13話:早すぎた登校
棚宮。町での通称は学区。小中高の三つがその区域に揃っている、まさしく通称通りの場所だ。学校が集まっているということもあって駅やバス亭も多く、朝は通勤ならぬ登校ラッシュ、夕方は帰宅ラッシュが毎日のように行われていた。そんな地域からか、学校や子供達のために、本屋や文具屋、公園など学校に関する様々な店や公共施設が揃っていた。しかし、休日になると学校が休みとなり、人が引けてしまう少しさびしい場所でもあったのだ。そして、正吾と未来の通っている棚橋高校もこの棚宮の中にあった。
棚橋高校は共学の普通の高校で、駅から十分程の場所にあり、周りには部活動をする生徒のための店などもあるためか、通学にも学校での生活にも便利な場所で近隣でも人気があった。何より小中と学区内で通った者にとっては一番近く、そこそこの進学率ということも選ばれる理由だった。
その全校生徒は四百二十八人で、一学年三組、一組四十人くらいだ。正吾と未来達一年生が今年は少なく、前年よりも全校生徒が若干少なくなっていた。現在三学年中一番多いのは二年生だ。
学校の部活は様々でサッカーや野球に卓球、吹奏楽や演劇やパソコン研究会などもある中、珍しい物では点字や手話を学ぶ部活やボウリング部などもあった。そんな多種多様な部活動もただあるのではなく、サッカーや野球は全国大会に出たり、吹奏楽なども賞を取ったりするなど力を入れていた。そして、全国大会に出て成績を収めたり、賞を取ったり、活動が世の中で役に立った場合は学校も全面的に協力する、というのが棚橋高校の昔からの決まりだった。成績が出ない部活やあまり知られていない部活はそれを励みにしたりすることなどで長年続けていた。
そんな棚橋高校も数年前には教室を綺麗にし、増えた部活のための部屋を増やすなどの全面改装が行われていた。改装した校舎は四階建てのA棟B棟の二つになり、渡り廊下も一階と三階の二つになった。A棟は主に教室や職員室などが、B棟は理科室や音楽室などの実習室がある。主な目的がはっきりとした造りを取ったのだった。
A棟、通称教室棟。その初めは汚れなどなかったであろう廊下を正吾は歩く。棚橋の学校では暗黙の了解のように決められた、一階にある一年生の教室へと正吾は向かっていた。正吾のクラスは一年三組で、一年生の教室では一番奥だった。
朝の賑やかな声が校内に響く。正吾が自分の教室に着き、中へと入った。その途端、教室にいた全員の目が正吾を向いた。朝のざわめきが一瞬で消える。まるで正吾が止めたみたいに、しんと静かになった。
静まった空気の中正吾が自分の机へと向かう。正吾の後ろから走る音が聞こえて、教室に入り止まった。
「おっはよぉぉ…………おはよ」
声を出した少女が教室を見渡した。いつもとは違う静かすぎる教室に、少女は一瞬来る教室を間違えたかと疑った。教室で止まった少女に密やかな挨拶が返る。それに動かされたかのように少女は廊下側の席へと向かった。
ざわつく教室の空気とは正反対に正吾は窓際から二つ目、一番後ろの自分の席に着いた。すると、一人の少年が正吾へと寄ってきた。飛び跳ねた癖毛をどうにか押さえているのが分かるほどの癖毛が暴れている少年だ。
「和井、おはよ」
声を掛けてきた少年に正吾は答える。
「おはよ。なんか、久しぶりだな」
「ああ。お前休むからつまらなかったじゃんか。俺がつまらなかった責任とってくれよ」
少年の言葉に正吾は戸惑いつつ返す。
「無茶言うなよ。そんな責任とれるかって」
「いや、取ってもらうぜ。今日学校が終わったら俺と遊べ」
「なんでだよ」
「お前がいなかった分が寂しくて、俺の心が泣いてるからだ」
「知るかよ、そんなの」
正吾は悲しそうな顔をした少年に対して笑った。少年も笑顔で正吾と話す。少年と会話しながら、正吾は施設長の逸見に言われた時よりも笑ってる、そう思った。笑えと言われなくても笑えるのだ。楽しいと思えればいくらでも笑えるのだ。
