4ー3 駒っていいな?!
長い足を優雅に組み替え、魔女は小さく頭を振った。光が手渡した手帳――株を始めた時に使い始めた――をこちらに返しながら唸る。
それはモールに見せたときと同じような反応だ。未知の知識。不可思議な図形に、こちらにはない写真という技術。
光がこの世界の者ではないという確固たる証だ。
窓から射し込む日差しは金の髪にきらきらと反射し、魔女自身が纏う気品が目に見えるよう。
ああ、なんて美しい。
うっとりと眺めていた光は――どこに隠し持っていたのか――魔女が取り出した分厚い本が目の前に突き出されてから意識を戻した。
「君の話は信じる」
その言葉にほっと胸を撫で下ろし、光は本を受け取った。
「魔女様なら信じてくれると思ってましたが安心しました」
「それの最後の方見て」
くい、と顎を上げてから、長椅子の背もたれにべったりと体を預けた魔女は、光の話を反芻するために瞼を落とした。
ばさりと頁を捲る音、それからはっと息を飲む音。
それを聞き届けてから魔女はゆっくりと少女を見た。
「異なる者、意思を通ぜぬ者、闇と共に」
「地の鳴る音と共に現れた。それは数百年前の記録だね」
「数百年……」
「銀山に隠れ住んでる奴等の事も知ってるけど、それとは別の記録だ。そいつら以外にも過去に異世界から迷い込んでる人間は他にも居るってこと」
「その方々は」
その問いに魔女は肩をすくめて見せた。
「おれが知ってるのは、母に聞かされた銀山に隠れ住んでる人間だけ。後は魔女の間だけで残された記録だけだ。細かい記録がある事例もあれば、ただ言葉が通じない、どこの出生か分からない人間がどこその村に居た、程度の記録じゃ探しようもないな」
「実際に会ったことはあるんですか?」
「いや、ないよ。銀山は閉山され入山は禁止になってるし、そのうえ麓の村にはただの住人には見えない男たちが居て不審人物を監視してる」
「行こうとしたんですね」
流石行動派、と感心する光とは対称的に、眉を寄せて渋い表情を見せる美少女。
そこに未知の存在があるというのに、手を出せないというジレンマがあるのだろう。
この世界唯一の魔女である彼女も、力を持たない他の魔術師たちと同じように「知」を得ることを使命としているらしい。王宮魔術師であるモールの元にしか集まらないような情報や物を求めて、連日この屋敷に来ているのを見れば分かることだ。
「何かあるって言ってるようなものだよ」
「そうですね」
「でさ」
指先まで優雅な動きで彼女が指したのは、ごく一般的な果実のコッカが描かれたもの。これがどうしたのか、と光が首を傾げるとその横に書かれた象形文字のようなものもある。
きっとコッカと書いてあるのだろう。
「これ読める?」
歴史や世界史のような暗記力を頼りにするものは光の得意分野だった。そのお陰で全国上位の成績をとったこともある。
抜群の記憶力を持つ光だが、流石に象形文字の解読まではできない。だが、この象形文字のような記号に近い文字は、地球上のものではないと断定出来た。歴史物としても、他国の言葉としても見たことはない。
「似たような文字はありますが、わたしの星のものではありません」
「星?夜空の?」
ああ、そうか。この世界には、大地が星がという観念がないのだ。光は一人頷き、子供時分に読んだ図鑑を脳内で開いた。
ここにも太陽があり、月はないが多くの星の瞬きがある。差異があったとして調べるだけの機器もないのだし、地球の研究者たちと同じ理論で説明をしても問題はないだろう。
そう納得して口を開いた。
光が説明する間、魔女はじっと聞いていたかと思えば物凄い勢いで筆を動かし、気になった箇所をこれでもかと詳細に突っ込んでくる。
小学生向きの図鑑内容程度を説明するつもりが、最近読んだ宇宙漫画で気になった箇所を調べた時に得た専門知識までも引きずり出す羽目になった。
「もっと聞きたいとこだけど……本題から逸れに逸れちゃったから、また今度ね」
「ま、まだ気になることありますか」
はっきり言ってうんざりだ。知力があるだけに、言葉を覚えだした幼児の「これは?」攻撃より酷い。
「この文字は君の世界のものではない。となると、君の世界以外にも世界はあるってことだ。で、どの迷い人も同じ現象で現れたわけではない。そして、再び消えたという記録は一つもない」
光はひゅっ、と小さく喉を鳴らした。
まだ口にしてもいない希望の欠片を、魔女が掌の上でさらさらと落として行く。
「君が元の世界に帰れる可能性は無いに等しい。おれの力では君を返すことは出来ないと思う」
ただひたと真剣に見詰めてくる藍色の瞳に映る自分が、ひどく揺らいでいるように見えた。
王太子は鷹揚に頷いてから背後に控える補佐官の動きを待った。自分があれこれ言わずとも、この男が的確に物事の本質を捉えるだろう。そうして、的確な指示を出す。自分はそれに頷くだけでいい。
眼前にはひどく緊張した面持ちのジジェス伯爵夫妻が居た。
夫人は港に戻ると同時に馬車に乗せられ、蒼白を通り越し紙のように白い夫の顔を見て、同じように自分の顔色も失せた。
隣国に買い付けに来たばかりで王太子の遣いという男に一刻も早く戻るようにと連れ戻されたが、遣いの男も理由を聞かされていないらしい。
迎えにきた夫に詰め寄ると、銀山の話を聞かされ、それよりなにより、と末娘の婚約話を聞かされた。その相手が王太子だ、と。
一体何がどうなってそうなったのか、冗談なのだろうと問うが、憔悴しきった夫からは求める答えは返ってこなかった。
そうこうしているうちに馬車は王城に滑り込み、気付けば目の前の王太子に、その補佐官である美貌の人。
正に雲の上の人たち。
王太子はゆるりとした気怠い空気を醸し出しているが、瞳の力は恐ろしく強い。更には公爵の息を飲むほどの美貌に圧倒される。
彼を初めて見たのは十年近く前だ。どこの夜会だったか覚えていないが両親と共に現れた精霊のような美しい少年。血が通っているのかと疑う者が居たほどに、彼は完璧なまでに美しい少年だった。
時折遠くから眺めているだけだった美貌が目の前にある。
現実離れした美しい人からの問いに呆然としながらも何とか返し、口を閉ざしたのを見計らい問いを投げた。
「私はとんでもない仕事を引き受けてしまったのですね」
「そうだな……仕事をする前によくこちらの耳に入れてくれたと感謝する」
王太子の言葉に夫妻は深く頭を垂れた。
「ウォーク」
答えを求める王太子の声に美貌の人がうっすらと笑んだ。
「あの娘を使いましょう」