9話:運命との対話
正吾は驚きを顔に表した。少女の言った言葉が解らなかった。
運命を決めて操る天性の力。
それをどう解釈してよいのかわからない。それが正吾の口から出た。
「運命を、決める」
「そう。あらゆる運命を監視して必要であれば操る。そうして全ての運命を操る。それが私の“天性”」
少女の話すこと全てが正吾を困惑させる。
「何言ってんだ?」
「言ってみればあなたの運命を私が決めて、その上をなぞるようにあなたが歩く。そして万が一その道を反れると私があなたに関わる全ての運命もろとも修正する。さらに完全に道をそれればあなたを消す。いなかったことにして」
道を歩いて反れる。そして消える。いなかったことにして。
ますます意味が解らず正吾は突っ立ったままになる。道が人生でその上をなぞるように歩く。つまり運命にしばられて。その運命を少女が決めている。
「何馬鹿みたいな事言ってんだ」
信じられず、しかし正吾は立ちつくす。運命を操ることなんて人間にはできない。少女の妄言としか正吾には思えなかった。
動かない正吾に運乃は笑顔を向ける。
「北極の氷でも持って来てあげようか?」
正吾は唖然とした。少女は無理なことを言っている。北極の氷を持ってくるなど運命よりも信じられない事だった。今から北極へ行くと言って行けるような場所でないことは考えなくても分かる。行くだけでも無理な場所なのに、そこから氷を持ってくるなどできるはずがなかった。
正吾のことなど気にもせず運乃は続ける。
「大きいのは無理でも小さいのぐらいだったら簡単だから」
「行けるわけないだろ。それに何言ってるかわかんねぇよ」
運乃が手にノートを持って左手のペンで何かを書いた。
「ここから北に行けば着くじゃない。信じられないなら今から行って戻ってくるから待ってて」
正吾が馬鹿馬鹿しいと声を掛けようとした。しかし、それを遅いとでも言うかのように運乃の姿は消えていた。音もなく粒子のように消えるわけでもなく、手品のようにパッと消えていた。ただ、少女の後ろに浮かんでいた本だけを残して。威圧感が漂う本を正吾はしばらく見つめる。古びた蒼い表紙には英語で何書かれていてるだけで、飾りっ気はこれっぽっちもない。見た目は大きな鉄の扉みたいだった。
正吾が鉄扉のような本に違和感を覚えた時だった。
少女がどこからともなく現れ、正吾に向かって何かを投げた。軽やかに飛ぶそれが太陽の光で輝く。それを正吾は手に取った。
「つめてっ」
「当たり前でしょ。今とってきた氷なんだから」
正吾の足元に両手ほどのデコボコに角張った氷が転がった。コンクリートの上で煌めく氷の塊に正吾は目を丸くした。
あまり雪の降らないこの町では最近でも雪が降っていない。氷は売っているが、転がったものは売られているものとは違っていた。厚みがまして自然に濁ったような氷の塊。冷たさも冷蔵したものとは遥かに違い冷たかった。
正吾の体を蛇が這うような気味の悪い寒気が襲う。突然消えて再び現れた少女。氷の塊。巨大な本に、少女が書いたノートと使ったペン。そして正吾の目の前にいる少女自身が近づくことすら躊躇う恐怖に見えた。少女の腕に薄らと白い雪のような氷の粒が乗っているのだ。
動揺している正吾に運乃は言った。
「今私はここにいなかった。北極へちょっとした探検に行ってね。そのお土産を持って帰ってきた。そういう“運命”だった」
運乃がふふっと笑う。正吾は頭で考えられるだけ考えた。少女の言った意味を。
少女は北極へ探検になど行ってない。少女は今ここにいて、確かに姿を消して現れたのだ。その空いた間が少女の言う探検の時間。摩訶不思議な魔法みたいなものだと考えた。
その上で正吾は少女に聞いた。