少年と話してそう思い、正吾はふと周りに目をやった。教室の外を通った生徒が自分を見た。生徒の目が開き、目線を逸らした。教室の壁に隠れた生徒から、教室へと正吾は視線を移す。教室にいるクラスメイトがこちらをチラリと見る。勉強している生徒が覗き見るようにこちらを横目で見る。不思議な物でも見るかのように。そして、なぜかニヤリと笑った。
「な、和井もそう思うだろ?」
「え、ああ。そうだな」
呼びかけられて正吾は頷き顔を下に向けた。皆が見ているように正吾は感じたのだ。ニュースにもなった噂を、興味があるがゆえに聞きたい。けれど、聞かない。いや、自分以外の家族が死んだ事を哀れんでいる。施設に送られた可哀想な奴。そんな風に見られている気が正吾はしたのだ。
だが、それは自分の勝手な思い過し。昨日の事をショックに受けているから自意識過剰になっているだけで、誰も気にしていない。そんな風には思ってないはずだ。そう思い正吾は少年に目を合わせた。
「和井、どうした?」
問いかける少年に正吾は硬直した。
こいつはどうだろう。自分をどう思ってる。本当は聞きたいのではないのだろうか。事件の事も自分の家族のことも。そんな悪い考えが浮かび、正吾はその思いを自分の言葉で掻き消した。
「なんでもない。悪い、俺トイレ行って来るから」
立ち上がった正吾に、少年が外を見ながら言った。
「最近冷えるもんなぁ。下痢かぁ?」
「馬鹿。違うって」
正吾は笑いながら早足で教室を出た。おかしな違和感がした。もやもやとするどこか気味の悪い感覚だ。教室を出た正吾はその違和感に溜息を吐いた。
下駄箱の方にあるトイレへ向かおうとした正吾の前に、一人の少女が手を振って走ってきた。短く切りそろえられた黒髪に笑顔が可愛い少女。少し丸みのある顔が優しそうで可愛くも見える。だが、正吾はどこかで見たが覚えていなかった。
少女が前に来て正吾に言った。
「和井君だよね。ちょっと話があるんだけどいいかな?」
「俺に、話?」
聞いてきた少女を正吾は疑った。今日という日の突然の話。正吾は何かを覚悟した。
「うん。ちょっと大事な話があるの」
笑顔で聞く少女に正吾は頷いた。そして、少女に言われるがまま屋上へと向かった。大事な話。自分にとっての大事な話。それを考えながら正吾は屋上に出た。
寒空に震える。十二月の猛威が青空から振るわれている。それでいて少女は制服のスカートだ。よく寒くないなと正吾は思った。
少女にドアを閉めてと言われて正吾は従う。少女が屋上の端にある手すりに凭れた。正吾もそちらへと近寄り、少し離れて屋上から校庭を見下ろす。登校する生徒の群れがぞろぞろと校門から流れていた。こんなに人がいるのだ。ここには。それなのに自分の家がない生徒はどれだけいるんだろう、と考えた正吾の隣で少女が空を見上げた。
少女が白い息を吐いて正吾に尋ねた。
「ねぇ、和井君はひばり施設にいるんだよね?」
「え?」
正吾は唖然とした。そんな正吾に少女は確認するようにもう一度聞いた。
「いるんだよね?」
正吾が言葉に詰まる。
なぜ、自分がそこにいることを少女は知っているのか。いや、この町にはそこしかないからわかるのだろうか。それとも誰かから聞いたからか。どちらにしても聞かれると何も言えなかった。聞かれるだろうと覚悟はしていたのに。
頭の中で渦が巻き正吾は声に出さず頷いた。それを確認すると少女は頬を緩めた。
「そっか。じゃあ、未来っているでしょ。なんかツンとしてて、目つきがちょっと鋭い子」
そう言って自分の目を横に引っ張る少女に正吾は頷いた。
「いるけど、なんで?」
答えた正吾の前に少女が突然顔を近づけた。爛々と目が輝いている。何かを期待しているような目だ。そんな少女から正吾は少しばかり身を引いた。
「ねぇ未来は今日学校来るって言ってた?」
「いや、来ないって」
答えた正吾から顔を離して、少女は後ろ向きで手すりに手を着いた。正吾ではなく空に顔を向ける。
「なぁんだ、また来ないのか。いよいよ不良少女だなぁ。未来のバーカ」
