分程停車してから発車するのだ。少し遅いか、丁度いいくらいかと時計を見て正吾は思った。それが証拠に電車の到着するアナウンスとホームの向こうから電車が来ていたのだ。
問いかけた正吾に対して少女、未来は首を横に振った。
「ううん、時間通り。意外と正確ね」
「まぁね。走ってこなかったら多分遅れてた」
息を整えながら言った正吾に、未来がふっと声を潜めて笑った。言われなくても、どうにか押さえてきたのが分かる寝癖や肩で息をしている姿から、寝坊したのは間違いないと未来は思ったのだ。何より、未来は出かける前に、正吾がしっかりと寝ていたのを、施設にいるユウくんから聞いていた。
二人の前に、流れてきたが氷が止められるみたく、電車が速度を緩めて入ってきた。
「寝起きからマラソン、お疲れ様」
未来が立ち上がりながら言葉を返すと、正吾は苦笑しながらどうもと言った。
二人の前に電車が到着して止まる。時間通り十時十二分発の各駅停車。もちろん事故など無い。滞りなく運転している。
電車の扉が開き、人が数人吐き出されると、二人は乗った。未来が乗った扉の反対側、真正面で固く閉じられた扉に進むと、正吾もそれに続いた。
正吾は扉に移動しつつ辺りを見回した。乗った車両はかなり空いているのか扉やイスにもほとんど人がいない。鞄を抱えて眠っているサラリーマン風の若い男。化粧が濃くて二人だけでも騒がしい程に賑わっているおばちゃん達。座っているのが落ち着かないらしい女の子と男の子を連れたお母さん。付き合っているようにも見える男女二人や他数名。パッと見ただけでも人が少ないのが分かる程にしか乗っていなかった。唯一おばちゃん二人がちょっとうるさい程度の声を出しているだけで、静かで落ち着いている車内に正吾はなぜかほっとした。
閉まっている扉に寄りかかる未来に、車内の光景を見て正吾は言った。
「意外と空いてるんだな」
イスの近く、上にある網棚の支柱みたいになっている棒に掴まっている正吾の言葉に、未来はふっと笑った。
「当然。皆は会社や学校でしょ。遊びに出かけてるのなんてそんなにいないんじゃない」
「まぁ、そうだけど……」
正吾は少しばかり俯いた。少女は正論とも言えるが返しにくい言葉をよく言ってくる。煽てたり褒めたりしても、無視するか、そう、的な言葉しか返してこないのだ。そしてぶっきらぼうで、怒っているかのような口調が、余計に返事をしにくい事がこの数日で正吾には分かった。いや、未来と一日居ると誰でも近寄りがたいと分かるような性格をしていた。言うなれば、未来は非常にとっつきにくい性格をしているのだ。
正吾に若干の嫌悪感を持たれている未来は、顔を下に向けたその少年にだけ聞こえるように言った。
「人の目なんて気にすることない。制服着てても着てなくても、私達がどこ行こうと他人にとっては勝手なんだから」
発車ベルの音が鳴り終わると、ガシャンと扉が音を立てて閉まった。再び揺れて動き出した電車に未来はよろめいて立ち直す。しっかりと立った少女を正吾は不安げな顔で見た。
人の目を気にすることなんてない。どこに行こうと勝手なんだから。そう言った少女はどこか寂しそうに、青空から浴びる光で輝いている町並みを眺めている。何かを考えているような、過去の思い出に浸るような表情と細めた目で。そして、着ているオリーブのような色をしたファー付きのダウンジャケットと外を眺めている少女の姿が、正吾にはどこか哀愁のような物を感じたさせた。
「心配したり、気にしたりするのは私達を知ってる人ぐらい。だから、何も気にせず普通にしていればいいの」
「普通に……」
ポツリと言いつつも正吾は戸惑った。朝から学校をサボって普通。学校を丸二日休んだ後ですっぽかして、電車に乗って出かけるのが普通。一ヶ月か二ヶ月も休んでいるのが普通。少女の言う“普通”が正吾には別世界のように感じた。
普通に、と言って黙った正吾に未来は続ける。
「そ、普通に。私達は暇を持て余してて、学校以外で何か楽しいことがないかと外に飛び出した二人。悪いことするわけでも、何かするわけでもない。ただ、遊びに出かけてるだけって、そんな風に考えて過ごしてればいいのよ。人目を気にするのも考え事もいいけど、今目の前にある事を楽しまないと損よ」
そう言って柔らかな笑みを浮かべた未来に、正吾は言葉を失った。だが、少しだけ笑みが零れる。それを未来は横目で窺い、再び流れていく外へと視線を向けた。
正吾は少女の言った事に不思議と魅かれた。意味も理由もなく学校をサボって出かける。それは正吾にとって悪いことをしているような、しかし、新鮮で面白いと思うような物だったのだ。正吾は前にも何度か学校を出た事はある。でもそれは、ちゃんとした用事で早退だ。おじいちゃんやおばあちゃんが倒れた時だったり、怪我をした自分の通院などそんな物だった。友達と遊びに出かける事もあったが指で数える程。それに、一日のどこかで必ず一度は登校していた。行くつもりも行く気もなく、遊びに出かけるのが目的で学校に行かなかったのは初めてだった。
行かないと決めた証としてか、制服も着ずジーパンにダウンジャケットという身軽な格好。登校する二人には到底見えないだろうが、しかし、その見た目は変えられなかった。見る人によってはパッと見で中高生にも見える。正吾はそれが気になっていた。その上、サボっている初めての相手が同級生の女の子だ。正吾はデートでもないのになぜか緊張した。
そんな正吾の緊張が伝わったのか未来が窓の外を見ながら言った。
「言っとくけどデートじゃないから、期待しないで」
その言葉に正吾は慌てて答えた。
「分かってる」
「ならいいけど」
ニコリと笑いながら未来は正吾をチラリと見た。笑っている目で圧を掛けられたような気がして正吾は目線を逸らした。やっぱり優しい顔なのに目力が強すぎると正吾は感じた。
それから少しして、未来はある事が気にかかり、突然正吾に聞いた。
「ねぇ、運乃って奴の事知ってるって言ってたでしょ?」
「え……ああ」
突飛な質問に正吾は一瞬、返事も忘れて固まった。夜の住宅街。廃ビルの屋上。その二か所で出会った、手品や魔法のような物を使う不気味な少女、運乃。出会いも起きた事象も運命だと言っていた少女を正吾は思い出した。
「知ってるけど、そいつがどうしたんだ?」
頷いた正吾に、未来はさっきの事を思い出しながら、目だけを少年へと移した。気味の悪いことを言った少女。一分前の自分を消した。自分の行っている店の事や飲んでいる物を当てた少女を思い出して、未来は少年に頷いた。
「じゃあ丁度いいかな。そいつの事聞かせて」
ニヤリと笑って言った未来の言葉が、正吾の心を揺らした。