4ー5 筋肉っていいな?!
件の銀山までは馬で一日。馬車であれば一泊する必要がある。
三分の一ほどの行程を残し、ジジェス夫人が贔屓にしている古びた宿に着いたのは食堂が賑わい始める時分であった。
王家の遣いが泊まるような宿ではないがこちらは身分を隠す身だ。
表向きはジジェス商会が扱う香辛料の仕入れである。
夫人は普段通り護衛一人と御者を二人連れていたが、護衛は王太子近衛のマクであるし、御者台に座る二人も御者に扮したマクの部下だ。見る者が見ればその辺の護衛にも御者にも見えぬだろうが、怪しむ者も見当たらない。
夫人はこの宿で交渉も行っていたので、何の違和感も与えずに奥の角部屋を二つ押さえることも出来た。密談には勿論、万一の襲撃にも対応しやすい。
食堂での夕食を終えると、手前の部屋に護衛を待機させ三人は奥の部屋で明日の手順を確認し始めた。
「ご説明した通り、私が依頼を受けたのは酒場の主人からでございました。あの村には観光に立ち寄るような者もおりません。他に宿泊する所もありませんし、年に何度か香辛料を仕入れに来る私と主人は顔馴染みで、紹介したい者がいると現れたのが二人の青年でした」
青年たちが依頼してきたのは銃の部品と火薬であった。夫人は初めて見るそれらをしっかり記憶し、すらすらと紙に描いてみせ光たちを驚かせた。
「伯爵という身分でありながらこのような仕事をしております私だからこそ、貴族の目にしか触れぬ物から市に出る物、そこにすら並ばず農民たちだけが手にする物、そこらの商人などより多くの物を扱い、見て参りました。ですが、その私ですら目にしたこともないような品でございます。彼らの物言いからも身の危険を感じましたし、探してみるがあてにはしてくれるなと申しました」
何か成果があれば、次に村に寄った時にでも顔を声を掛けると言えば、なるべく早く頼むと頭を下げられた。
光は夫人の話と、王太子たちから聞かされていたイタリア人たちの話を思い返し、こめかみをこつこつと叩く。
「彼らの今の立ち位置が気になりますね」
「隣国に手を貸しているのか脅されているのか、争いを回避しようとしているのか」
「何にせよ、彼らに会って話をしないことには何の糸口も見つかりません。明日は、わたしがマクさんの身分を明かして話をします。夫人はこれ以上巻き込まれないよう、前回会った方だと確認頂いたら護衛のお二人と離れていてください」
「……ええ」
有無を言わさぬ鋭さで夫人を頷かせ、一瞬だけマクと視線を合わせた光はにこりと笑みを浮かべて解散を促した。
翌日も一行は順調に進み、昼前には件の村に辿り着いた。
馬車で進むほど広い村ではない。夫人がいつも世話になるという馬飼いに馬車ごと預けて酒場へは徒歩で向かう。
「あら奥様。買い付けにしては早い季節に来たねぇ。キウの実が熟すにはちと早いよ!」
先程まで畑仕事でもしていたのか、土にまみれた中年女性がにこやかに話しかけてきた。
顔見知りらしい夫人はええ、と笑いかけた。
「私の姪でカリイです。カリイ、こちらは仕入れでお世話になっているクッカさんよ。今は姪を片腕にすべく指導中で、こちらにもご挨拶に寄っただけなの」
「はじめまして、カリイと申します」
「まあまあ!若いお嬢さんだけどしっかりしてそうじゃないか。こりゃ奥様も安泰だねぇ」
「ありがとうございます」
昨夜、光が用意した言葉をすらすらと口にした夫人は、ほっと一息吐いて微笑んだ。
「また、いつもの頃にお願いしますね」
「ええ!今年は良い具合に実が膨らんでるから上物を用意しておくよ」
「楽しみですね」
笑顔で女性と別れた後も、見馴れた伯爵夫人が時期外れに現れた事を不思議に思ったらしい住民たちに声を掛けられ、夫人はその度に同じ説明を繰り返した。
田舎者の彼らには余所者が珍しいらしい。公爵家侍女長から叩き込まれた笑みを浮かべたまま、内心うんざりとしている光は心中でごちた。
ようやっと辿り着いた酒場で、夫人は本日七度目のやり取りをし、前回会った青年と会いたいとお願いした。
「あいつら、村の離れに住んでるもんだからよ。飯でも食って待っててもらえますかねえ」
「ええ、もちろんです」
「おい!ちょっと出てくらぁ!後頼んだぞ!」
厨房に居る女将にそう声を掛けると、主人は店を飛び出していった。
女将が出してくれたのは香辛料がたっぷり効いた山鳥の丸焼きで、光たちがそれを綺麗に片付けた頃、主人と彼らは現れた。
へらりと軽薄そうな笑みを浮かべた青年ともう一人。
彼らで間違いありませんと、小声で報せてきた夫人の声が耳に入らぬ程。
光は全身を震わせていた。
この世界に来て身を震わせる程の感動ーーといえる程の美貌ーーに幾度と出会ったが、どれも今ほどのものではない。
かの美人たちとは比べ物にならない容姿、良い意味でなく、彼はごく普通の青年だった。
年は三十代の半ばほど。人好きする笑顔に青い双眸。短く刈り込まれた髪は濃い茶。
程好く日に焼けた健康的な肉体は、マクのように戦うことを目的に鍛えられたものではなく、日常生活で育まれた実用的な筋肉。
並べてみればはっきりするだろうが、マクより上背があるように見えた。
光は震えた。
彼に突撃するように身を寄せると、がしりと両の手を握る。光の倍はあろうかというごつごつした男らしい手。
見上げればきょとんとした青い瞳。
「わたしと結婚してください!」
「ごめん、俺、嫁と子供がいるから」
突然の求婚に間髪入れない返答。
一瞬で恋に落ちた光は一瞬で玉砕した。
その背後で呆気に取られていたマクとジジェス夫人だったが、マクがふがぁ!と奇声を上げた後に腹を抱えて笑い出した。