12話:喧騒な朝に
十二月二十一日、月曜日。天気は晴れ。乾燥注意報が二週間連続で棚橋市に出された。
ある事件が起きたのも原因で、家々が乾燥対策や風邪対策に加えて、火事への対策を入念にしていた。
町の一角にあるひばり児童養護施設も例外ではない。むしろ、どこよりもうるさく厳しくしていた。注意に関しては。
施設の食堂兼居間。朝食を前に施設の子供が集まる。どこの家よりも騒がしく。
「ユウ君の馬鹿」
「絵里名ちゃんのバーカ、痛いっ」
「絵里名ちゃん、ユウ君をぶつの止めなさい」
「逸見さん、食事まだー」
「優奈お姉ちゃん、マキちゃんがイッちゃんの靴下失くしちゃった」
「イッちゃん新しいの取っておいで。マキちゃん!」
「優奈手伝って。マキちゃんあとで優奈に叱ってもらうからね」
「逸見さん、ユウ君と絵里名ちゃんが」
「坂下さんそれくらいやって。和井君、君も手伝って。瀬利も!」
「…………」
「正吾さん」
「はいできた。優奈、持ってって」
「ユウ君絵里名ちゃん退いて!」
「はい、逸見おばちゃんが通るよ通るよー」
大騒ぎしながら朝食の準備が終わり、長いテーブルに並べられた。豪華な食事、のように数が見えさせるだけで、味噌汁などの普通の食事だ。
子供七人、施設の職員三人。合計十人での食卓だ。食事が並べられていく中、騒ぎが続く。正吾はテーブルの端のイスにただ座っていた。
「マキちゃん靴下どこやったの!」
「部屋に置いてあるよ。でもイッちゃんが悪いんじゃん」
「なんで、男の子の靴下女子部屋に置くの。汚いじゃん」
「瀬利ちゃんそういうこと言わないの」
「うるさいよ、坂下」
「瀬利! あんたのだって汚れてるでしょ」
「イッちゃん、あとで取ってきてあげるから待ってなね」
「うん。マキバカ」
「イッちゃん」
騒ぐ食堂に未来が入ってきた。既に私服に着替えている。
未来が中を見る。職員が声を掛けようとした。
「るっさい! 朝から何騒いでるの!」
未来の叱咤に食堂が静かになった。逸見以外がきょとんとする。
それもそうだ。鬼すらも逃げてしまいそうな顔で起こったのだから。
逸見がキッチンから皿を持ちながら未来を見る。
「あら未来、おはよ」
「おはよう。パンだけくれる。出かけるから」
「食べなさい」
「パンをね」
「ない」
「じゃいらない」
未来が手を振って部屋から出る。
「こらっ!」
「いってきまーす」
逸見がテーブルに皿を置いて部屋の入口に向かって叫ぶが、未来は無視して出て行った。
「私も出てこうかなぁ」
「瀬利」
「だって未来お姉ちゃんばっかズルい」
「未来お姉ちゃんは不良だからいいんだよぉ」
「ユウくん!」
ドンッ、と逸見が騒ぎ出すテーブルの真ん中に皿を置いた。皆がまた黙る。
「皆食べるよー」
逸見が席に着き、手を合わせた。
「いただきます」
「いただきまーす」
全員がいただきますを言った後、動き始めた。一斉に箸を取ったり、いきなり口にご飯を手づかみで突っ込んだり、口喧嘩の続きを始める。
いただきますだけは全員が決まってすることになっているが、その後は自由だ。ただがむしゃらに食べるのもありだ。喧嘩して食事の邪魔をすれば怒られる。食べないまま座っているのもありだった。
その中で正吾は箸だけ持って固まっていた。
逸見が注意する。
「和井君、手進んでないよ」
「え……あ、はい」
正吾が返事をして再び固まる。手元を動かさずただ見つめて。
正吾は昨日のニュースが忘れられなかった。
自分の家族を殺した放火魔。八件の事件を起こして、死んだ人間が十人以上もいるのに、そいつが死んだのだ。自殺で。
死んだのだ。謝罪も何もせずに。面白いから殺したという理由だけを残して。追いつめられた上での自殺。
ありえない、あっていいはずない。なぜ死んだ。死ぬのが謝罪なのか。
どうにも抑えきれない気持ちの言葉が正吾の中に何度も浮かぶ。そのせいか、動かさない手で持つ箸が震えていた。
職員の一人がそれに気付いた。
「正吾君どうしたの?」
「え……」
全員の視線が正吾に集まる。
正吾がどうしていいか分からず俯いた。
「食欲なかったら無理して食べなくても大丈夫だからね」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
正吾が言葉に詰まる。すると、突如逸見が思い出したように言った。
「そういえば、和井君は今日学校どうするかい。未来は馬鹿だから行かないって言ってたけど、行っても行かなくても、和井君の好きな方にしていいからね」
