1−6 怠惰的な王太子
「お前は飲まないのか」
「はい?」
三人掛けのソファに一人悠々と座っている男が、自身の隣をぽんと叩いて座れと促している。その向かいで男に向かって咎める視線を投げているウォーク。横の騎士はくくくと堪え切れない笑いを漏らしている。
ないわ、と光は首を振った。
「恐れ多いです、殿下」
男がぴくりと眉を跳ねさせたのを見れば、その呼び名が正しかったのだと証明され、軽はずみな行動を取らなくて良かったと光は安堵する。失敗してここを追い出されるのは自分だけで、モールまで追い出されては洒落にならない。
「何故?」
疑問だけをぶつけられ、光はそっと息を吐いた。何故分かったのだ、くらい最後まで言いましょうねと心中でごちる。
「近衛隊長殿と王太子殿下の側近閣下。そしてもうお一方はと問われれば、王太子殿下としか答えようがありません」
「なるほど。ドロー殿が言うように多少は頭が働くらしい」
この野郎と心中で口汚く罵ってからにっこりと笑んで見せた。
「察しの通り、こちらはバライ王子だよ。見た目通り、身分とか気にしない方だから気にせず座って」
そうは申されましてもねぇ
三人の視線をそれぞれに確認し、光は渋々とソファに腰を下ろした。同時に、側近閣下が数枚の書類をこちらへと押し出してくるので、彼女は彼を見上げて真意を伺おうとするが、相変わらずの無表情で何一つ読み取れない。
諦めてそれらに視線を落としてから首を傾げた。
「…嘆願書ですか」
「どう思う」
「どうと言われましても」
三枚の嘆願書に眼を通す。地方農民たちによる税を下げてくれという在り来りな内容が二枚に、もう一枚はその地方を治めている貴族が農民が税を納めなくて困っているので納税を待って欲しいというものだ。
「…この地方で旱魃でも起こってるんですか?」
「いや。今年はどの地域も豊作でな。この地方だけだ、このような嘆願書が届くのは」
「では、この貴族様が税収を倍にでもしてるんでしょうね。こちらの嘆願書には農民だけでなく、猟師や商人も入っているんじゃないですか?どこかに借金でも作っていて、国に定められた税に上乗せして徴収しているとしか思えませんが」
この返答が正解だったのかウォークは僅かに眉を寄せた。こちらを試すような真似をして願った結果にならずざまあみろだ。
「ではこちらはどう思う」
さらに差し出された物に視線を滑らせぎょっとする。
「これ…戦争する気ですか?」
「相手はな」
「こんな重大な書状、私が見て良いのですか?」
「無論、他言無用だ」
喋れば殺すぞと言わんばかりの視線で射られるが、光は僅かに肩を竦めるだけでそれを流した。
隣国から送られてきたらしい書状には、国境付近にある銀山は本来こちらの領土なので即刻権利を引き渡せという内容が記されている。光は疑問点を整理してからウォークへと問い掛けた。
「この国の戦力は我が国より上なのですか?」
「まさか。領土も三分の一程なら、軍事費なんか十分の一だよ?これで勝てると思ってるならどうかしてる。よっぽどな切り札でも持ってない限り、うちにこんな喧嘩を売ってくる訳がないんだ」
返してくれたのはウォークではなくマクであったが、光は特に気にする訳でなく書状をもう一度読み直してからふむと口元を手で被った。
「元々、この銀山はどちらの領土なのですか?」
「建国以来五百年は我が国のものだ。今更明け渡せなどとどうかしているのだ」
忌ま忌ましいと零したウォークに光はさらに首を傾げた。
こちらの文章は英語を覚えるより単純で理解し易い。文法が日本語に近かったのも良かった。書き取りには不安があるが、読む事には問題ない。
この書状はこちらで覚えた知識を全て引きずり出しても、好戦的な文章にしかとれない。以前は隣国の領土だったのを戦争で奪ったというのならばこの文章も理解出来る。だが、五百年もの間黙っておいて、今更争う意味が分からない。
「大きな後ろ盾を得た。この国よりずっと恐ろしい権力に睨まれている。物凄い武器を開発した。或は…」
一度言葉を区切り、ふっと顔を上げた。真剣にこちらを見据えるのは三組の双眸。
「この国を敵に回しても得たい物が、銀よりずっと価値のあるものがここにある」
その言葉に王太子はくっと肩を揺らして笑んだ。