17話:運命と未来の遭遇
忙しいや騒々しいを絵に描いたような、朝の通勤ラッシュが過ぎた駅のホームは、熱が冷めたかのように人が疎らになってきていた。さっきまでの忙しかった風景が猫を被ったように静かにしている。いや、こちらが本当の顔なのかもしれない。と、そんな事を思いながら、ホームに置かれている表面だけが木製を象っている長椅子のベンチに、未来は座った。この棚宮駅は二階建てて、一階部分に改札や地上へ続く道があり、二階がホームになっている。駅には二路線が走っていて、ホームは二つ、線路は四つあった。
駅のホーム部分にしかかかっていない屋根から下がっている、文字盤が緑色の蛍光色でできている時計を未来は見た。時刻は十時八分。次の電車が来るまではしばらく時間が空いている。少し早いくらいかとホームの時計を見て未来は感じた。待ち合わせの時はいつも早く来てしまう。そのためか、待ち合わせるとまだ誰もいないということが未来には多かった。
今日は十二月二十二日。二、三日後のクリスマスと一年の終わりで町は忙しさの真っ只中。クリスマスや限定イルミネーション公開中と書かれた華やかな広告。夜な夜な点く飾りつけが施された町。元旦初売りの文字も時々見られる。毎年訪れる歳の暮れの忙しさと平日の今日で皆がばたばたしているのが町に出るだけでも分かった。
年末で皆忙しいんだ、と未来が思いながら、腹部に手を当てる。朝起きた時からずっと痛いのだ。イライラもしている。生理痛ではない。たまに起こるただの頭痛と腹痛だと未来は思っていた。そんな時に出かけるのは好きではなかったが、騒がしい施設にいるよりもマシだと思って、未来は無理やり出てきた。何より約束もしていたからだ。
まだだろうかと、待っているといつの間にか横に同い年ぐらいの少女がひっそりと座っていた。音も立てず反対側のホームを見つめている黒髪の少女を未来はじっと見回した。少女は狐色のような色のブレザーと、淡い赤と緑のチェック柄のスカートの制服を着ている。制服から見ると棚橋高校の者ではないと言うことが未来には分かった。人相も小顔で柔らかい優しい目。体型も美形で悪い印象は与えていない。むしろ、男だったら仲良くしたいぐらいの少女だと未来は直感で思いつつ、変な奴だなとも思っていた。制服を着ていながら、荷物は何もなし。学生カバンやリュックが見当たらないのだ。
変な印象を受けある事を気に掛けつつも、思い過ごしだろうと未来は少女から気を逸らした。
「あなたどこ行くの?」
聞かれて未来は横を向いた。変だなと感じた少女が仄かに笑みを浮かべて未来を見ていた。可愛らしいその小顔に、はにかんでいる口が似合っている。世間話のつもりだろうかと未来はそっぽを向いて答えた。
「別に。友達、っていうよりも知り合いと町に出るだけだけど」
「いつものパーズでオリジナルのミルクティー飲んで一息っていう感じ?」
少女の言葉に未来は驚いて再度横へと首を捻った。笑みを浮かべている少女が、いつも行っている店の名前を知っている。そこで注文する物も自分の行動も。
好感を持つ笑みが、一瞬で変わった。不気味な笑みとしか思えない少女に未来は聞いた。
「あなたどこかで見てたの? それとも私を尾けてた?」
少女がふっと笑った。
「変な事言わないで。私もあの店によく行くの。だから」
「嘘」
「なぜ?」
尋ねる少女に未来は迷った風に答えた。
「あなた匂いがしないの。あの店独特の“匂い”が。私が間違えるはずがない。あなたどこで私のことを見たの?」
可笑しいことを言った未来に対してか、少女がまた笑いを堪えるように言った。
「変な事言う人ね。何、匂いって?」
「あんたに言う必要ない。つけてくるんだったら警察に連れてくけど」
「警察なんてギリギリまで動かないの知ってるでしょ? 例えば私があなたをつけていって特別に何かしないと警察は動かない。違った?」
未来はぐっと口をつぐんだ。確かにそうなのだ。ストーカーや尾行は事後でしか警察は本格的に動いてくれない。事前では確実な証拠がないために動かないのだ。犯人が言い逃れしやすく、一番身近な恐怖。それを知っているとなると、警察関係者か“そういう事”に詳しい人間だと未来は考えた。そして自分の目の前で、尾けていることを吐露したとなると、やっぱりストーカーか何かだと予想をつけて未来は言った。
「…………あんた、気持ち悪い」
「未来って酷い」
その言葉に未来は総毛立つのが分かった。
「私名前言ってないんだけど」
表情を変えない少女に気味悪さを感じつつ未来は続ける。
