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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【短編小説】桜の丘で

作者: nyokki

私の作品「【短編小説】桜と聖女」から繋がるので、そちらから読んで頂ければより深くなるかもしれません。


短編小説【桜の丘で】



 ゴミに混じった一片の花弁がゴミと称され、人々の住まうこの社会が虚構と揶揄されるのであれば、私は自らを虚構と言おう。中身のない存在であると、はっきりとそう言おう。桜の方がよっぽど価値ある存在だとも、言ってしまって良いかも知れない。


 学校の階段前で、箒片手に目の前にあるゴミを俯瞰する。鋭利な刃物で背中を切り裂かれたネズミを見ても、吐き気すら催さなくなったのは、精神的に成長したという理由だけではあるまい。

 確かに、こんなことをした犯人は残酷であるが、それをじっくりと眺め、観察をする僕も人の事は言えない。僕は、残酷だ。しかしこの自分の残酷さに嫌気が差すわけでなく、ただただそんな自分ですら観察してしまう。研究者然としていると言われる事もあるが、第三者としての視点で自らを俯瞰したとき、真っ先に感じるのは「愚かだ」という感覚。これほどに嫌なことは、無いと言っても過言ではない。

 目の前の血に染まったネズミは、骨が見える程に深い傷を負っており、もはや生きているとは思えない。命を保持していないのだ。つまりただの肉塊であって、これはゴミだ。そう、ゴミなのである。

 そんな感覚に苛まれ、ようやくにして吐き気を催した。唐突に目の前の研究対象に興味が無くなったのだ。見ていた所で何も読み取り得ない物を見ている意味は、皆無だ。好奇心すらわかないその愚かな塊に、どこか苛立ちを感じるのは、価値を持たなくなったからかも知れない。

 とっとと処理して解決してしまおうと、側に置いてあった塵取りを手に取り、その板の上に広がる虚無の空間に、汚物を放り込もうとしたその瞬間の事。

 「キャア」という短い悲鳴が聞こえたかと思うと、たちまちその悲鳴は、パタパタと階段をかけあがる音に変化した。見られたか……。おそらく教師に告げ口をしに行くのだろう。自分がやった訳では無いのだが、これから起こるめんどくさい出来事を考えると、不安というより寧ろ、憂鬱な感覚を覚える。

 溜め息を吐きながら箒を動かし、そこに転がる赤と灰の混じったゴミを塵取りの上の空隙に流し込む。心なしか、箒も塵取りもそのゴミを受け入れる事を拒んでいる様に感じた。受け入れない彼らに「おい」と言いながら、無理矢理その口に放り込んでやる。塵にまみれて傷口も灰色に染まり、コロンと力なく転がったゴミに、少し同情するが、すぐにその対象をあるべき場所に、ゴミ箱という墓標の中に葬った。


 教師の意味の無い詮索をくぐり抜け、自分がやった訳では無いということを証明する。それ自体は全く苦でも無いことなのだが、それよりもその後の風評被害の方がよっぽどめんどくさいのだ。あの女子が広めたのか知らないが、教室に帰った時にあちこちから感じる視線。ぐるりと教室内を見回すと、幾つかのグループを作っているクラスメイトが、こそこそと声を潜めて何かを話していた。何の事か、など解らないはずがないだろう。もちろんその秘密の会談の主な内容は僕だ。それくらい解っている。

 教師には説明出来たとしても、教師よりよっぽどバカらしい生徒には、説明したところで無駄だ。もとより友人の少ない僕には、説明するなんてこと自体が無理な話。結局のところ、今回の事件のほとぼりが冷めるまで、自らで作り出した世界の中で、落ち着いた時間を過ごさなくてはならないのである。 憂鬱ではあるが、自分という人間を整理し直す好機だとも、思うのだ。


 無心になり、心の中に桜が舞い散る丘を作り出す。美しいその風景の中で、終わらぬ輪舞曲を詠い続けるのだ。それこそが、自らの精神を落ち着ける最大限の方法。僕はこうして、桜の周りを飛び回る、蝶という虚構に昇華するのである。三拍子のリズムに合わせて宙を舞う、華麗な蝶に……。


「おはよう」

 なだらかな坂を経て、丘という低い頂上に堂々と佇む彼女に、そう話かける。彼女の身体は桜色に色めき、地面の翠、大空の蒼と美しいコントラストを実現していた。返事などするはずもない彼女をずっと見つめ、微笑む。君こそが僕の唯一の友人で、無二の愛する人だと何度語りかけただろう。いくら語りかけても、飽きなど来るはずがない。たとえ答えない不動の聖女であっても、その真価は僕の愛する人なのだから。しかし僕は何をしているのだろうか。現実を見返してそう思うが、答えなどない。愛していることには、何ら変わりがないのだから。


「こんにちは」

 どれくらいの時間が経過しただろうか。もはや僕には解らない。たった一分のようにも、数時間にも感じられたその時間の中で、僕は彼女と無言の言葉を交わす。幻惑というあまりに脆い感覚の中で見た彼女の姿からは、もう逃れられなかった。僕は彼女を愛し、そして彼女からも愛されているかのような激しい妄想にかられ、身がうち震える。我慢できない程の欲求。「彼女を僕の物にしたい」という、今までに感じたことのない欲求が生まれ、留められない程にまで増長してしまい、彼女の腕に、とまる。これが僕の、最大限の勇気だった。


「こんばんは」

 彼女の腕の上で囁くと、ざわざわと葉が揺れ、擦り合わされ、返事をしてくれる。これが愛し合うということなのだと本能的に感じた。そうして目の前で揺れる彼女の口の1つに軽い口付け。その瞬間である、彼女が一度ブルリと震えたかと思うと、先程まで優雅にざわめいていた唇達が、一斉に崩壊を始める。堰を切ったかのように、彼女の腕からぼろぼろと零れ落ちる花弁の滝が、僕を死という奔流に叩き落とす。愛を過信し、愛すべき人に近づきすぎたが故の天罰が、僕に下されたのである。


「さようなら」

 そう言う彼女の目の前で、ようやくにして終わり無き輪舞曲は終焉を向かえる。蒼い空と、翠の大地と、桜色の流れに囲まれた僕には、その終焉こそが僕の待ち望んだものだと思えた。来て欲しくなかったものだ、とも。

 遠く身体から離れた意識の中で、僕の作り出した美しい桜の丘は、儚くも崩れ去った。


 気が付くと、僕は家の前にいた。無意識の中で授業時間を乗りきり、家までたどり着いたようである。鍵を鞄から取りだし、午後の静けさが漂う住宅地の一角に佇むその門扉を開く。寒さの残る大気に、金属製のノブを握るのが躊躇われたが、小さな勇気を振り絞って握りしめる。ひんやりとした、ある種心地よい感覚。

 門扉を開くと、そこはこれから来るべき春の陽気にも似た、しかし無機質な暖かさに包まれていた。それが逆にあの意識を呼び起こし、少し気分が悪くなる。その嫌な感覚を早く拭い去りたくて、あの桜色の奔流の醜い感覚から逃れたくて、シャワーを浴びようと、そう思い立った。ズボンを脱ぎ、逆さ向けに椅子にかけたその時

 カチリ

 何かがポケットから落ちた音。その音に従って床を見ると、明らかに血に濡れた一本のカッターナイフ………………。


御読み頂きありがとうございます。

自作「【短編小説】青葉は回り落つ」に繋がるので、そちらも読んで頂ければ良いかも知れません。

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