1−4 侍女と猫耳
背の高い男の冷酷な碧に見下ろされ、光は不機嫌を加速させた。
くつり、と意地悪く笑む様も無駄に美しくて余計癇に障る。思い切り眉根を寄せて睨めつけてやっても黒い笑みは変化ない。むしろ愉快そうだ。
「酷い顔だな」
「生れつきです!」
不機嫌を露に叫んだ彼女を愉快と言わんばかりに濃くした笑みで見下ろしている男。
「このドSめが」
小さくごちてから自分の服装を見下ろして嘆息した。
黒に近い藍色のワンピースに白いエプロン。メイドさんか、とごちる。屋敷の侍女たちが着ていた見馴れたものと同じであるが、まさか自分が着る羽目になるとは。
救いは現代日本でメイド服と呼ばれる物よりシンプルで丈が長いことだ。あんなひらひらでふわふわなのを、ごく平凡な容姿である自分が着ればどれほど滑稽だろうか。その姿を想像すら拒否して思考を止めようと努めるが、どうしようもない想像ばかりが広がって行く。
「飲み物を用意してくれ」
「は?」
誰が猫耳なぞ着けるか、と妄想にごちたところで指示を受けて光は怪訝に聞き返した。
王太子側近という立場に似合わず質素な執務室には、がちりと硬質な執務机と、来客用らしい三人掛けのソファが二脚とテーブル、びっちりと書籍が収まった本棚のみ。
機能的な調度品しかないという何とも物寂しい部屋だ。
その中では最も高価そうに見えるソファに腰を下ろしたウォークは、長い脚を組んでからローテーブルに書類を数枚広げた。
眉を寄せたまま硬直している光を見上げて鼻で笑う美人。
「何だ。茶の煎れ方も習っておらんのか」
「それくらい出来ます。そうではなく、何故私が貴方にお茶を煎れなければならないのでしょうか?」
「お前が私の侍女だからだ」
「…私は侍女としての教育は受けておりません故、閣下にご満足頂ける物をご用意出来ないかと。本職の方が煎れるべきです」
「茶も満足に煎れられんとは。ドロー殿は一体何を教育されたのか」
こちらを挑発しようとしている。そんな見え透いた挑発に誰が乗るか、と光がそっぽを向いた瞬間、ウォークは軽く鼻で笑った。
「なるほど。減らず口と態度だけは一人前だな。それは魔術師殿の賜物か」
「ふっざけんな!」
「なに?」
「いえ?畏まりました。ご用意して参ります」
思わず日本語で悪態を吐く。問われたところで意味など教えはしないが。
ごまかせるとは思っていないけれど笑顔で押し切って執務室を後にした。
「何だあの無駄美形!マジ美人の無駄遣い!!」
どすどすと足音荒く給仕場へと向かう光を、何事かと振り向くのは光と同じ衣裳の少女たち。耳慣れない言葉にも眼を丸くしている。だが、決して視線合わせようとはしない。賢明な判断である。
昨夜。モールの嘆息を聞き、きっとあの傍若無人側近が自分のことで何か言っているに違いないと判断した。モールのことだから、何とか自分で解決しようとしているに違いない。
問い詰めると案の定、早く光を侍女として寄越せと責っ付かれている。だが、紹介した手前自分が断ってみせるとモールは言った。
「大丈夫、私行くよ。さっさと失敗して追い出されてみせる」
笑んで見せると、無茶だけはしてくれるなと、青い顔をしていた。無理じゃなくて無茶かい、とごちたのは言うまでもなく。
笑い上戸の騎士が予見した通りになったのが癪に障るが、モールの心労を思えば自分が動くしかないだろう。
ウォーク付きの侍女に教えられていた調理室に向かうと、台車に必要なものを用意してもらってそこを出た。調理人に見馴れない子だねぇと声を掛けられ、笑顔で臨時ですからと答える。
今日明日にでも解雇されてやると決意を新たに、乱暴に台車を押し進んだ。窓掃除をしている少女が持つ雑巾を借りて熱湯の中に入れてやろうか、などとよく聞く嫌がらせの手を巡らすが、あの男なら危機を察知しそうな気がする。
それでも腹でも壊した日には…笑ってやるのに。
執務室に戻ると、笑い上戸騎士と見馴れない男がウォークの向かいに腰を下ろしていた。黒の短髪で僅かに釣り上がった金の双眸。がっしりとした体躯は騎士と同じほどに鍛えられているが、全身から漂う雰囲気は怠惰的で騎士のようには見えない。騎士には見えないがここに居るという事は高貴な身分なのであろう。
そんな事よりカップが足りないではないか、と茶器を確認してみれば、何故が人数分ある。何故だ。あの調理人はエスパーか、と唸っているとおい、と声を掛けられた。
何だそのぞんざいな呼び方は、私はお前の嫁さんじゃない。
「こちらにも用意して差し上げろ」
「畏まりました」
熱湯に雑巾の絞り水など入れないでよかった。無駄な被害者を生むところだった。
そっと息を吐いた光を、見馴れない男がぼんやりとした、だが強い眼差しで観察していた。