「運命運命って何なんだよ」
「言ったでしょ。私は運乃。運命だって」
「だから運命ってなんだよ」
声を荒げる正吾。運乃は手すりによりかかった。
「人生においての境遇や成り行き。元は天からの命によって決められたもので、」
「そんなこと聞いてんじゃない。お前の言ってる運命って何なんだよ」
「私が持ってる“天性”よ」
「なんだよ“天性”って」
「正吾に言っても解らないでしょ。簡単に言えば、私は正吾と少年の運命を動かした。少年はここにいたんじゃなくて、正吾が勘違いしてここに追いかけてきた。少年がいるんだと思って。そして少年はここに来たんじゃなくて途中で正吾を巻いて、」
「違う!」
正吾が怒鳴る。運乃の言っていることとは全く違っていた。
険しい顔を向ける正吾に運乃は聞き返す。
「違うなら少年がいない理由を正吾は説明できる?」
「できない。けど、でも違うだろ」
「その根拠がない。だって、正吾は少年に会えてないんだから。本当にここにいた?」
「いただろ。お前が、魔法かなんかで消すまで」
「いたけどいない。それって不思議ね。そんな不思議なことがあるなんて、私は信じられない。魔法が使えないもの。それとも、正吾は私が魔法を使えることまで証明できる?」
「お前……」
おちゃらけていて話にケリがつかない。正吾は拳を固めて、少女に鋭い目を向けた。
混乱して怒っている。運乃が笑いを堪えて真面目くさった顔で、その怒りの矛先をかわす。
「それより南部未来の所に向かったら。心配じゃないの。ナイフを持った少年を追いかける女の子のこと」
「!」
正吾が思い出して気付いた瞬間、手すり際に移動していた。屋上の入り口から屋上の端に一瞬で移動していたのだ。そして目の前には運乃という少女が怪しげに微笑む。
自分の移動を理解できない正吾に、突然運乃は掌を向けた。続けて正吾の胸に手を置く。
「助けるよりもまず、正吾が死んじゃうかな。屋上から落ちて」
ニコリと笑い運乃が正吾を押した。押された正吾は手すりに足をひっかけてバランスを崩す。落とすつもりで押している。そう正吾が気付いた時には支えのない空中へと体を放り出された。
「あああああああああああああ」
落ちる正吾を見て運乃は変わらず微笑を向ける。落ちていく正吾を見ながら今押した手で小さなノートに何かを書いた。
正吾が空中でぐるりと半回転する。うつ伏せの状態で落ちていく。物凄い勢いで地面が正吾に迫る。いや、正吾が地面に迫っていく。
瞬く間に近づいた地面に正吾は目をつむった。
正吾の体が地面にバフッとぶつかった。変な感覚に正吾が目を開けると、分厚くて柔らかいクッションが顔を塞ぎ、落下の衝撃を和らげていた。
十五階から落ちたのに生きている。それに正吾は慌てて上を向いた。落ちて助かる高さではない。まして、建物の周りにはクッションなど置いてない。できすぎてる状況に、屋上で変わらずに自分を見下ろす少女をにらんだ。
何かした。正吾が少女を睨んだ瞬間、後ろで声がした。
「よかったじゃない助かって。正吾って運がいいのね。火事でも助かって、屋上からも落ちても生きてる。けど、その運ももしかしたら今日で尽きるかもしれないよ。運命の女神って、簡単に人を見放すことが多いから」
運乃の声に正吾が振り向いたのも束の間、今度は上から声がした。陽気な声で。
「じゃあね。早く降りれたんだから早く行ったほうがいいよ。アレが近くにいるみたいだし。それと、もう二度と会わない事を祈ってる。バイバイ」
少女が正吾の視界から消えた。屋上の中心へと歩いて。
見えなくなった少女から目線を外し正吾は立ち上がった。放火魔の少年、そしてその近くにいる少女の所へ向かうことを決めて走り出す。