4ー6 失恋っていいな?!
一言で表せば光は変わった子供だった。
幼稚園では同性の友達より異性の友達が多く、何をするにもその中心であった。クラスの中で一番大きかったというのもあるのだろうが、成長が早かった光は走るのも一番で勉強も出来る。男子たちは羨望の眼差しで見ていた。
幼稚園最後の年に行われた発表会で彼女が王子様役を射止めたのは当然といえば当然だった。
演目は眠り姫。端役であろうと個性が光るよう工夫してあり、大喝采で幕を閉じたのだが、一番の拍手を浴びたのは光の王子様である。蕀の妖精役の子供たちを苦悶の表情で押し退け(妖精たちは子供らしく遊びやお菓子で誘惑をしてくる)ようやっと辿り着いた姫へ向けた恋する瞳。
某男性アイドル事務所のだれそれ君より素敵だったと、隣の席の母親に興奮気味に褒め称えられた光の両親は、複雑な面持ちでありがとうございますと返した。まだ六歳の娘が、正にそのだれそれ君の演技を参考にしていたなんて言えるはずがなかった。
小学校に上がっても異性との友情は続き、同姓の友達が手紙のやり取りやアイドルの話に華を咲かせる横で、光は異性の友人たちと海賊王ごっこなどに興じていた(光は大抵、三刀流の剣士や片腕の四皇などの強くてクールな役で、一味の女航海士などは一度も回ってきたことはない)。
そんな光にとって回りにいる男共は恋の相手にはならない。遅い遅い初恋を迎えたのは中学を卒業する間近であった。
ふと立ち寄った本屋でやたら人だかりが出来ている。作家かなにかと覗いてみれば、プロレス団体の若手人気選手が数人、大御所のプロレスラーが出版したエッセイ本の宣伝を兼ねた握手会をしていたのだ。
その中の一人、海外出身の選手。綺麗な金髪に青い目はつぶらで、ふわんと笑む様からはとてもじゃないがリングの上で激しい争いをするように見えない青年の。
そのほやほやとした笑みとむちりとした筋肉が堪らなく好みであった。
一目惚れだった。
それ以降、光の恋愛対象はむっちり筋肉質の三枚目で三十歳以上、笑顔が可愛らければ尚よし、という思春期の少女とは思えない、斜め上どころか地球の裏側くらいの理想を作り上げた。
さて。その理想を実現した男が目の前に現れたものだから、恋愛とは程遠い位置にいた光の心情は一気に桃色に染まり、思わず求婚した訳だが。
高速で断られ、光は短い人生を走馬灯のように振り返っていた。
ここ一年は特に濃いな、と現実逃避ともとれる感想をごちたところで、背後で笑い転げていたマクが正気を取り戻したらしい。
光の肩にそっと手を置くと、俺の胸で良ければ貸そうか、と笑いの滲む声音で慰めてきた。
「ありがとうございます間に合ってます」
機械的に冷淡な声を返せばそれがより一層笑いのツボをついたらしい。ヒーヒーと声を上げて体を折り曲げるものだから、光の怒りは頂点へとたどり着いた。
「突然失礼しました。わたしは王太子の命にてこちらに参りました、カリイと申します。この笑い上戸で図体ばかりでかい阿呆はマクと申しまして、ただの馬鹿で空気の読めない男に見えると思いますがこれでも近衛第二隊隊長で王太子の護衛でございます」
「カリイ?!」
「夫人、大丈夫です。わたしは正気です。この方たちがこちらの身分を知って困るようなら、隊長が大人しくしている訳がありません。
馬鹿みたいに笑ってるだけのマクさんですが、ほら、こう見えても隊長ですし?本当、ただ笑ってるだけの馬鹿なら、優秀な部下のお二人がお可哀想じゃないですか。こんな隊長でもついていかなきゃいけないんですよ?
名ばかりであろうとも一応は隊長という身分を貰っているマクさんなら、王太子に与えられた使命くらいはちゃんと理解しているはずです」
不敬だ、と声を上げて切りつけられてもおかしくない言葉を並べ立てるが、ねぇ、と光に声を掛けられた部下の二人はそっと視線を反らせて、それぞれ明後日の方向を見ている。
隊長から光の身分を詮索するなと言われていたが、娘は王太子の婚約者であるジジェス令嬢と親しく、実は王太子の懐刀であるだの、コルト公爵家お抱えの暗殺者であるだの、女神がもたらした救世主であるだの、王宮では信憑性があるものから眉唾物まで、突如現れた身元不詳の娘についての噂が飛び交っていた。
実際に接してみれば、ごく普通の娘に思えたが、近衛第二隊隊長であるマクに対する不躾な態度や物言い、年頃の娘とは思えない強い威圧感は眉唾物の噂も本当ではなかろうかと思える。
案外、王太子の腹違いの妹という説もありではないか。
「カリイは辛辣な事ばかり言うねぇ。ああ、笑った笑った」
「人の失恋を笑い飛ばすような最低な男は股間を切り落として、ドドンラッコの餌にでもなればいいのです」
「うわぁ……それはドドンラッコが、十日は餌を生かしたままで急所を外しながら食べるっていう習性を知ってて言ってるんだね」
勿論です、と至極当然と頷く光の表情を見て、その場にいる男たちは股間を押さえて竦み上がった。
「さてご主人」
光の長所の一つとして気の切り換えの早さがある。男たちの青ざめた表情に鼻を鳴らした光は、それで『とりあえずは』許すことにした。
「勘定をお願いします」
何がどうなっているのか。
聞こえた言葉を何とか理解しようとするが処理しきれぬと首を傾げた主人の横で、いち早く現実に戻ってきたのは女将であった。
毎度ありと声高く笑顔を見せた女将に、ジジェス夫人は商売人の鏡だわと呟いた。