空に向かってぶうたれる少女に正吾は聞いた。
「あいつの友達?」
少女が笑いながら手を振る。
「親友親友。未来とは幼馴染なんだよね、私。あ、和井君は私の事知らないかな。私坂上璃菜。さかがみでも、さかうえでもないからね。さがみって言います。今後ともどうぞよろしくー」
少女が笑いながら丁寧にお辞儀した。正吾も倣ってお辞儀する。
顔を上げた少女が仕方ないとでも言うように溜息を吐いた。
「で、未来はこないわけだ」
「ああ……」
少女が口を尖らせて、顎に手を置いた。何か考えた様に璃菜が呟く。
「未来が来ないなら私から行くかな。プリントはないけど、お知らせはあるわけだし。そうだ、和井君も一緒に帰らない? 今日は途中で帰ってさ」
「え?」
少女の言葉に正吾は驚いた。どこに帰るのだろう。一瞬思った事を正吾は聞き返そうとした。
璃菜が話を続ける。
「未来と話したいし、あの子も昼だったらいるだろうから。昼には一緒に帰らない? あ、無理にってわけじゃないから。よかったら帰ろうよ、ね?」
璃菜は笑顔で首を傾げた。対する正吾は目をそらす。
途中で帰る。帰ってどうするのか、あの場所に。家は焼けてなくなっているのだ。施設には戻るだけ。帰るのではない。
正吾がそっぽに顔を向けたまま言った。
「……わかんない」
「じゃあ、昼までに決めといてね。帰るんだったら一緒に帰ろう。私はどっちでもOKよっ。それじゃあ、よかったらあとでね。あと、引き留めちゃってごめんね。じゃっ」
手を振って去っていく少女に何も返せず正吾は呆然と見送った。
帰る、帰る、帰る。自分はどこに帰るのだろう。自分に問いかけながら正吾は教室へと校舎に入った。屋上から一階の教室へと戻っていく。
自分のいる場所。帰る家も家族もいないのに、いる場所がある。どこにだろう。
教室に戻るその途中、一階の階段で正吾の耳に話し声が聞こえた。
「ねぇ、和井君って結局どうなったわけ?」
「なんかひばりってとこに行ったらしいよ」
「家族全員あの犯人に殺されたらしいじゃん」
「中学生の犯人死んじゃったし、何もできないって可哀想だよね。犯人最低じゃん」
「っていうか、なんで和井君だけ助かったの?」
正吾が階段で足を止めた。何かがその先に進もうとするのを邪魔する。目の前にあるのは階段だけで何もない。それなのに足が棒のように固まった。足が悪いわけではない。教室に戻ろうとするが、足が進まなかった。
「っつうか、凄くない。一週間で学校よく戻ってこれたよな」
「んー、冬休み明けとか思ってたんだけどね。案外和井って冷たいのか?」
「お前それは言いすぎだろ。精神的に強いんじゃないの。でも、家族全員だろ? ちょっと早いかもって思うかな」
「お前だってそう思ったんじゃんか。っていうか犯人ってさ、意外と生きてるとか多いよな。もしかしたら真犯人って」
正吾が足を引いた。寒気がして全身が震えている。一歩一歩後ろへと戻っていく。階段の下に降りられない。そこから先へ行くなと何かが言っている気がしたのだ。震える足を正吾が引いた。
と、階段の影から人が見えた。その人影に正吾は怯えた。スカートを履いている。女子だ。
「あれ、和井君どうしたの?」
さっきの少女、坂上璃菜が正吾の前にまた現れた。璃菜は青ざめる正吾を心配した顔で見つめる。
「顔青いけど大丈夫?」
「俺……」
正吾は俯いた。なぜ自分が噂話になるのか。ただの噂話などではなく、事件の話の中心になぜ挙がらなくてはいけないのか。この事件を追求しようと話す人間は誰もいないのにだ。
正吾の様子を見て璃菜は言った。
「気持ち悪いなら保健室行こう。浅井先生今いるみたいだし」
「なんで、」
正吾が拳を握った。家族がいなくなったのに事件の事をわざわざ出されなければいけないのか。
璃菜が気持ち悪いのと違う事に気付き聞いた。
「和井君、大丈夫?」
大丈夫なわけない。正吾は突然走り出した。物凄い勢いと剣幕で階段を上っていく。
「和井君!?」