「あんたストーカーの素質あるけど、秘密守り通す素質ない」
「ふふ、でも驚かないの。名前知ってること?」
「ストーカーが人の名前を知ってるのも当然じゃない? それを知らないと言って罪の軽減を図るのも犯罪者の特徴でしょ? もう一度外に出るために。それが、」
「わぁ警察みたい。これって尋問?」
まるでふざけているみたいに尋ねてきた少女に、未来はしかめっ面を向けた。笑みを浮かべている辺りが状況を分かっていないのか、分かっていて聞いてるのか分からない、人をおちょくっているような態度に見えたのだ。
未来が圧をかけるような声と口調で聞く。
「あんた誰?」
「運乃」
真面目な顔と声で答えた少女に未来が続けて聞く。
「で、どこの学校? 制服から棚橋じゃないってのはわかるけど地元の人間じゃないでしょ?」
「あらら、バレちゃった」
「芝居はいいから、どこ?」
未来が噛みつくように鋭く尋ねると、少女が首を傾げた。
「さぁ? 私学校行ってないから。この服借りてきただけだし。どこのだろこれ?」
自分の洋服を触り、胸元にある二本線に挟まれた木がモチーフの校章などを少女が弄る。校章を指ではじく少女。どこの学校の服かも本当に分かっていない様子の少女に、未来は声をさらにきつくしていった。
「鳥島中のでしょ? 校章がそうだし。こないだの放火犯の所の」
「へぇ、知ってるんだぁ。本当に警察みたいだね。それとも探偵なの?」
知ってるんだぁ。その言葉に未来は少女が分かっていてやっているのだと悟った。最初から分かっていて、少女は相手を逆撫でするようなことを言っている。その事に気が付いて未来は根本的に聞きたい事を言った。
「……ふざけてるならそれでいいけど、あんた何者なの?」
未来の言葉に少女、運乃は顔色を変えた。運乃はこの少女にはからかうような言葉は通用しないんだなと感じたのだ。運乃が冷やかすようなニッとした笑みを浮かべる。
「ねぇ、私と次の電車貸切で話さない?」
「嫌」
「なんで?」
「私があんたを嫌いだから。その他に意味があると思う?」
「ないと思うけど、貸切は疑わないの?」
未来は運乃の言葉に頷きそうになった。電車の貸切はできると言えばできるのだ。しかし、未来は少女の全てを疑っている。怪しげな少女が何者なのかと離れることができれば、電車の貸切ができるかできないかはどうでもよかった。
「したければしていいけど、私その電車に乗るつもりはないから。それに嫌いな奴が乗ってる電車に乗るわけないでしょ?」
「ふふ、はっきりしてる。言いたいこと言えてスゴイね未来は。私楽しい」
「よかった。私はつまらないけど」
常にニコニコと笑っている少女に、未来はどこかに行って欲しい気持ちで言った。少女と話していても何者かは分かりそうにもない。その上、自分の話にならないようにあえて誤魔化している。それでは埒が明かない。どう話せばそうならないかを未来は必至で考える。
その横で運乃はクスリと笑った。必死で自分の事を聞こうとする少女。この子とだったら遊んでもいいかなと運乃は思い、それを言葉にした。
「ねぇ、運命って信じる?」
突飛な質問に未来は顔を横に向けて、少女をまじまじと見つめた。なぜ突然運命を信じるか信じないかの話になるのか。未来にはまったく分からなかった。
「信じるって言ったら何かあるの?」
「ない」
「じゃあ聞かないで」
そっぽを向いた少女に、運乃は今のはまずかったかもしれないと思った。ない、は言い方としてダメだ。ないよ、だったと反省する。
「でも、この出会いは運命かも」
「だとしたら、その運命を私は恨むわ。出会いたくなかったから」
未来が話すのも嫌だと言わんばかりの口調で答えると、運乃は溜息を吐いた。
「ねぇ、その運命どこから変える?」
「は?」
可笑しなことを平然とした態度で言った少女に、未来は首を傾げた。運命って変えられると思う、ならまだ話は分かった。だが、少女が言ったのは変えるだった。変えられるはずもない運命を、少女は変えると言ったのだ。まるで変えることができるかのように。
「ねぇ未来」
摩訶不思議な事を言った少女に呼びかけられて、未来は自分がぼうっと考えていた事に気が付いた。あくまで変人の前にいるのだ。気が抜けない状況なのだと未来は自分に言い聞かせ、少女から再度気を逸らせようとした。
電車が到着するというアナウンスがホームに響く。
「出会いたくない運命のどこから変えよっか。あ、そうだ。出会わないように、私が死のうか?」