学校……。正吾が静かに頷いた。いつでもいけるように逸見が手を打った。と、ここにはいない少女が言っていたのを正吾は思い出す。
未来の名前を口にした逸見にそれぞれが反応する。
「お姉ちゃん馬鹿じゃないよー」
「ユウ君、ありゃ馬鹿だよ。先月行ってないんだから」
「あれ? 行ったんじゃないんですか」
「行ってないってさ」
「未来お姉ちゃん記録更新」
「なーに言ってんの、瀬利」
「私もお姉ちゃん目指そうかな」
「僕もー」
「未来は目指さないの。落ちるとなれるから」
「逸見さん上手い」
「優奈も同じだからねぇ」
「私違うよー」
「落ちるってなにー?」
会話する食卓で正吾が突然口を開いた。ポツリと呟くように。
「行きます……」
「お、了解了解。じゃ、ちょっと頼みたいことあるんだけどいいかな?」
正吾が首を傾げつつ頷いた。
「もしよかったら、溜まってる未来の手紙取ってきてほしいんだけど、いいかな? 未来は取り行かないし、璃菜ちゃんは来ないし」
「あ、はい」
「ああ、できたらでいいから。取ってこない未来が悪いんだし、あの馬鹿」
「馬鹿じゃないよー」
「そうだよ。未来お姉ちゃんは頭が良くて、逆に馬鹿なんだから」
「瀬利もナイス」
優奈と瀬利がハイタッチした。
賑やかに食事を終えて、子供達が学校への支度をする。
年が上になるにつれて、下の子の面倒を見るのが決まりだが、学校への支度だけは自分でやらなければならない。持っていく教科書も筆記用具も、学校の給食当番ならエプロンも自分で用意する。責任感と自立心を養うためだ。
バタバタと玄関に急ぐ足音が幾つも響く。朝はどこも忙しいのだ。
「ユウくん、ハンカチは?」
「タオル持ったよ」
「マキちゃん、エプロン」
「あー忘れてたー」
「優奈お姉ちゃんハンカチは?」
「あ、瀬利ありがと。忘れてた」
「瀬利、教科書」
「逸見さんありがとー」
手伝いは極力しないことになっている。
「イッちゃん、靴下忘れてるー」
「絵里名ちゃん、風呂敷ー」
「マットねー」
できるかぎりだ。
全員がドアを開けて出ていく。未来がいないため、優奈が途中まで送っていくことになっているのだ。
逸見が手を振って見送る、その最後に制服を着た正吾が玄関に着いた。死んだような足取りで、ゆっくりと。
浮かない顔つきの正吾に逸見が声を掛ける。が、その横を通り正吾は靴を履いた。
「行ってきます」
一礼してドアの方に正吾が向く。逸見がもう一度声を掛けた。逸見の手がパーの形になる。
正吾がやる気なく振り向いた。直後、軽く叩かれる。見事に頬を、パチンと一発。
突然のことに驚く正吾に逸見が腰に手をやった。
「しっかりしな。そんな顔で学校行ってどうすんの。まったく。とりあえず、笑いな」
「え?」
「笑うって言ったら笑う」
固まってしまった正吾に逸見がもう一度言った。
逸見に言われるがまま正吾は笑った。ニコリと。
正吾の笑みに逸見は眉をへの字に曲げた。引き攣った頬。笑っていない目元。ブルドックか何かみたいだ。ぎこちない笑い方。
逸見はもう一度言う。
「はーい、笑って」
「笑ってるだろ」
正吾がふてくされた顔で言う。正吾には逸見がなぜ笑えと言っているのか分からなかった。笑えもしない今の気分で笑わなくてはならない。正吾からすればやりたくもない知らない稽古が始まった気分だった。一種の罰だ。
逸見が言う。
「笑わないと学校行かせないよ」
「なんでだよ!」
怒った正吾を逸見が見つめた。怒った顔はできるのに、笑わない。笑いもできないのに、学校へ行く。 何が楽しいんだか。
逸見がそう思いながら正吾を後押しする。あえて冷たく。
「…………それで行って君が満足するなら行っといで」
「どういうことだよ」
「行って来れば分かるよ。はい、いってらっしゃい」
正吾がドアを激しく閉めた。バタンと凄まじい音がした。
逸見は思わず目をつむり、正吾の後姿を見ながら鼻息を漏らした。仕方ないとついでに笑う。
なんで学校に行こうと思ったのか分からない。行った所でつまんない顔して帰ってくるのがオチなのだ。長年子供を見てきた勘だ。だが、未来よりもまだ可愛い気があった。
「馬鹿が一人増えちゃったか。まったくねぇ」
「馬鹿って私のこと?」
逸見がドキッとして振り向いた。未来だ。
「あら、まだ居たの」
「つまみぐいしないと出かけられないから」
どこにいたのかわからないが、制服ではなく、私服だ。行く気はないと逸見が悟る。
「あっそ……いってらっしゃい」
「いってきまーす」
元気よく出てく未来に逸見が笑顔で見送った。
「学校いってきなよー」
未来がツンとした顔を逸見に送った。
いつも通り。
逸見がグッと背伸びをした。