階段を上っていく正吾を璃菜は追った。嫌な予感がしたのだ。今にも泣き出しそうな顔をして走っていった正吾を追って、璃菜は屋上に出た。
「和井君!」
「俺じゃない」
「うん?」
手すり近くで叫んだ正吾に璃菜が聞き返す。
「俺は殺してない! 殺すわけないだろ? それなのに、なんで……わけわかんないまま家族も殺されたのに、疑われて冷たいって言われなきゃいけないんだよ。俺は何も、」
「私は和井君がやったとは思ってないよ。犯人はあの中学生なんでしょ?」
「じゃあ、なんで俺が生きてるって言われなきゃいけないんだよ。なんで、皆死んだんだよ。なんでだよ!」
正吾が璃菜に向かって怒鳴った。
怒鳴られた璃菜は笑みを消して真剣な面持ちで正吾を見つめる。どうにもできない心で半分だけ泣いて叫んでいる少年に璃菜は言った。
「…………私は今から和井君に酷な事をいうよ。でも、それは和井君の使命だと私は思う」
そう言って璃菜が正吾にそっと近づいた。てすりに手を掛けた正吾に言う。
「私は事件の事あまり知らないけど、和井君が生きてちゃいけないってことない。むしろ、これから生きなきゃいけない。誰になんて言われても生きていかなきゃいけない。誰かに死んだ家族の事を言われても、自分自身の事を言われても、それでも生きていかなきゃいけないの」
「なんで、なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだ。俺は生きてるよ! それなのに、なんで生きろって言われなきゃいけないんだ……なんで俺なんだよ。なんで俺の家族が死んだんだよ! なんで俺だけが生きてんだよ」
「なんで和井君だけ残ったのかは私には分からない。他の誰にも分からないよ。でも、家族はきっと和井君に死んでほしいなんて思ってない。だから、和井君は今生きてる。和井君の家族の、その願いが届いたから今、和井君は生きてるんだよ。家族が死んだことの理由は求めてもいいけど、生き残った理由は探しちゃダメ。それは奇跡とかじゃなくて、和井君の家族の気持ちが届いた証なんだから。和井君はその気持ちを捨てるの?」
正吾は俯いた。捨てたくない。だが、この場所にいたくないのも事実だった。犯人は死に、事件に関わって生きたのは自分だけ。沸き立つ気持ちを誰にぶつければいいのかわからない。犯人を同じ目に合わせてやるということも、犯人を問い詰めることも、家族が戻ってくることもないのだ。
「なんで俺のうちだったんだよ。なんでだよ。なんで俺が!」
怒鳴った正吾を璃菜が抱きしめた。
「和井君だけじゃない。何もしてないのに罵られてる人もいるし、家族が死んで悲しいのに悲しむことすら許されない人もいる。皆の思いだけで勝手に犯人扱いされて、一生疑われてる人もいる。泣いても泣いても泣き足りないくらいに悲しい思いをしてる人もいる。家族がいなくなって死にたいくらいだけど、死なずに生きてる人もいる。皆どうにか生きてるんだよ。今は辛いかもしれない。これから先もこの気持ちを持ってないといけないのかもしれないけどさ、和井君、今は生きてみようよ。神様じゃなくて家族が残してくれた命なんだからさ。ね?」
璃菜が背中を優しく叩きながら抱きしめる。
「生きてどうすればいいんだよ……誰もいないのに」
璃菜が少しばかり強く抱きしめた。
「んー大丈夫だよー。生きて家族に顔見せてあげようよ。笑って、楽しく過ごしてますって。和井君に生きてほしいって家族の思いが届いたんだから、和井君がちゃんと楽しく生きてるって事を届けてあげよう。ね?」
正吾が璃菜にしがみついた。いっその事死んでもいいと思うくらいの気持ちを正吾はどこに持っていけばいいのか分からなかった。璃菜の言っている意味もほとんど解らなかった。死ぬつもりはないのに生きようとも思えない。
その気持ちをぶつけるように正吾は涙を流した。
「うんー、んーんー」
正吾を璃菜が何も喋らず抱きしめる。そっと背中を擦りながら何かの歌を口ずさむように頷いて、璃菜は抱きしめた。慣れたように、震えるその肩をそっと。