死のうかと言った少女に未来はふっと笑った。掌が固まって、グーになる。
「死にたければ死ねば。どうせ死ぬつもりないでしょ?」
「死んじゃうかもよ。本当に……」
そう言った途端、運乃がベンチから立ち上がってホームの黄色い線へと走りだした。路線からホームへと電車が入る。速度を緩めながら。未来は飛び込もうとしている少女に慌てて立ち上がり手を伸ばした。
「馬鹿っ!」
警笛が鳴り、少女が線を越える。
ドンッ。と、鈍い音がして少女が電車にぶつかった。どよめきと奇声が上がり、電車の急ブレーキが耳障りな程に音を立てた。目の前で電車によって消えた少女。未来がそれを目と耳で感じた一瞬、ある事に気が付いた。目の前には電車が停まっている。着いたばかりの電車で、人が慌ただしく乗り降りしている。平然とした顔で。それに自分はベンチに座っている。立ちあがって、まさか本当に飛び込んだ少女に手を伸ばしていたのに、座っていた。
立っていたのに座っている。飛び込んだ少女がいるのに、平然と皆が過ごしている。電車が事故で運休になる知らせもない。呑み込めない状況に未来は回りを見よう、振り向こうとした。
「って、本当に死んじゃうかもしれないよ、未来。ああいう時は、引き止めないと。だから、今度からは口に気を付けた方がいいかもしれないね」
未来が背中からした明るい声に振り返る。座っている反対側のベンチで、今電車に飛び込んでいった少女が、さっきまで話していた少女がそこにいた。ぶつかった形跡もない無傷で微笑んでいた。
未来が寒気とは違う怖気とも違う、ぞっとした何かを少女から感じ取った。
「あんた、一体」
運乃が少しだけ目を細め、妖艶な目付きで未来を見つめた。
「今のは“奇跡”。よかったぁ、“運命の女神が微笑んでくれて”。本当に死ぬかと思ったもん」
少女のわざとらしい言い方に、今の出来事と少女の存在が普通じゃないと考えて未来は尋ねた。
「何したの?」
「う~ん、今が十二分だから一分前の未来をこの世界から消したってところかなぁ」
少女がホームの上の方にある時計へと目を移し、再び未来に戻した。その素振りもわざとらしいと未来は感じた。そして今の不気味で謎の言葉を聞き返す。
「消した?」
「そ、消したの。だから、まだ痛む?」
少女がベンチから体を乗り出して未来のお腹を突然触った。
「何するの!」
未来が途端に手を払って立ち上がる。気味の悪い事を言っておきながらついには触ってきたかと、汚い物でも見るような目を未来は少女に向けた。
すると、怒ったのが分かっていないかのような、突然怒り出した少女を不審に思うかのような目で運乃は目の前を指差した。
「だって今日、未来はお腹が痛かったんでしょ。違った?」
言われたことに気付き未来は腹部に手を当てた。腹痛。チクチクと刺すのではなく、ズキズキと痛むような腹痛がどこかに消えていたのだ。
未来が目の前の少女を睨みつける。
「あんた本当に」
と、運乃が立ち上がった。そして手を揺らすように軽く振った。
「バイバイ。今日の事はなかったことにしようか。私とあなた以外の人間の今を」
「まっ、」
声を出しかけた未来がベンチに座る。未来はゆっくりとホームの時計を見た。電車は十時十二分発。今の時刻は十時八分。電車が来るまでにはまだ時間があった。なぜか知らないうちに時間が戻っているために。
未来はそこから反対側のホームを向いた。
「運乃……あいつ」
さっきまでのやりとりを思い返して未来はそう呟いた。呟いた声に憎々しい気持ちが込められる。運乃。それは意味不明の事を言いながら、自分に対しての事は全て当てた、占い師のような人物だった。お腹が痛かった事も、自分がいつもどこで過ごしているかも、全て当てていた。それが勘ではないことを未来は直感で感じた。勘じゃない気がしたのだ。しかも、電車に撥ねられて死んだはずなのになぜか生きている。もしかしたら、最初から死んでいた幽霊。そうだとしたら、自分の行動が当てられても可笑しくはない。そうすれば、行動については説明がつく。
しかし、時間を戻した説明まではつかない。それに未来には気になったことがあった。その説明もつかない少女に未来は気味が悪いと身震いした。
今の出来事にも少女の事にも気味悪く思う未来に声が掛かった。
「ごめん、待たせたちゃった」
未来は声のする方を振り向いた。階段から走ってくる少年がいる。入学式の時に見かけてから数度見て最近言葉を交わし、今では同じ屋根の下で暮らしている少年、和井正吾。今日は元気だという事を、走ってくる姿と顔色がいい事から未来は感じた。